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チーフの憂鬱 と 決着はやはり自分で
ある日の京介
「これ?」
高いところにあるファイルを、背伸びして手を伸ばしてやっと届きそうな女子社員を見かけ、京介は声をかけた。
「あ、はいそれです」
「よっ…ってこれ重たいぞ?危ないから、台に乗るとか男子社員に頼むとかしなさいよ」
はい、と渡してー無理はダメだぞ〜ーと言いながら、席へ戻る。
新入社員の身でそれは荷が重いですぅ…と思いながら、その女子社員田辺さんはファイルを他の男子社員の元へ届けに行った。
京介の職場は、開発部管理課なのでファイルが多い。
今順次データ化をしているのだが、データ化すること自体が遅すぎて随分手間取っているらしい。
たまに手伝うが、ファイル一冊をデータ化するのに3日かかった。
ーやる気無くすよね…ー
ロードに出る前にやっていたのはこれで、夜勤の開発部の人と合わせて一晩中パソコンとファイルに塗れていたのだ。
内容が内容だけに外注も出来ずに、社員1人で一日半ファイルを目標にゆっくりと進んでいる状態だ。
京介は、現場から引き抜かれてきた立場から、チーフという肩書きを貰っている。
チーフとは言ってもほぼ上司のパシリで、社内外の政治的なところにも引っ張り回され、いわゆる雑用係と何も変わらない。
「佐々木〜、これ数字違ってる。減るなら良いけど増える方向はやばいから直しといて」
「はい〜」
「窪田さん、誤字多いよ。赤入れといたから訂正よろしく」
「すみませ〜ん」
机の上の書類を一つずつ確認して、よければチーフ決裁の印鑑を押し、訂正のあるものは担当者に返してゆく。
「あ〜…どうしようかな…」
一枚の書類に目が留まり、悩む内容。
「まあでもやっぱさ…田辺さんちょっと」
「はい」
さっき背伸びしていた子だ。
「これなんだけどね、これ棒グラフじゃなくて折れ線にしてくれないかな。まあ言いたいことはわかるんだけど、年寄りには目で訴えないとなんで、簡素に行っておいて」
田辺さん少し不満そう。
京介は『お?』と思って面白そう…と内心ワクワク
「不満?」
「不満というか、色分けしたので年配の方にもわかるように工夫はしたんですが」
なるほど。確かに綺麗に色分けしてあって、苦労の跡が滲み出ている。
「まあ、俺たちにはわかるんだけどさ、爺さんどもはこれ…目がチカチカするらしいんだよな」
「あ…」
と呟いて、田辺さんは黙った。
「こういうの決済するのはさじいさんどもだから、つまらないことで上からやり直しくらうの面倒だしさ、俺と田辺さんしか知らないとこで直しちゃおうよ」
「…はい、わかりました」
少しは納得した顔で戻ってくれて良かったけど、あのグラフ一個で2時間くらいかけていそうなのが気になるな…と少し注意してみておこうと京介は考えた。
「ひっるひっるひるごっは〜ん」
変な歌を歌ってやってきたのは佐々木くん。
「なんだその歌」
京介も笑って即ツッコミ。
「昼休みが一番好きなんすよ〜今日何食べます?浅沼さん」
やっと出てきた京介の苗字。
「今日か〜俺は…生姜焼き定食いっとくかな」
「奇遇っすね、俺トンカツいきたいっす。じゃあ岡村亭に決まりっすね」
岡村亭は会社の近くにある定食屋で、おばちゃんが切り盛りしていて家庭の味が楽しめるので人気の店だ。
「田辺さんも行く?奢るよ?」
「え〜浅沼さん俺には〜?」
「男に奢る金はねえんだわ、ごめんな」
「つめてえ〜〜」
そんなこと言ってる先輩の恋人が男なんて知ったら佐々木くんどう思うのだろう…。
「いえ、私はお弁当持ってきているので大丈夫です」
「弁当?手作り?」
佐々木が前の椅子に逆さに腰掛けて、見せて見せてと騒ぎまくる。
「やめとけよ、佐々木。それより早く行かねえと席取れねえから」
「あそうだった!先輩!先行ってます!席取っときますね!」
ぴゅ〜んと効果音が鳴りそうなスピードで佐々木は走っていった。
「じゃあまた今度、飯行こうな。弁当が面倒だった日に声かけて」
上着を着ながら歩いてゆく京介の背中を見ながら、田辺さんはため息をつく。
優しくしないでほしい…田辺さんはそう思っていた。だって浅沼さんは…
昼休みも終わって、京介は会議に出向き16時にやっと解放されて自分の机に戻ってきた。
『新開発のロボットって抽象的すぎる案持って来られてもなぁ…』
椅子に寄りかかり、今日の会議の資料を眺めながら心の声で無駄に長かった会議をディスる。
「コンセプトがねえのに、なんでロボットなんだよ」
「先輩、心の声漏れてますよ」
隣の席の佐々木くんがひそひそ声で教えてくれた。
「あ。悪りぃ。でもそう思わねえ?なんのロボットなのかとか、何に使うとか全く考えてこないで、ただ新開発のロボットってなんだっつー…」
「浅沼ーちょっと」
課長が遠くでおいでおいでをしている。
「聞こえたんですよ…絶対」
佐々木〜流石にあそこまでは…と思うがちょっと怯えてしまう。
「はい〜」
とりあえず良いお返事で、課長の元へ向かった。
「なんでしょうか」
課長席の前にこにこっと立つ。
「さっきの案件な、先様はお前に一任するということだ」
「は?さっきのって…新開発のロボットですか?」
「そうだ。我々年寄りの手には負えん。若いチームを作ってやってみてくれないか」
なんっだそれ…ずりぃ〜
「あの…なんでも良いんですかね。犬とかそういうのでも…」
「ロボットって言ってるんだからなぁ…ああいう人の頭は人型じゃないかなと俺は思うぞ」
さっきの資料を見て、課長は可哀想にな的な顔をする。
「人型の…新開発の……?」
「課長…今回の企業様の新開発の定義とは…」
「俺に聞くな」
ですよね〜〜
「チーム編成は任せるから。取り敢えずやってみてくれ」
「はぁ…わかりました…」
席に戻って頭を抱える。
「なんだったんですか?」
佐々木くんが心配して声をかけてきた。
「はいお前チーム1人目な」
「へ?」
京介は今の話を、同じく不毛な会議に参加していた佐々木くんにも聞かせてあげた。
「いやぁ〜…あ〜うん。頑張りましょう」
佐々木くんは話を聞いて、即座に自分のパソコンと向き合い、
「ロボット工学に強い人材と、コーディネーターを若い年代でリストアップしておきます。そこからチーム編成していきましょ」
なんて頼りになる後輩なんだ。
「じゃあそこは任せたわ。明後日までに」
明後日…と少々戸惑いの声を漏らしはしたが
「わっかりましたー」
と元気に返事したのを聞いて、ータバコ吸ってくるわ…と席を立った。
通りすがりに田辺さんの席の後ろを通って仕事内容を確認すると、例のデータ移行の仕事をしているらしかった。
が、京介が見る限りそのファイルは随分前からやっているように見える。
ーん〜一度話さないとダメかなー めんどくせえなあ…と口を歪めながら喫煙所へと向かった。
「田辺さんちょっと…」
タバコを吸いながら、軽く済む面倒ごとから済ませようとタバコタイムの後すぐに田辺を近くの一番小さい会議室へ呼び出した。
男女2人なのでドアを開け放して、それでもドアから一番遠い場所で長机を挟んで座らせる。
奢りで缶コーヒーを前に置いて話し始めた。
「言いにくいんだけどさ、仕事って効率最優先ってわかってるよね」
「はい」
「田辺さんは仕事が丁寧だし、ちゃんとやってくれるから信頼は置けるんだけどさ…なんて言うか…丁寧すぎる…気がしてる。もう少し効率よくやれば、もっと仕事捗るなあって思うんだ。それと、仕事を頼まれていない時に結構悠長にやってない?って言う話をしたいんだけど、自分ではどう思う?」
言葉を選んだつもりではいるが、一風変わったこの子にどこまで通じるか…
「自分では、できることの精一杯をやっているつもりなので、効率が悪いと言われるのは…」
まあそうくるよね
「じゃあさ、今やってるデータ移行のファイル何日目?」
少し体が揺れた。
「噂でしかないから、違ったら悪いんだけど田辺さんはうちの親会社希望だったんだって?そこダメでうちに来たって聞いてる。はっきり言うけど、それでやる気無くされるのはさ困っちゃうわけよ」
田辺は下を向いてしまった。
「気持ちはわからなくもないけど、やっぱりさ与えられた場所で頑張るように人はできてる…」
「浅沼さんにはわからないです!」
ん?
「まだ若いのにチーフに抜擢されて、それもきちんとこなしながら他の人の面倒も見て」
なんだなんだ?
「私生活も充実していて、私みたいなできない人間の気持ちなんてわからないですよ」
「え〜、なんの話…?」
京介も戸惑うしかない。私生活関係ないし、会社では極力集中していたいのにてつやの顔浮かんじゃったじゃないか!
「浅沼さん恋人いるって言うけど、そこも私『女として』負けてる気がしちゃって」
え?え?本当に何よこの子、何言い出そうとしてる??
と何も言えずにいる京介の前で、田辺さん制服のブラウスの前ボタンを引きちぎってブラジャーに包まれたまあるいバストを露出。京介は椅子を蹴り50cmばかり机から離れた。男子社員の防衛策。
「女です!私も見て欲しい…」
涙ながらに訴えられてどうしたらいいか…と言うことよりも、なんでこの展開に急になったのか解らずに京介は近くにあった電話をとりよく知った内線番号をかけた
「あー小林?うん、手が空いたら第一会議室来てくれない?いや〜空けてよそこは頼むわ。じゃ」
田辺さんはこの状態で人を呼ぶの?と驚く。
「まあ、落ち着きなよ田辺さん。俺は君を否定してるわけじゃないよ?丁寧な仕事も出来上がったものの完璧さもちゃんと認めてる。ただ、もう少し効率をあげてほしいのとそれ以外をダラダラした流し仕事をしないように言ってるだけなんだ」
ー勿論女性だって思ってるし、そこは尊重してるよーとも続けた。
田辺の言いたいことは解っていた。まあよくある一過性の熱病までは行かなくてもそんな感じなんだろうなと京介は踏んでいる。
高身長で目立つし、こう言う経験は今まで腐るほどあった。まあ前をハダけられたのは初めてだけど。
「そう言うことが言いたいわけではなく…私は浅沼さんを…」
「えー、暴行ですかー?コンプラ委員会に訴えてやろーかしらー」
突然入り口で声がして、ウルフカットの女性が田辺さん側へツカツカと歩いていく。
「思ったより早いじゃん」
「早く来てあげたのよ!個室だったしなんかあったのかなって。あったみたいだけど」
小林さんは京介の同期で、これぞサバサバ系の代表みたいな女性。京介も恋愛感情で絡んでこない女として付き合いやすくている人
京介は上着を脱いで
「取り敢えず掛けてあげてよ」
と小林に投げる。
「この状態じゃあんた近づけないもんね」
ふっと笑って、上着を田辺にかけてあげる。
「何があったの?」
京介は両手を上げる
小林が現れ、田辺は萎縮してしまっている。
「そんな怖がらなくたっていいわよ。大体察しはつくわ。田辺さん、浅沼(こいつ)にこのテは効かないわよ?」
「え…」
京介の顔を見てくる田辺さんに京介はにっこりと笑ってあげる。
「まあ丁寧な言い方をすれば、お子ちゃまには手を出さないし、『お付き合い』してる人がいるの田辺さんも知ってるでしょ。あいつの◯玉今空っぽだから、そんな格好したってぴくりともしないのよ」
「小林〜?言い方〜」
「なに?間違ってる?」
いえごもっともです…
「そう言うつもりでは…なかった…んですけど」
「じゃあ女を強調して、浅沼の『お付き合いしてる人』をディスってるの?」
「………」
小林さんは、その辺の事情を京介から聞いて入るのだ。
「それはぁ、ダメでしょうが…」
「画像見る?可愛いよ?」
「お前は黙ってろ」
ーはいー
「あいつがそんな理由で仕事を疎かにしてるとこ見たの?あなた私が見ている限り、言われたこと以外はなんかダラダラとやってるけど、なにしてんの?そう言うところを注意されにここにいるのに、なんでブラジャー見せてんのよ」
男性社員よりも女性社員の方が怖いものだ。
「こう言うやつだから?今までだってこんなことい〜〜っぱいあったわけよ。そう言う男よ?そんな事にも気付けないうちは、この男はあんたに早いのよ!」
田辺は黙って俯くしかない。
「あなたの仕事の内容は誰もが認めているわ。言われたことは本当にきちんとやるし、丁寧。そこを活かしてもっと頑張ってよ」
飴と鞭発動
「恋愛するなとは言わないけど、相手を見ようね。こいつはお付き合いしてる人いなくたって、あんたには早い」
いや、別にそんなことはないけど…と内心思ってはいるが、この場でそれはさすがに言えない。だって小林怖いもん。
「で?私を呼んだ理由は?」
いや十分果たしてくれましたけれど、
「田辺さんに新しいブラウスを支給して、更衣室連れて行って欲しいってこと。あとは全部言ってくれてた。ありがとう。田辺さん、今日はもう時間だし帰っていいよ。明日からまたよろしくね。色々言ったけど、仕事面は期待してるんだから、もっと効率上げていこうな。じゃあお疲れ様」
と椅子を立って部屋を出ようとしたが
「あ、小林。俺の上着、あとで持ってきてね」
よろしく〜と笑って去ってゆく京介に
「パシリにすんな!」
と声をぶつけてから、田辺さんを立ち上がらせて
「行こうか。ブラウスは…あそうだ」
と即効電話をとり庶務へと連絡Mサイズのブラウスを一枚お願いする。
「じゃ、まず更衣室行こ」
「あ…あの…私とんでもないことを…」
「あ〜、大丈夫。言ったでしょ、あいつには通用しないって。なん〜とも思ってない。まあ…良くも悪くも…だけどね。明日からも一切気にせずにおいで。できる子なんだから、仕事はきちんとやればよしです」
更衣室へ連れて行きながら小林は言ってやる。
「やれやれ」
席へ戻ってなんだかまたタバコが吸いたくなった…が上着が来たら今日はもう帰ろうと決め、佐々木くんの人集めに少し協力しながら、上着を待った。
「あれ、平日に珍しいじゃん」
鍵を開けて部屋に入ると、てつやはテーブルに紙を広げていた。
今日は色んなことがありすぎて、てつやの顔が見たくなった。
やっぱり和むわ…
「何してた?」
ネクタイを緩めながら、テーブルに目を落とす。
「あ、片付けるよ、飯は?」
「ああいいよいいよそのままで。飯は食ってないけど、お前食おうかな」
「俺で腹一杯になればいいけどならねえだろ、余計に腹へるぞ。デリバリーするか?」
笑うてつやに
「胸はいっぱいになる」
と答えて ばかなん?と笑われた。
「で、これ何?」
「前に話さなかったっけ、ここ壊して軽めのマンションにするって」
え〜多分聞いてないぞ
「あれ!マジ?めっちゃ言ったつもりだったわ!」
「くわしくきかせろよ〜」
京介は、仕事のことは一旦忘れ、てつやの取り組みの説明を聞く事にした。
ある日のてつや
てつやの朝は遅い。京介は7時に家を出る。まっさんは登校の途中でパンクする学生に備えて7時から店を開けて待機をしている。銀次に関しては4時起きで朝イチに売るパンを作り始めているのに、てつやの朝は大体11時頃から始まる。
のそのそと起き出して、シャワーを浴びる日もあれば、ジムに行ってからジムで浴びる時もあったり、それでも一応仕事みたいなのは、不動産屋の友達を訪ねて、持ちビルとマンションでトラブルはないかとの確認を取ったりはしている。
その日は不動産屋に行く日だったので、11時に起きて水とコーヒーを体に入れ家を出た。
近所の和食屋で朝ごはん兼昼ごはんの焼き魚定食を平らげてジムにゆく。
ロード前の何週間かで鍛えるのは厳しいので、やはり普段から行く事に決め、今は全体的に筋肉をつけようとマシントレーニングを中心に行っていた。
ジムの帰りに不動産屋に寄ろうと思っていたが、土産にスタバでも…と思い道を変えた時、その人と出会ってしまった。
道を曲がってすぐに気づいた。10m先に文治の父親。
「あ…」
と思ったが、でももうなんのしがらみもないので、取り敢えず
「ちわっす」
と、普通に挨拶をした。
「やあ、久しぶりだねてつやくん」
張りのある声で、応えてくる。
「元気でやってるかい?お仲間みんなも」
どういう意味を込めて聞いているのかわからないが、まあ素直に
「ええ、みんな元気っすよ。おかげさまで」
曖昧に笑って、じゃあ…と行こうとするが
「少し話をしないか?コーヒー奢るよ?」
スタバに親指をたてて言ってくる。でもまあ、断る理由…はないことはないけど、まあお茶くらいなら…と
「じゃあ、ご馳走様です」
頭を軽く下げて、お礼を言う。
「じゃあ…中でもいいかな。外は暑いし」
「そうっすね」
てつやは横山がコーヒーを買いに行っている間に、できるだけ広いテーブルを選び、角を曲がって座れるような席を選んでいた。
色々助けてもらった恩義は本当に感じているのだが、まだ少しわだかまりもあって、そう言う席になってしまう。
「おやおや、随分警戒されてるね」
横山は笑って、ちゃんと角の曲がったところに座ってくれた。
「はい、ラテね」
と前に置いてくれて、てつやは再びお礼を言った。お礼もあるが、もう4.5 年前のことも自分の中で申し訳なく思っていたので、それも取り敢えず謝ろうとしていた。
「あの…もうだいぶ昔なんですけど、ちょっと煽りっていうか…すごく悪いことしたことあったじゃないすか…若気の至りっていうか自分でもなんかひどいなって思ってて…」
「ああ、あれか」
横山も思い出したようだ。
「ほんっとすいませんでした」
「いやいや、あれは僕も今よりは若かったからね…君へのアプローチが性急すぎていた。それにね、あれは僕にとっては嬉しい出来事だったから、謝らないでくれよ」
「嬉しいこと…?」
そう、と頷いて その後とても小さな声で
「君とキスできたからね」
と、ニコッと笑った。
「あ、ああ…そう取ってくれたんすね…いや、もっと悪いじゃないすか俺」
「まあまあ、その事はもういいんだよ。今の君が幸せなら僕は満足だし。うまく行ってるんだろう?」
名前を出さないところが大人だなあと思う。
「ええ、まあ…」
先日自分が完落ち*した相手を思い浮かべ、無意識に口角が上がっていたのだろう、それを見て横山は
「いい顔をしているね。彼がそう言う顔をさせていると思うと悔しいけれど、でも幸せならばそれでいい」
てつやは知らないだろうが、この気持ちを自分の中で構築するのに横山はどれほど心で泣いたのか。
多分自分でもこんなに自然にてつやと話せているのは不思議だろうに、それでもきっと嬉しいのだろう。
「いや、どうかな。あ、幸せかどうかといえばそうかもしれないけど、どういうのが幸せかって言うのがあまりわからないから」
「抱かれて、相手のことで全身がいっぱいになることだよ。そうなったら本物だ。幸せってことだよ」
それは先日同じことを思った。全く同じことを京介に言った。
「やっぱり経験値って凄いな」
つい言葉に出てしまった。
「ん?」
カップに口をつけながら、横山はてつやの顔を見た。
「その感覚は…この間やっと…感じられて…俺は奴に完落ち…しました」
その言葉がどれだけ横山に残酷な言葉か…でももう傷はつかないはず。そうじゃなかったらお茶に誘わないし、幸せの感じ方も教えたりしない。
「そうか、やったじゃないか。もう大丈夫。しっかり繋がったね」
笑うと結構可愛い顔してるんだな…と横山の顔を見て、てつやもつられて笑ってしまった。少し照れるけど。
一方で横山も、自分ではそれは出来なかったと自覚した瞬間だった。京介(彼)だったから…。
想い人が幸せになってくれたら…なんて自分を誤魔化すための綺麗事だといい歳になっても思っていたけれど、本当にそう言う気持ちになる事があるんだと、横山もここで学んだ
「なかなかいい勉強になるなぁ」
「え?」
「あ、いやこっちのことさ。 ところでてつやくんは仕事は何をしているんだい?」
「俺っすか。俺は仕事っていうかマンションとビルを一棟ずつ持ってるんでオーナー業っす」
横山さんを前にお恥ずかしながらと苦笑しながらいうと、
「ほう、そうなんだね。いつか僕のお客さんになるかもしれないねえ」
「いえいえいえ、もうそれで十分。あと、いま住んでるアパートを丸ごと買ったんで、そこをマンションに仕上げたらもうやらないっす…食べていけるだけのものを残せたら、あとは自由の身でいてロードしていたい」
笑っていうてつやに、未だに自分がその自由をあげたかったと思ってしまうが、それは内心で訂正をする。
彼はきちんと『自分で』身を立てているのだから。
「そうか、マンションをこれから建てるんだね。もし内装やデザインで困ったら、良かったらでいいけど相談においでね。いい人紹介できると思うから」
「有難うございます。心強いです」
『愛』という言葉が恋人にしか使えないとしたら、愛せる人ではないかもしれないけれど、家族や他人でも尊敬することを『愛』でくくれたら、間違いなく横山は入ってくるかもしれない。とてつやはそう感じた。
頼りになるいいおっさんの立場を確立したよ、文ちゃんとーちゃん。
※ 完落ち話はこれから書きます…
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