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第6話
「今日は厚木さん来てくれますか」
朝一で吉継がそう言ったらしく。
厚木は、笠井のスケジュール調整で定時に帰ってよいことになった。
「どうしたら、蘭さんのあんな表情が引き出せるんですか」
笠井が不思議そうな顔をしている。
厚木は昨日からそんな顔ばかり見ていた。
淡々としていて物静か、無口で大人しいというのが吉継の印象だった。あんなことがあった後でも、気丈に振舞っていると思われていたようだ。
それが、はにかみ笑顔が増えて雰囲気の柔らかい好青年になったらしい。一晩で。
「さあ」
吉継は笑顔一つで、曲者で扱いにくい山科や笠井の心を簡単に掴んでしまった。
厚木には、その事実のほうが薄ら寒く感じる。
「社長、まさか昨日は変なことしてませんよね…」
「…いちいち余計な詮索をするな」
「あなた外道ですか」
「何もしてない」
「なら最初から誤解を招くような言い方はしないでください、訴えますよ」
昼休み。
玉子焼きに定評がある仕出し弁当を食べていると、押元がやって来た。
笠井には話が通っているだろうが、厚木にアポは来ていない。しかも昼食中。
厚木のやたら豪華な弁当を見て、鼻で嗤った。
だいたい、”傷心”であるところの吉継に手を出し、さらに傷を深めたということで、厚木の立場はヒジョーにビミョーである。
最近のあたりの強さはこれに尽きる。社長としての威厳は地に落ちていた。
合意であるので、ネットニュースのトップ検索ワードにならなくて済んでいるが、警戒はされている。
当然、吉継側の意見も聞いているはずであり、厚木との行為を合意と認めたということである。
厚木にとっては、そのやり取りのほうが地獄絵図に思えるが…。
そんなことで厚木周りは皆、吉継の警護隊にジョブチェンジした。
「今日は、蘭さんに会いに行かれるそうですね」
「ああ、プレイもする」
「…はあー…」
「吉継からも聞いてるだろうが」
「いえ、違うんです。今日は謝りに来ました」
「あ?」
「あなたが治療の妨げになると言ったことです。すみませんでした」
「ああ…」
「蘭さんは、あなたにSubとしての欲求を満たしてほしかったんですね」
「…」
「通院のあと行方不明になったことは聞いています。厚木さんのおかげですぐに帰って来たことも」
「あいつが行けるところなんか、たかが知れてる」
「ええ、昨日あなたと話ができたと教えてくれました。本当はあなたとプレイをしたかったと」
押元が吉継と話をしたところによると、今までの当たり障りのない話ではなく、本音の部分をちゃんと話してくれたとかで、今までの治療が合っていなかったと認めるしか無かったようだ。
曰く、事件のことはあまり記憶にない。それよりも、|命令《コマンド》がほしくて必死だったこと。
療法士とのプレイは、物足りないくらいだが、ある程度の欲求なら解消される。
厚木とのプレイで治療を受ける気になった。厚木がプレイしてくれると思ったのに、療法士を充てがわれ、様子伺いも無くなったので、もうどうでもいいと思われたに違いないと思ってショックを受けていたこと。
バレーボールは好きだが、最近視力が落ちてきている気がするので、選手として復帰しても長くは続けられないと思っていること。などである。
「蘭さんには、トラウマケアよりもダイナミクスケアの方が重要なんですね。サブドロップしていないので、トラウマの方を優先させました…」
「普通はそうだと思うが、アイツはちょっと頭のねじが緩い」
長い間、暴力という危険に晒され続けた結果、ねじを緩めるしか無かったんだろう。
ねじが緩いおかげでサブドロップしてもおかしくない状況でも平然としていられる。それは幸か不幸か。
「厚木さんとのプレイが、蘭さんにとって重要なことだとわかりました。治療と平行して、これからもできる限り彼とプレイをしてください」
「あたりがキツイのは終わりか」
「え、それはちょっと楽しくて…」
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