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第11話 リロン
「この状態で皿を割らないのは奇跡だ…」
閉店後の店内で、武蔵が椅子に深く腰掛け、グッタリしながら呟いている。
リロンは外に出していたテーブルと椅子を片付け、店の掃除を始めていた。
「腹減ったよな、何か食べるか。武蔵、今日は泊まっていけよ、上が俺の自宅だから。寝るのはソファだけどな」
「ジロウさん、ありがとうございます。俺、もう疲れて立ち上がれないよ。明日の朝一で帰るから…」
武蔵の言葉に笑いながら、キッチンにジロウは入っていった。
「リロン」
ちょいちょいと、グッタリしている武蔵に手招きされ呼ばれる。呼ばれたテーブルの前にリロンは座り、武蔵を眺める。
「なぁ、ジロウさんと二人でこんな状態の店を回してんの?」
「ああ…そうなんです。やっぱりよくないですかね。多分、俺がウエイター経験が無くて初めてだから、それで効率が悪いのかも…」
素人の自分が突然入ってきたので、店がバタバタになっているのかもと、リロンはちょっと前から考えていた。効率が悪いから、外で待つ人が出てきたのかもと。
「いやいや、違う違う!効率は、めちゃくちゃいいじゃん!いや、そうじゃなくて、いつもこんなに繁盛してるのかってことだよ。リロン、すげぇぞ、この店。外に人が並んで待つなんてこと、今はどこのビストロでもないからな。しかも、ここは繁華街じゃないだろ?駅から近いけど、住宅街だ。それなのに、こんなにめちゃくちゃに人が溢れてるのを見て、俺は驚いたよ」
「はあ...」
リロンが考えていたことは、見当違いだったようだ。グッタリしていた武蔵は、リロンの言葉を聞き、ガバッと起き上がり力説している。それに身振り手振りをつけ、今日のキッチンの様子を興奮して喋る武蔵は楽しそうだから、悪いことではないんだなとわかる。
「それにな...ジロウさんがあんなに楽しそうに料理作ってるの、初めて見たよ」
「えっ?そうなの?ジロウさんは毎日あんな感じですよ?ずっとふざけてるから、たまに俺が怒る時があるくらいだから」
ジロウは本当にふざけるのが好きなので、たまにピシッと軌道修正しないと、脱線ばかりしてしまう。陽気なラテン男には、リロンが手綱を引き、コントロールする必要があった。
「それは俺の悪口か!」
パスタを手に、ジロウがニヤニヤしながら現れた。
「そうだよ!ジロウさんの悪口。ふざけてばっかりなんだよって、武蔵さんに訴えてたんだ」
あははとリロンが笑うと、それよりも大きな声でジロウが笑いだしている。今日もご機嫌なようだ。
「うわぁ、いい匂い。何?これ、うわぁ、ルッコラだ!大好き、やったぁ!」
リロンがはしゃいでパスタを覗き込んだ。今日はルッコラとトマトとモッツァレラのパスタを作ってくれたようだ。ルッコラはリロンが好きなので、ジロウはよく作ってくれていた。
「何か飲み物を持ってきます」と言い席を立つと「いいから食べてろ」とジロウに肩をたたかれ、またリロンは着席した。
「ジロウさんが、マジで別人...なぁ、リロン。どうやってジロウさんを顎でこき使えるようになったんだ?」
「また!俺の悪口!」
と、ジロウがビールを3つ持ってキッチンから現れた。
「タイミング悪いんだよ」と、リロンが言い武蔵と二人で爆笑する。
三人でジロウが作ったパスタを食べる。今日は金曜日だから店はいつも以上に混雑していた。外にテーブルも出したし、本当にお客様はたくさん来ていたなぁと、しみじみ考えていた。
「…で?どうだった?武蔵は」
ニヤニヤが止まらないジロウは、笑いを堪えられない顔をして武蔵に質問をする。
「ヤバいね...何がヤバいって、まずこの立地でこの客の数。どんな人気店だよ。客が入り切らなかったじゃん。外にテーブル出しても待ってる人いたよ?今どきそんな店あるかよって思った。それと、キッチン1人、ホール1人の2人で回してるのは考えられない。おいおい、バケモンかよっ!って何度も思いながら俺は料理してた。あとは、なんて言ってもリロンのオーダー。マジで泣きそうになった。ジロウさん毎日あんな感じなの?すげぇよ、俺、途中一度放心状態になったよ?ちーんって感じで全然、思考が追い付かなかった」
武蔵が喋っているのをぽかんとした顔で、ジロウもリロンも聞いていた。
「…って、聞いてんの?」
パスタを食べていた手も、リロンとジロウは止まっていた。なるほど…外から見るとそうなふうに見えてるんだ、という率直な感想を持つ。
「いや、めっちゃ喋るね、武蔵さん」
「本当…武蔵がそんなに喋るの久しぶりに聞いた気がする」
「はああっ?そこ?もう…ズレてる。この人たち、ズレてるんだ…」
武蔵がブツブツ言いながらパスタを完食していた。
その後、武蔵はビールを飲みながら何か考えているようで、少し遠くをぼんやり見ていた。リロンとジロウはそんな武蔵を見ては、時折り目を合わせ、肩をすくめながらパスタを食べていた。
「…明日、土曜日ですよね」
唐突に武蔵が喋り始める。まだ目はボケっと遠くを見ているようだ。本人が言うところの放心状態なのかもしれない。
「土曜日だから、明日も夕方から今日と同じようになるんだろうか…」
武蔵が独り言のような質問を繰り返しており、その質問にジロウは答えないので、代わりにリロンが答えておいた。
「明日は土曜日です。土曜日なので、ランチがあります。ランチの後は、今日のような夜になると思いますよ」
「はあ?マジで?ランチやってんの?この状態でランチまでやってんの?ヤバすぎだって。体が持たないぜ」
放心状態だった武蔵が覚醒したように、ガバッと椅子から起き上がり、驚きの声を上げていた。
「体…大丈夫?ジロウさん…」と、武蔵の言葉から急に心配になったリロンがジロウに訊ねると「リロンは?体、大丈夫?」と逆にジロウに心配されてしまう。
「体は問題ないよ、以前より調子が良いくらいだから」とリロンがニッコリ笑いジロウを見つめて答えると、ジロウも「俺も大丈夫だよ。調子は良いから」とリロンを見つめながら答えてくれた。
二人のやり取りを見ていた武蔵は、何か言いたそうな顔をしている。
食べ終わった食器を手にキッチンに入ったジロウを見て、すかさず武蔵がリロンに小声で聞いてきた。
「ジロウさんと付き合ってるの?」
「ええーっ!」
「シィーっ。俺、偏見ないよ?大丈夫だから。ジロウさんに知られるとマズイ?二人が付き合ってることは隠してるの?」
ジロウに聞こえないように小声で武蔵が聞いてくる。
「付き合ってないですよ…」
リロンがそう答えても武蔵は「うんうん。いいよいいよ。わかったから」と大きく頷き、親指を立てている。
武蔵には、何か大きく誤解をされているような気がしたが、明日も朝から店を開けるから早く片付けするぞというジロウの声に、話はうやむやになってしまった。
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