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第4話

 吉継が予め告げていた帰宅時間は十八時。  山科は吉継が今まで時間を破ることはなかったので心配しつつも、少し遅れるくらい…と軽く考えていた。  三十分を過ぎても帰って来ないので吉継に電話をしたら、スマホを持ち歩いているはずなのに、吉継の部屋から着信音が鳴ったので、慌てて厚木に連絡してきた。  「こちらでも探してみよう。…ああ、時間になったら帰っていい。見つかったら連絡する、気にするな」    「どうされました」  通話の内容を聞き、ただならぬものを感じた笠井だ。  「吉継がいなくなった」  「ええっ」  「連絡用のスマホを部屋に置いたままらしい」  「…今日は通院日でしたね」  押元に電話をかけている。通院はしたらしい。  笠井が調べたところによると、今の段階では、周辺で大きな事故や事件は起きていないようだ。  「行きたいところでもあったのでしょうか」      「…席を外す、適当にごまかせ」  「ええ? この会食すっぽかしたらまた方々から嫌味言われますよ」  「言わせておけ、中身はない会食だ。車を出せ」  「はぁ…どちらへ? 行き先に心当たりでもあるんですか」  吉継が行くところは一つしかない。            笠井に車を手配させて、着いたのはワンルームのマンションだった。  「ここで待っていてくれ」  「はい」  運転手を待機させ、マンションの階段を登る。エレベーターはない。  四階の一室が吉継の自宅である。吉継は、選手向けの寮を断り、ここから会社に通っていた。新築で入居したのか、きれいなマンションである。    窓からは、薄明かりが漏れている。  吉継は初めて会った時から帰りたがっていた。  今までは治療を受け入れていたが、もともと患者としての自覚がない。ふと沸き上がった衝動のまま帰宅したに違いない。  インターホンを押す。  しばらく待つが、返事がないためもう一回。  中で何かが動く気配、それは一人しかいない。    『…帰ってください』  「吉継、話をしにきた」  『話すことなんてありません、帰って』  「連れ戻しに来た訳じゃないから、中に入れてくれ」  『…』      鍵の外れる音がして、扉が開く。  「ありがとう、いいこだ吉継」  ワンルームにしては少し広めだが、長身の吉継には手狭に思われる。高身長向けのベッドが居住空間の殆どを占めていた。    「今更…どうして来たんですか」  「断りもなく勝手なことをしているからだ。第一、お前が俺に会いたくないと言ったんだろう」  「そんなの…」  家主を差し置いて、ベッドに座る。  吉継は床に正座する。  落ち着きがなく、厚木を歓迎していないことは一目瞭然だった。  久しぶりに見る吉継は、三食昼寝付きの生活をしているおかげで毛並みは良い。しかし、少し疲れてみえる。    「吉継、療法士とのプレイでは満足できないか」        早く帰ってくれとでも言うように下を向き耐えていた吉継が、厚木を睨みつける。  「厚木さんには関係ない…!」  普段は大人しい吉継が声を荒らげて怒っている。それが答えだった。  「俺に言いたいことがあるのかって、そんなの…」  「…」  「あんたにはその程度でも俺は…」  「吉継」  厚木の言葉を遮るように首を振って拒否する。  「俺のこと捨てないって言ったくせに…」  「吉継」  「うそつき…やっぱりあんたも一緒だ…」  「でももういい」  虚ろな目が濡れている。  「厚木さん、お願いです」  吉継が厚木の足に縋る。  「通院もカウンセリングも言われたとおりにします。療法士ともプレイします。それ以外も…だから」  あの家には帰りたくないと言って涙を流す吉継が憐れだった。  吉継は、厚木が来るのを待っていたのだろう。  あの朝も、その後もずっと。  厚木の言葉を信じていたのだ。  それが憐れで、愛しい。      さめざめ泣いている吉継の頭を撫でてやる。  厚木の膝はびしょ濡れだった。  「一人にして悪かった。聞いてるかどうかは知らないが、俺はあの家を出禁にされている。来たくても来られなかった」  「…あ、っ…厚木さんの家なのに…」  「今はお前のためにあるようなものだ」

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