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第9話
『いい子にしてた?おいしそうな牛タンがあるよ!』
哲平、君は僕に会いたいんだね。残念ながら僕はそうでもない。
「仕事あがったら行くよ。じゃあね」
電話を切る。僕は今日哲平と寝るのか?それができるのか? 正直わからなかった。自分がどう反応するのか、できるのか。哲平に抱き締められて、僕はどうなるんだろう。どっちにしても気が重い。
店を出て電車の停留所に向かう。その僕の隣に車がすべり寄る。
「トモキ」
車から聞こえたのはミサキの声。
「乗って」
ミサキがそう言うから僕は助手席に座った。ハンドルを握るミサキは何だか変だ。車を運転していること自体に違和感がある。
「運転できたんだ」
僕の呟きに返事はない。
「ミサキの家でおりるよ。そこから電車に乗るから」
ミサキは前を向いてハンドルを握っている。乗れと言ったくせに、不機嫌そうにされても僕はどうすることもできない。
「いいよ、トモキの行くところで降ろすから。道を教えて」
「ミサキの家で降りるから。なんで車なの?」
「月曜に南区で仕事があるから会社の車をあてがわれた。このあと朝倉の家に行くんだ。僕はその前にトモキを送り届ける」
「……そうなんだ」
ミサキの家から哲平のところまでは電車に乗ればそれ程時間はかからない。
「トモキはどこにいくの?」
「どこって哲平の所だよ。ミサキの家から少し歩いて電車にのるよ」
「そこまで送り届ける」
「いいよ、そんなことしなくて」
「僕がそうしたいんだ、トモキ」
ミサキの頑なさに少し驚くと同時にウンザリした。僕には僕の生活があるんだよ、ミサキと一緒でね。
「じゃあ、このまま南にいって」
僕達はそれっきり黙りこくった。僕はミサキの横にいるのに哲平とこれからどう過ごすのか、自分がどうふるまえるのかを心配している。その不自然さに気持ちが沈む。
「電車の線路が右に曲がるから、そこを曲がって」
ミサキを見る。凍ったような冷たい横顔だ。だってどうしようもないでしょ?そうだろ?ミサキ。
「トモキは残酷だね。別の男のところに送らせるなんて」
僕のイライラは頂点に達する。
「あなたが送っていくって言ったんだよ。僕はそれを望んでいなかったのに!」
「僕は……そうだね、情けない男だ。君がどこにいくのか知りたかった。知りたくないのに。 知ることでこれからトモキのいない生活に立ち向かえるような気がしたんだ。でも今後悔している。だって意味のないことだと気がついたから」
僕は何も言えなかった。昨日の言葉を思い出す。「逆だったら?」もしこれが逆で、僕がミサキを家族のもとに送る立場だったら?
どす黒い想いが心に広がる。そんなことは耐えられない。そんな現実は重すぎる。
ミサキ、そんなに自分を虐めなくていいのに。
「ミサキ、もし逆だったら僕がどうするか教えてあげるよ」
ミサキが僕の顔を見る。諦めにも似た表情は僕の心に火をつけた。
「そこの道を左に」
車はなめらかに左折した。
「その先右手に病院があるから。そこの駐車場に止めて」
病院はもう診療時間と面会時間を終えて駐車場に車はいない。真っ暗なガランとした場所の真ん中に車がとまる。ミサキは僕の顔をみて、不思議そうだ。
「ミサキ、逆だったら僕はこうする」
僕はおもむろにミサキのベルトに手を伸ばした。ミサキがびっくりしたように手で僕の腕をつかむ。僕は構わずベルトをはずしてスーツのパンツをひきずりおろしトランクスの上からミサキを握りこむ。
力を失っている。ミサキが昂ぶっていないのを知るのは初めてだ。僕は下着をおろし、ミサキを咥えた。
「と、ともき、どうしたの……んん」
僕は執拗にミサキを舐めまわす。裏筋を舐めあげ、先端に舌を尖らせる。どんどん口のなかで大きくなるものを吸い上げ、吐き気がする一歩手前まで深く咥えこむ。
右手で根元を扱きあげ、口で深く吸い上げる。左手で下の柔らかい袋を優しく揉みしだく。
車内にはミサキの息遣いしか聞こえない。最初戸惑っていたミサキの手が、今は僕の頭に置かれていた。むずがるように髪をまさぐる仕草は、さらに欲望に火をつけ舌が膨らむ。
根元を握る手は唾液ですべり、舌先にミサキの味を感じた。僕自身もジーンズの中で膨らみ、痛いぐらいだ。たぶん濡れてしまっている。
ミサキの太ももに力が入る。僕が舐めあげ、吸い上げるたびに腿の内側がひきつれるように収縮する。もうすぐだね、ミサキ。
「ん……あぁぁ、と、とも、だめだよ。もう……」
僕はやめてあげないし、やめる気もない。いっそう深く、いっそう早く、そして強く。どんどんミサキを追い上げる。
ミサキの足が突っ張る。僕の頭をまさぐっていた手はもう動いていない。もっと深く飲みこむのを助けるように強く僕の頭を押さえこんでいた。ミサキがどんどん大きくなる、
「と、ともき、ああ、だめだ、イク、い……」
ミサキの声はクラクラする、痛いぐらいに大きくなっている僕が脈打ち苦しい。
「だめだ。あぁあぁ……あ!」
いっそう深く飲み込んだ僕の喉奥にミサキの欲望が放たれた。
「んん、あぁ……ああ……んん……」
ビクビクと痙攣しながら声をもらすミサキを丁寧に舐めあげる。僕が口を離しても、まだ力を失っていないミサキをみて僕の後ろがキュっと締まる。欲しいけど、今欲しいけどダメだ。
ミサキは荒い息を吐きながら潤んだ目で僕を見た。そんな顔しないでよ、ミサキ。我慢できなくなる。
「ミサキが家族のもとに帰るとき、僕はこうして自分をあなたに刻みこむよ」
僕は挑むようにミサキを見る。ミサキは悲しそうにほほ笑みながら言った。
「こんなことされたら……僕は帰れないよ」
僕は車を降りた。『僕は帰れないよ』その言葉だけで充分だった。ミサキは僕のものなんだ。 ひきつれるようなミサキの味を喉の奥に感じながら、一人歩き出した。
哲平の家に合鍵で入り、急いでタンスに向かう。下着を取り出して履いているものを脱いだ。やはり下着は濡れている。ここで自分を慰めることを考えたけれど止めた。いつ哲平が帰って来るかわからない。
汚れた下着をカバンにつっこみ冷蔵庫をあけた。中に口のあいていないミネラルウォーターがあった。コップに注ぐ間も我慢できずラッパ飲みをした。喉の奥がイガイガする。流れ込む水が少しだけミサキを洗い出す。
ようやく一息ついたところに哲平が帰ってきた。危ないところだった……僕が20日ぶりに会う恋人に思ったのは、そんな酷いことだった。
「なんだよ、冷蔵庫の前に座ってラッパして。コップにいれて飲めばいいのに、子供みたいだね」
哲平の優しい笑顔は僕の心を引きつらせる。にっこり笑った哲平は僕の手からペットボトルを取ると、そのまま口をつけて飲み始めた。
ああ哲平、それは……。ミサキの味がしないだろうか?さんざんミサキを舐めあげた僕が口をつけたペットボトルだよ?
この時初めて僕は罪悪感にかられた。今ここで正直に話したら哲平は何と言うだろう。他の男を咥えてきた口で飲んだ水を君も飲んだんだよ。そう言ったら、哲平は僕を殴る?
ミサキがいなくなったとしても、僕は哲平と一緒にいられないと確信した。僕は一人になるべきだ。哲平……ごめん。
そのあとどうやって過ごしたのかあまり覚えていない。お土産の牛タンを焼いて食べた。ビールを散々飲んでワインを2本あけて、酔った振りをして早々に寝た。
寝たふりをした僕に哲平がキスをしたけど、応えなかった。ミサキを舐めあげた口にもらったキスは苦い。もう僕は哲平とキスができないだろう。それを悲しんでいない自分を知ってしまった。
ミサキがいなくなったら一人になりたい……それが僕の望みだった。
朝、哲平が目を覚ましたのがわかったけど、僕は寝たふりをしていた。
ミサキとの関係は哲平との穏やかなものとは次元が違う。まったく別のものだと思っていたけれど、昨日気が付いてしまった。まぎれもなく僕は哲平を裏切っている。ただの身体の関係で期間限定のものだと考えていたのに、それはもう違うものに育ってしまった。
ミサキは僕に名前をくれていた。それを思い出すだけで胸が温かくなり、ミサキを抱きしめたい。
「僕は起きるよ」
君は僕が目を覚ましているのに気が付いているのかな。でも僕は君のことは考えてはいなかった。哲平、やっぱり僕は君と一緒にいられないよ……ゴメン。
哲平が仕事に出て行ったあと、部屋の中にある自分のものをまとめ始めたタンスの中にある衣類、洗面所の歯ブラシや洗顔料。料理をするのは僕の担当だったから、調理器具もいくつか。一緒に買ったレンジやトースターは置いていくことにする。僕の家にもあるし、持っていくにしても荷物が多すぎる。
本棚の中にある僕の本。下駄箱のなかの靴。自分の空間がないと生きて行かれないと哲平に言ったくせに、この部屋には僕のものがたくさんある。2年の時間の長さと重さを目にして、涙がでそうになった。
哲平は何も悪くない。何が起こったのかわからないだろう。僕も言うつもりもない、だってうまく説明ができない。「他に好きな人ができたんだ」と言えたらどんなに楽だろう。
好きとは違うんだ。魅入られたんだ、お互いに。その違いを何も知らない相手に理解してもらえるとは思えない。
さんざん迷って僕が置手紙に書いたのは「ごめんね、僕は一人になるべきなんだ」たったこの一行だけだった。
荷物を玄関まで運ぶと、とても自分で持っていかれる量ではなかったから、そのまま家をでてミサキのところに向かった。
昨日病院の駐車場で自分がしたことを思い出して身体が熱くなるのを止められない。哲平といたときには冷え込んでいたのに、自分の中にある熱を感じて浅ましさを実感した。
休日運行だから電車がなかなかやってこない。哲平はもう会社についただろう。飲食店勤務の僕が日曜休みで、会社勤めの哲平が平日休みだから、僕達はどこかに出かけることが少なかった。休みが合うことがなかったから。それなのに、どこかに行こうなんて。
哲平はいつも優しかった。僕は君に最後まで優しくなかったね。
ようやく電車がやってきて乗り込む。10分も乗ればミサキの家にいける。携帯を知っていたら来てもらえるのに。でも僕達は番号を知らない。メールアドレスも知らない。いらないと思った。ミサキも思ったのだと思う、聞かれもしなかった。
僕達は痕跡を残すのが怖かった。後に何かが残ったら耐えられないと無意識に気がついていたのだろう。
合鍵で玄関に入る。何も知らないのに鍵だけ持っていることに気がついて可笑しくなった。笑いをかみ殺して中にはいると、いつも床に座っているミサキがいない。寝室に行くとまだ寝ていた。もうすぐお昼だよ?
「ミサキ?」
僕は勝手にベッドにもぐりこんでミサキに声をかける。目を開けて、何度か瞬きをしたあと僕を認めて不思議そうな顔をする。こめかみを指でおさえて眉間にしわをよせたから頭が痛いのかもしれない。
「マスターに飲まされた?」
「ん、ともき?ほんとにトモキ?」
僕はミサキのおでこにキスをする。ミサキは僕の耳元に鼻先をよせて言った。
「ホントのトモキだ。おはよう、どうしたの?」
「ミサキ、まだ車ある?」
「ん、あるよ」
「お願いがあるんだ」
「運転したいの?」
ミサキが鼻先を僕の胸元にすりつける。甘えるミサキなんて初めてだから照れくさい。
「僕は免許をもっていないから運転はできないよ。それでね荷物を運びたいんだ。できるだけ早く」
「荷物?」
「哲平のところから僕の家に」
ミサキは顔をあげて僕を見た。 何も言わない。僕も言わない。
「わかった……起きるよ」
ミサキは僕をぎゅっと抱きしめたあと立ち上がった。
「行こう」
荷物を移動させる間、ミサキは一度も車を降りなかった。僕もこれは自分で運ぶべきだと思ったし、自分の部屋にミサキを入れるつもりもなかった。
僕の部屋は現実だ。ここにミサキが足を踏み入れたら、戻れなくなる。僕と同じ考えかどうかわからないけど、ミサキは動かなかった。
二十日以上帰っていない僕の家は郵便受けに半分くらい中身が溜まっていた。確認してポストの横のゴミ箱に捨てる。埃の溜まった部屋に運んだ荷物を適当に置いた。掃除をしたいところだけど、それは今ではない気がした。
一人になったら、荷物を整理して掃除をして自分の気持ちにも整理をつける。
僕はそう決めた。
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