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第十八章 5

 胸がきゅうっと痛くなる。    (間違いない。  あの女性(ひと)がいっくんの彼女。  学校で、きゃーきゃー騒いでる女子とは違う。  綺麗で、大人っぽくて、素敵なひと。  いっくんも柔らかく微笑んで……。  あんな顔は他の女子にはしない……)  軽く会釈した綺麗な顔が頭に浮かぶ。 (なんだよ。あれ。  余裕の笑みってヤツ?)  自分らしからぬ汚い言葉を胸の中で吐いて、はっとする。 (そんなわけないじゃん。  いっくんもあの人も、僕の気持ちなんて知らないんだし)  恐らく樹が僕のことを「友だちだよ」とでも耳打ちして、それで会釈しただけなんだろう。  樹が淹れてくれたカフェラテを僕はじっと見つめた。カウンターの上でぎゅっと握り締めた両の拳は白くなる程だった。 「……ナ。……ナナ?」 「……あ、いっくん」  いつの間に樹が戻ってきて僕の傍らに立っていた。長い時間のように思えたけど、実際はそんなに経ってはいない。 「何? その顔」 「えっ? どんな顔?」  いったい自分はどんな顔をしているんだろう。すごく嫌な顔をしていたらどうしよう。  慌てて自分の顔を触ってみる。  そうしたところでわかる筈もないのに。  樹は僕の気持ちを探るかのように顔を見つめていたが、そのことについては何も答えなかった。 「何時までいる? 俺今日五時までだから、それまでいるんだったら一緒に帰ろう」 「あ、うん……」  いつもだったら即答していただろう。  でも今は少し複雑な気持ちだった。  それでも、やっぱりその言葉は嬉しくて。 「じゃあ、待ってるね」 「おー」 (友だちでいいんだ。  一番の友だちで。  やっぱり……一緒にいたい)  その気持ちのほうが強かった。  樹はいつも通り自転車だった。  一緒に帰ろうと言われたが、それも駅までのこと。 「僕も自転車でこれば良かったかなー」 「自転車あるのか?」 「ないけど」  そう答えると「だめじゃん」と可笑しそうに笑われた。  最近笑ってくれることも多く。僕は密かに嬉しく思っていた。 「それに、お前の体力じゃ無理な距離じゃないか?」 「そうだねー」  あははと二人で笑い合う。  すごく良い雰囲気なのに。 「ねぇ……いっくん」  僕は、自分でも訊きたくないことを言おうとしている。 「なに?」 「あの人……」 「あの人って?」 「ほら、いっくんが見送りに出た……外まで見送りするの、珍しいよね」 (遠回しすぎる~~)  なかなか核心を突くことが出来ない。 「ああ……彼奴」 「か……彼女できたって聞いたんだけど……あの人……?」 「……まあね」  はっきりは言わないけど。  僕に向けた笑顔とはまた違う。  柔らかく優しい瞳。  ちょっと照れ臭そう。 (ああ。  もう、泣きそう) 「そ……なんだ。……えっと、いいの? 早く上がれたんなら、彼女とデートとか……」  その辺はもう聞きたくないのに。  頭がぐるぐるしちゃって止まらなくなる。 「彼奴……大学生だから忙しいし。今日も用事あるって。──俺から告ったから、あんま無理言えねぇ」 (なにそれ?  なんだよ、それ?  いっくんらしくもない。  そんなに……好きなの?) 「なんで、そんな泣くのを我慢してるみたいな顔、してるんだ?」  またじっと見つめられている。 「さっきもそんな顔、してたな」 「そ、そうかなぁ。そんなことないよぉ」  えへへっと無理に笑う。 (どうか、騙されてくれますように) 「そう?」  さらっと流してくれてほっとする。 「あ、ここまでだな」  気がつくと、もう、いつも別れる駅の前だった。 「じゃあ、気をつけて帰れよ」 「いっくんも」  遠ざかって行く後ろ姿は、いつもと違って滲んで見えた。    

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