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第5話
5.告白
【緑川さん、今日、帰りって何時ごろ?ちょっと話したいことがあるんだ】
数生 がメッセージを送ると、ユリは四限目が終わったあと学生がほとんどいなくなった理工学部の食堂に現れた。
数生に気付いて手を振ったユリは、千早ちはやが並んで座っているところを見て「あ」と小さく声をあげた。
「あれ、千早 くんだよね?!お久しぶり。そうそう、同じ大学に入ったって聞いてたんだあ。建築学科なんて、なんか意外。理系だったんだね?」
「…はい、お久しぶりです」
いつになく千早は緊張して喉がカラカラになってしまい、それだけしか言葉が出なかった。妙に堅くなっている千早にユリは「?」と、不思議そうな顔をしながら目の前の席に腰を掛ける。
チラリと横を見ると、数生はなんら迷いのない様子で真っ直ぐにユリを見つめている。だから千早も覚悟を決めて顔を上げ、ユリの方を向いた。
「ごめんな緑川さん、急に呼び出して。今日はサークルの用事とかなかった?」
「うん、文芸サークルは顔出したところで大学祭の季節まではたいした活動してないし、大丈夫だよ」
高校の頃は茶道部に入ってたっけ。文学部で文芸サークルだなんて、よほどユリは本が好きなのだろう。そういえば高校の頃、数兄 が珍しく難しい顔をして小説を読んでた時期があったっけ。あれはユリに薦められて読んでいたんだろうなと、今になって千早は気付いた。
「あのさ…緑川さんにずっと黙ってたことがあって…」
「…え?なになに、どうしたの?」
言い淀む数生の逡巡が伝わってきて千早は手にじっとりと汗をかいてきた。ごくりと唾を飲み込む。
「俺、付き合ってる人がいて…」
「うん、言ってたよね。…あ、ごめん!もしかして彼女にわたしのこと、咎められたりした…?だとしたら、本当にごめんね…」
「…違うんだ。あのさ…付き合ってる人っていうのが、その…」
「ん?」
と、ユリは純粋な表情で首を傾げる。千早はいよいよ前を見ていられなくてギュッとこぶしを握りしめて俯いた。
「…こいつなんだ」
「え?」
「付き合ってるの、この…千早なんだ」
「……え」
「ごめん、緑川さん。ずっと、言えなくて…」
「え、えええ〜〜?!」
初めてユリがそんな大きな声を出すのを耳にして、そりゃショックだろうなと千早はますます下を向いた。恥ずかしいわけじゃないけど、ユリがいるのに無理やり数生を自分のものにした罪悪感が今さらながら改めて蘇ってきた。
「…驚くよな。ごめん。その…相手が相手なだけに…誰にも、言ってなくて」
数生は言葉を選びつつもちゃんとユリの目を見て話し続けている。ああ俺の好きな人はちゃんとした人なんだなと、俯きながらも千早は胸をじんとさせていた。
ユリはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「わたし、あのとき、倖田くんに別れようって言われて…好きな人ができたんだろうなと思ってたけど、その後も誰とも付き合ってる様子がなかったから、他の学校の人なのかな?とか思ってたんだ。それとも、その人とはダメになっちゃったのかな、とか色々考えたりしてて…。あと、わたしが何か嫌われるようなことしちゃったのかな、とか思ったり…」
「本当に悪かった…ごめん。緑川さんには全然、悪いとこなんかなくて…俺もあの頃、緑川さんのこと、本当に…」
そこまで言ってハッとしたように数生は言葉を切った。
「…なにしろ、俺が全部悪かったんだ。千早を、俺———」
「———っ、ごめん、ユリさん、数兄は悪くないんだ」
思わず千早は口を挟んでいた。
「俺がっ…!俺が…。数兄のこと、昔からずっと好きで…二人が付き合ってて、うまくいってるのも知ってて邪魔した。しつこく、数兄に付き合ってくれって頼んだんだ。あんまり俺がしつこくて、数兄は、優しいから…。俺の言うこと聞いてくれて、ユリさんのこと…好きだったのに断って、俺と付き合ってくれるようになった…」
「千早…」
数生が心配そうな眼差しで千早を見る。千早は顔を上げてユリの顔をちゃんと見た。ユリは、びっくりした表情のまま固まっている。
———やばい。引いたよな、きっと。
千早はぎゅ、とまた爪が食い込むほど手のひらを握りしめて続けた。
「ユリさんに俺、数兄のこと、悪いように言ったことがあったの、覚えてる?あれも、邪魔しようと思ってやったんだ。少しでも数兄に幻滅すればいいのに、って。それで数兄がフラれればいいのにって思って…。俺、最低だよね。ごめんなさい…」
そこまで一気に言って頭を下げた。あのときは数生を手に入れて浮かれていたけれど、消えない罪悪感がずっと自分の中に残っていたことを千早は初めて自覚した。
けれども頭を上げない千早の上に、ユリの言葉が柔らかく降ってきた。
「千早くん、もう、いいよ。わたし、倖田くんのことはあのとき諦めたんだ。もちろん、しばらく落ち込んでたけど…振られたってことは、きっとすごく好きな人ができたんだな、って思ってたんだ。それは、千早くんだったんだよね」
「…うん」
数生が答える。千早はゆっくりと顔を上げて数生とユリの顔を順番に見た。
「…いくらしつこく言い寄られたとしても、わたしの知ってる倖田くんってすぐ気持ちが変わっちゃうほど軽い人じゃなかったと思うんだあ。…千早くんのこと、わたしより好きになったってことだと思う。だから、わたしの負けってことで大丈夫だよ」
「負けって…。ユリさん」
千早は瞬きを何度もした。驚いていたし、納得した。数兄の好きになった人って、やっぱりこんな人だったんだな、と。
「緑川さん、本当に、ありがとう。ごめんな…」
数生が隣で頭を下げた。
「やだ、何回も謝らないないでよ、倖田くん。わたしも、最近お世話になってて悪かったなあ、って思ってたの。もう倖田くんに頼るのはやめるし…」
「いや、緑川さん、それは…!」
「ユリさん…!いいんだ。それは、これからも数兄を頼ってよ。ていうか、俺も協力する。ヘンな奴に付き纏われてるんでしょ?」
遠慮するユリに必死に千早は言った。
「うん…。まだ、たまーに、男の人に、つけられたり、盗撮されたりしてる気がするんだ。なかなか解決しなくてごめんね…」
「ユリさんが謝ることなんてないよ。ね、そいつ、捕まえよう」
「え?」
「数兄と俺、交代でできるだけユリさんを帰り道、送ってくよ。で、そいつを引っ捕まえてボコボコにしてやろう」
「って、おい千早、やり過ぎるなよ…?」
意気込む千早に数生が青くなって言った。
「大丈夫、殺さないから」
「当たり前だ…」
「…友達と帰ることもあるから毎日じゃなくて大丈夫だけど…。本当に、もうちょっとの間だけ…二人に頼っても、いいかな?」
「うん、大丈夫」
何故か千早の方が張り切って答え、数生は呆れたように言った。
「お前って調子いいよな…」
「なんだよ、だってそいつをどうにかしない限りずっとユリさんは怯えて暮らすことになるんだろ?可哀想じゃん」
「……お前なあ」
二人のやり取りをきょとんとして見ていたユリは、口を押さえて「ふっ…あははっ…」と笑い始めた。
「ユリさん、笑ってる場合じゃないだろ」
「…だって、なんか可笑しくて。さっきはお互いに庇いあってて、素敵だなって思ってたのに…今は、本当の兄弟みたいで。ふふっ…」
なおもくすくすと笑い続けるユリに、
「…ともあれ、緑川さんが元気そうで良かったよ」
と、数生は頭を掻きながら締め括るように言った。
千早は、やっぱりこの二人の組み合わせって悪くなかったんだな、と数生とユリを見比べて思っていた。
———けどな。そうだよな。数兄は、俺を好きになってくれたんだ。
平和に笑い合う二人を見て胸がなんだかしくしくと痛くなったけれど、こんな二人を別れさせたんだから俺は絶対に数兄を幸せにしよう、なんて、そんな決意を密かに千早はしていた。
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