30 / 156

第六章 5

「ただのオシャレさんかと思ってた」  さっきまでのテンションをぐっと下げて、囁くように言う。  意味が良くわからない。 「いつも前髪気にしてたから」   その言葉ではっとした。  ──時には、もう遅かった。その手で前髪を撫で上げられ、額が全開になった。  そうだ、と思った。  あの時、大地と一緒に倒れ込んで、前髪が乱れた。  見られたのは、大地にだけじゃなく、上から覗いていた明にも見られたんだ。  楽しげな顔のその瞳が、一瞬だけ大きく見開かれたのを、僕は見逃さなかった。でも、その後の騒ぎで忘れてしまっていた。    あの瞳の動きの意味は?  嫌悪?  それとも、同情? 「…………」  目を細めてそれを見ている。  何事かを考えているかのように。 「おいっ」  大地が怒声を上げて、明の手を掴もうとした瞬間。 「気にすることないよ」    今まで聞いたことのないような、酷く温かみのある優しい声がして。  ふわっと何かが額に触れた。  柔らかくて、温かい何か。 「ぅ……わーっっ!」  叫んだのは僕ではなく、大地。  それからどんっと明を突き飛ばした。 「ったたたっっ」  バランスを崩して思い切り尻餅をつく。 「俺の七星に変なことすんなーっっ」  ぎゅうっと大地が僕に抱きついてくる。    え? 俺のって?  変なことって?  あ……今のって……キス……?    ちょっとどきっとしたけど。  でも、今のは母親が子どもにするような感じに思えた。  僕より大地のほうが明の行動が気に入らないようだ。 「はい? 俺のってどゆこと?」   明の言葉に答えず睨みつけている。  今の騒ぎで、テラスで同じように昼休みを過ごしている生徒たちがこっちを見ている。  明はぱっと立ち上がると、軽くスラックスをはたいて、 「もう、行くわ。じゃあね~~」  と軽いいつもの調子で去っていく。  それを見送ると 「あ、ごめんっ」  我に返ったのか飛び退くように離れた。  それから、また二人並んで壁に寄りかかって座った。  なんとなく気不味い沈黙が訪れ、お互いの顔は見ず、同じように前方を向いていた。 「もう戻ろうか」  先に言い出したのは大地。  そろそろ昼休みが終わる時間。 「うん、そうだね」  立ち上がりながら、やっと大地がこっちを向いた。 「傷は男の勲章だぜ」  親指を立てて、にかっと笑う。  え……。  先を歩く彼の背中を見ながら、ぷっと笑ってしまった。  ちょっと古くさい。  でも、の樹が言いそうで。  そして、言って欲しかった言葉かも知れない。  そう思った。 ★ ★  そして、放課後。 「じゃあ、練習頑張って」 「おー」  部室棟の前で大地と別れ、一人校門へと向かう。校門を右に曲がったところで、誰かにぶつかった。 「わ、すみません」  ぺこぺこと頭を下げてから顔を上げる。 「ななちゃん」  相手は明だった。 「あ、メイさん」  明は痛そうに腹を押さえていた。 「痛かったですか、そんなに強く……」  なんか位置違くない?  という素朴な疑問が浮かんだ。  案の定。 「あ、違うよ。これは。今のはそんなに痛くない」  そう言いながらめちゃくちゃ苦しそうな顔をしている。 「ななちゃん、ほんとに樹とただのご近所さん?」 「え?」  突然樹の名前を出され、どきんと心臓が跳ねる。 「樹にグーでやられた」 「グーで?」  腹を拳で殴られたということだろうか。 「ななちゃんの傷見たとか、キスしたとか言ったらアイツ、無言でやりやがった」  視線が移動した。  追うと、ずっと先のほうにT高校の生徒らしい人影がある。  いっくん? 「くそっ。なんなんだ。気分わりー。じゃあ、オレ行くから」  ん? オレ?  そういえば、さっきから口調が。 「あ、はい、さよなら」  そう答えた時にはもう樹とは違う方向に歩いていた。  家は同じ方向にある筈なのに。      どういうことなんだろ。  明の余裕ない感じも気にかかったが、彼の言葉はそれ以上に気になった。  いっくんが?──まさかね。  きっと何か別の理由だろう。  そうとしか思えなかった。

ともだちにシェアしよう!