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第9話 リロン

結局、ジロウには『銀座で見かけたよ』と伝えることは出来ずにいた。 当たり障りのない会話や、ふざけたりすることは相変わらず出来るので、オムライスのことや、イヤホンの値段が高くてびっくりしたことなど、日常生活のことは何でもジロウに話をしている。 ただ『女性とデート中だったね』のひと言だけ言えないでいる。 ジロウは独身だというし、彼女やセフレがいても何も問題はない。それに金で買った買われたという関係があっても、リロンには関係がないことだ。 だけど…リロンの知らないところで、知らない人とデートしているジロウのことは、腹の奥では気に入らない。リロンは勝手にモヤモヤとしながら過ごしていた。 それでも店で働くのは楽しい。毎日ジロウと仕事が出来るのが、嬉しくてたまらない。お客様へサーブするのが楽しいとは、自分でも驚きであり発見であった。 多分、リロンがお客様からニュアンスを受け取りオーダーを通すと、ジロウが笑いながらも考えて作ってくれるからだと思う。楽しい理由は、それが一番大きい。 阿吽の呼吸というのか、ジロウとリロンはお互い息が合っていると感じている。 だから、休日になるのが嫌だった。ジロウと数時間でも離れて生活するのは、つまらなく感じた。 ジロウと離れる休日になると途端に考えることは、自分はこれからどうするのだろうか、ということ。 成り行きでジロウと暮らし、ウエイターの仕事を始めたが、もうご婦人のところには戻れないかもしれないと考えている。 かといって、この期間限定としての仕事がなくなったら、またひとりに戻るのだ。 何でも知っている顔をしていたが、実は何も知らなかったのか。世界は広いのか狭いのかと。休みになると自問自答していた。 それに、休みになるとジロウがデートに行くかもしれない。また違う香りを身にまとい、帰ってくるかもしれない。 そんなジロウを見たくなく、店の定休日になるとジロウより先に家を出て、銀座のホームベンチに行ってみたりしている。 銀座駅には顔見知りがたくさんいる。一言二言、言葉を交わしたり、世間話をした。 彼らを見ると、鏡で見てるような錯覚がある。ご婦人から声をかけられれば嬉しく思い、かけられなければ下を向く。自分もそんな感じだと思う。 顔見知りの同業者は、やっぱり年の若い子が声をかけられると言っていた。 若くて、素直で、教えがいがある子。既に、何でも熟知している子には、もう教えることがないからつまらないらしい。そんなつまらない子には、やっぱり声はかからないよと、彼らは言っていた。 自分も同じように座っていたら、今もなお声はかからなかったはず。それはわかっているが、他にやれることはないので、ここでご婦人との契約を待つしかないのかもしれない。 「お前さ…休みの日どこに行ってる?」 今日は金曜日。週末だから店が忙しくなる気がする。店を開店させる前に、ジロウはキッチンでリロンに質問をしてきた。 「どこって…買い物とか?だよ。ジロウさんだってどこかに行ってるでしょ?なんでそんなこと聞くの」 咄嗟に、休みの日の行動を隠してしまい、ジロウからの質問を質問で返した。 「俺はこの前の休みは、どこにも行かなかったよ?お前がさ、見たいって言ってた映画あるじゃん。キル・ビルだろ?SZAの曲とリンクするって言ったら見てみたい!って言うからさ…俺、ダウンロードしといたんだよ?それなのにさぁ…朝からピューってどっか行っていなくなるからさ…」 そういえばそんなことも言っていたと、思い出す。律儀に覚えてくれていたんだと、リロンは嬉しくなる。 休みの日に、一日中ジロウと一緒にベッドで映画を見ていたい。嬉しい誘いにリロンはソワソワしてしまう。 「え?本当に?えーっ、見たいな。じゃあ、次の休みは?火曜日に…」 「うーん、次は出かけるんだよな」 「デート?」 「えっ?うーん…あはは。まぁそんなとこかな」 ほらね。 気分を盛り上げておいて、ひとことで急降下させる。ジロウは本当にひどい奴だ。 気分がアップダウンしているところに「あのう…」と入り口から声がしたので、リロンがキッチンを出て行くと、長身の男性がジロウを訪ねて来ていた。 「ジロウさんいますか?」と言われたので、知り合いなんだろう。夜の営業前の時間を狙って来たようだ。 「ジロウさんにお客様ですよ」と、ジロウに声をかけて、男性を奥のテーブルに通した。 リロンの観察力で悪い人ではないとわかる。視線も言葉遣いも立ち振る舞いも問題ない。少し緊張しているようだが、その男を奥の席に通した。 ジロウがキッチンから出てきて「おお!」と声を上げていた。やはり知り合いだったようだ。 二人の会話を邪魔しないように、リロンは離れたテーブルで夜の営業で使うカトラリーの準備をしている。 話の内容は聞こえてこないが、お互いの近況報告をし合っているようだった。 二人から笑い声が聞こえてきたので、悪い話ではないのだとリロンはホッとした。 「リロン、こっちおいで」 ジロウに呼ばれたので、近くに行くとその男性を紹介される。 「あのな…昔、一緒に働いてた武蔵(むさし)。武蔵、こっちは今ここで働いてくれてるリロンだ」 「こんにちは。初めまして」と、武蔵に挨拶をされた。ジロウとはタイプが違う爽やかなイケメンだ。女ったらしの気配もない。声のトーンにトゲもない。いい人だ。 「初めまして、リロンです」と、ニコリと笑い挨拶をした。 「ジロウさんとリロンくんの二人で店をやってるの?他にアルバイトはいないの?」 物腰も柔らかく、丁寧で明るい人だなという印象を武蔵に持つ。 「あー…そうなんです。週末は忙しいんですけど、二人でやってます」 と、リロンが答えた。答えている間、ジロウはニヤニヤと笑っている。 「なに…?」 ジロウがニヤニヤ笑っているから、小声で聞いてみる。 「武蔵、とりあえず今日キッチン入ってみるか?ウォーミングアップだ。やってみろよ」 「はぁ?」 「えっ?」 武蔵と同時にリロンも驚く。ジロウ以外がキッチンに入るなんて考えもしなかったからだ。 「相変わらず唐突だね、ジロウさんは。でも、金曜日の夜だし忙しいのか…いいよ、別に入っても。俺は暇だし」 ジロウに会いに来たとはいえ、突然キッチンに入れとジロウは言い、それを聞いた武蔵は驚くもすんなり快諾していた。 武蔵もシェフなのは見てわかっていた。手がジロウに近い感じがあるからだ。だからキッチンに入っても問題はないだろう。 それにまあ、今日は金曜日で忙しいからね、ちょうどいいかもとリロンは思っていた。 「武蔵…余裕こいてると慌てるぞ。甘く見るなよ?うちのリロンを」 ジロウが笑いながらキッチンに武蔵を迎え入れていた。

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