8 / 12

63 不穏

 しばらくすると実治と入れ違いで理玖がフロアに入る。理玖はこの店でも古株で、ここに来る常連の大半は理玖と会話を楽しみたくて来店していると言っても過言ではない。とは言っても客に下心があるわけではなく、理玖も客のために居心地の良い空間を作っているだけ。客として来ている俺に対しては最初の扱いが影響してかいまだにそっけない接客をされるのだけど、それはそれでお約束だから俺はなんとも思わなかった。でもいつもと変わらない接客で客と会話をしている理玖を見てなぜか違和感を覚えてしまった。 「……なあ? 理玖、ちょっと」 「何?」  思わず呼び止めたもののその違和感の正体がわからずにいると、そっと顔を近付けてきた理玖が俺に「大丈夫だから」と囁いた。  一体何が「大丈夫」なんだか。俺には理玖の言ったことの意味がわからなかった。    ああそうだ──    この小さな違和感。いつもと違って理玖は目の前の客と話しながら周りを気にするように小さく目が泳いでいて落ち着かなく見える。他の客と喋っている理玖をじっと観察していて俺はやっぱりおかしいとやっと気がついた。 「なあ、伊吹さん。理玖、何かあった?」  思わず伊吹に声をかける。俺が理玖の異変に気がついて伊吹が気がつかないわけはないから。 「うーん、何かあった……ってわけじゃないんだけど」  そう言って伊吹は少し言いにくそうに俺に向かって違和感の理由を話してくれた──  ずっと「運命の番」に焦がれてやっと巡り会えたかけがえのないパートナー。そんな大切な人が得体の知れない何かに脅かされていることに今の今まで全く気が付かずにいたことが情けない。ましてやその事態にいち早く気づいたのが伊吹だなんて、俺は一体何をしていたのかと不甲斐なくなる。  ここ数日、姿は確認できてないものの何者かに付け回されている気配があるのだそう。理玖は「気のせい」だと気に留めてはいなかったけど、伊吹に言わせるとその気配は僅かながら悪意が含まれているのを感じるから用心に越したことはないと警戒していた。 「伊吹さん? あんた大袈裟に言って無駄に理玖を脅かしてるんじゃないでしょうね?」 「いや、気配がするのは確かだよ。理玖本人は全く気にしていないようだけどね」  俺から見た理玖は誰かに恨まれるような人間ではない。ただ出会う前は理玖がどんな生活をしていたかなんてさらっと聞いただけだから、もしかしたら理玖に惚れていた奴から変な恨みをかっているのかもしれない。感情が拗れてストーカーと化すことなんてよくあることだ。想像すればするほどザワザワとした気持ち悪さがゆっくりと侵食していくようで、俺は落ち着かなくなってしまった── 「翔? 大丈夫だよ? そんな気にしなくていいから。なんてことないよ。店長が大袈裟なだけなんだよ。俺なら大丈夫。もう、そんなくっつかなくったっていいから」 「いや、ダメだろ。ストーカーかもしれないんだろ?」  店が暇だからと理玖は早めに仕事をあがる。帰り道中、俺はいつも以上に理玖を自分の方へ抱き寄せ歩いていたら「邪魔」と嫌がられてしまった。  誰よりも鋭い伊吹がああ言っているんだ。絶対気のせいなんかじゃないはず。理玖は俺に心配をかけまいとなんでもない風に装っているのがわかるから、尚更俺は黙っていることなんてできなかった。 「いいの。俺がそうしたいだけだからさ、守らせてよ」 「だから、大袈裟なんだって……守らせろって、俺男だよ?」 「大袈裟じゃない。心配なんだよ」  大袈裟だと呆れつつ、なんとなく嬉しそうな理玖を見て俺は少し安心する。 「今日も泊まるからね」 「うん」  これはいい機会だと、俺は以前から一人温めていた計画を理玖に話すことに決めた。

ともだちにシェアしよう!