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第14話

「いらっしゃ~い。あ、智ちゃんだ」  相変わらず真っ黒な店の中に仁さんが立っていた。ジャネット・ケイが「Loving You」を歌っている。 「こんばんは」 「ビールでいい?」  僕は仕事を終えて「ラスタ」に来た。冷たいビールを飲んで一息つく。でもちょっと味が変だ。 「仁さんこのビール、底の方じゃないですか?」 「さすがビール好き。そのとおり、智ちゃんを待ちくたびれてね、樽が減らなくてさ」 「あとどのくらい?」 「そうだね、あと1~2杯で新しい樽に取り換えられるはず」  仁さんはカウンターの下をガサガサいわせて小さいノートを取り出した。 「ええっとね、いまのところ3人から500円ずつ集めたから、智ちゃん3杯はもれなく無料です」  言っている意味がわからないよ仁さん? 「ほら、僕が儲かって智ちゃんも好きなビールが飲める方法。それを思いついたって言ったじゃない」  そういえば、そんな気もするけど、よく覚えていない。 「ここの店はね、僕の許可がないと初対面で話ができないわけ、お客さん同士ね」 「ええ?そうなんですか?」 「そうだよ。僕はここに来る目的を、あんまり邪なものにしたくないんだ。だからそういう輩は僕が排除しちゃうのさ」  知らなかった。こんなポヤ~ンとした人なのに、きっちりしている。 「だから、とびきり可愛い知り合いを常連にするためにビールを1杯分くれよって言ったわけ。必然的に智ちゃんがお礼を言うから、お話できる権利をえらえる。そして智ちゃんに次も逢いたくなった客は店に通うから僕は儲かる。智ちゃんは好きなビールを飲み続けることができる。どう?名案でしょ?」  僕をダシに使って?きっちりしているというか、なんというか。 「智ちゃんはにっこり笑ってお礼を言えるでしょ?そして相手が踏み込んできたら切り捨てることもできる。そんな人じゃないと使えないんだ、こんな手はね」  踏み込んできたら、切り捨てる。そうだね仁さん。ミサキから「欲しがる」本当の意味を教えられた。中途半端に僕に興味をもつ相手なんか、どうにでもできる。 「確かにね、仁さん。僕にはできる」  仁さんは満足そうにほほ笑んでビールを注いでくれた。  僕はやっぱり変わった……変えられたんだね。こうして何かをキッカケに何度もミサキを思い出し続けるんだろうか。僕は本当に抱えていくことができるんだろうか。  仁さんがカウンターから出tて隣に座った。 「智ちゃん、さっき看板消したんだ」 「え?」  でもドアの前に来れば音が漏れているのに。 「看板が消えてたら、音が漏れてようと何があろうと誰も入ってこない。僕の教育がしっかりしてるから、ここのお客さんは」  そういいながら仁さんはドアのカギを締めた。 「まあ、万が一ってこともあるからね」  僕は困ってしまった。仁さん何を言っているの?鍵をかけて二人っきり?でもこの人はそんな人じゃない。 「智ちゃん、そろそろ今日も終わる。もう智ちゃんに戻っていい頃だ」  僕の心がグラリと揺れた。張り詰めていたものが崩れてしまいそうだ。 「久や重じゃ近すぎるだろ?智ちゃんの友達だと若すぎて君には幼すぎる。僕ぐらいがちょうどいい」  仁さんは僕をふわっと抱きしめた。親鳥が卵を抱くように。僕はもう我慢できなかった。  本当は泣きたかった!ミサキに帰らないでっていいたかった!ミサキが欲しかった!一緒に行きたかった!  なんで僕を見つけたんだミサキ!たった4週間しかなかったのに!  僕はミサキに言いたかったことを仁さんに叫びながら泣き続けた。仁さんは黙って僕の背中をさすってくれる。  こんなに泣いたことがなかった。優しく抱いてもらいながら泣いたこともなかった。   心が鎮まり始める。 心の中で沸騰したミサキが小さなカケラになっていく。  最後に涙をこぼしながら頬笑むミサキ。そうだね、どうしようもなくなったら慰めてもらえばいい。僕のことをわかってくれる人がいる。  少し落ち着いた僕に仁さんは言った。 「身体があいたらここにおいでって言ったのは僕だよ。いつでもくればいい。泣きたかったら泣けばいい。そのときは看板の電気を消せばいいだけだ」  頭をなぜながらニッコリ笑う仁さん。ああ、僕にはまだ居場所がある。 「仁さん、ありがとう」 「どういたしまして。今思ったんだけどさ」  のんびりと話だす仁さん。 「智ちゃんの方が精神衛生上いいかも。一人でいられるし、こうやって泣くこともできる。憂さ晴らしは色々より取り見取りだ。でも稜はそういうわけにいかないだろ?」  ニヤリとした仁さんを見て、そうかもしれないと思う。 「加瀬稜として家族のもとにとどまらないといけない」  僕は少し意地悪な気持ちになって口の端だけで笑う。 「そう、その顔だよ、智ちゃん。意地悪なくせにソソル顔だ」  仁さんがカラカラと笑う。釣られて僕も笑いだした。 「さてと待望の新樽にいきますか!」  僕の前に置かれた冷たいビール。僕は少し苦みを喉に感じながら、流れ落ちる液体に身をゆだねる。  大好きなビールに慰められるのも悪くない。ミサキ?あなたがいない此処で、僕は生きていくよ   あなたがくれた命とともに。 FIN

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