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第31話
「千夜さま、最後にもうひとつだけお願いがあります」
汚してしまった室内を片付け、身なりを整えた後、勇が静かに言った。
「何でしょう」
「貴方様の下生えを頂けませんか。戦場を生き抜く為のお守りにしとうございます」
「……承知しました」
愛する人の髪の毛や体毛を持つ、という事は軍人の間でよくある事だった。
帰宅した義三郎は風呂の時に白髪混じりになっている下生えを洗った後で剃刀で剃り、懐紙に包んで勇に渡した。
「ありがとうございます。これで心置きなく戦えます」
勇の赴任先はすぐに戦いが起きる可能性があった。
あたたかい笑顔を見せる勇に対し、義三郎はずっと昔に感じた嫌な感じを再び感じていた。
旅立ちの日。
その前夜に勇に頼まれ、義三郎は勇の髪を自分と同じ五分刈りにしていた。
「千夜さまにお揃いにして頂けてとても嬉しいです」
士官学校での目交いの後の数日、勇はとても穏やかで、出会った頃の様だった。
消えない胸のざわつきを抱えたまま、義三郎は日々を送っていた。
「僕の髪、持っていて頂けますか」
「承知いたしました」
義三郎は刈った勇の髪の毛を懐紙に包む。
「僕の代わりにずっとお傍において下さいね」
「はい……」
向こうに着きましたら、手紙を書きます。
笑顔で旅立っていった勇を、義三郎が再び見る事はなかった。
勇が旅立った後、義三郎は朝比奈家を離れ、士官学校の職員宿舎に移り住んだ。
勇から朝比奈の家は義三郎に託したいと言われ最初は承諾したが、勇がいなくなるとすぐに林に譲渡した。
長らく朝比奈家を支え続けた林の方が持ち主に相応しいと思ったからだ。
「勇殿が戻られる際はわたしも戻ります」
林にそう告げて出ていった義三郎だったが、その時は来なかった。
勇の戦死を、義三郎は士官学校で聞いた。
最前線で死を恐れず突撃していった勇の身体は兄のように故郷に戻る事が叶わない状態になったそうで、朝比奈の家には戦死を告げる手紙だけが届けられたとの事だった。
「勇殿……」
毎日朝比奈少尉への墓参りを続けながら、義三郎は勇の髪の毛を肌身離さず持ち歩いていた。
勇と離れてからの義三郎は少尉との夢を再び毎晩見るようになったが、目覚めた時には勇に愛され続けた身体が勇を求めて疼きだし、自分自身でそれを慰めては己の浅ましさに辟易していた。
勇殿は。
勇殿はおれにもう逢うつもりはなかったのだろうか。
心に浮かんだ疑問の答えは、勇の死から1ヶ月過ぎた頃、士官学校に勇が書いた義三郎宛の手紙が届いた事で判明した。
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