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第13話 リロン
ジロウの言った通り、武蔵は翌日の土曜日の午後、また店に顔を出した。今日の夜もキッチンに入り手伝うと言う。リュックに大量の本を詰め込んで持ってきていた。
「リロン。シミュレーションだ。何でも言ってくれ!よしっ、こいっ!」
ランチ後のテーブルに本を広げて、武蔵はリロンに問いかける。
「何?こいって…」
いいからオーダーをしてみろと、武蔵は言う。
「えーっ…何?わかんないよ。じゃあ、カルパッチョ?とか」
「ちっがーう!違うだろ!カルパッチョはわかるから!リロンは何かこう、フワッと言うじゃないか。あっ、そうだ昨日の、白のブラウスにはねないパスタとか…そんな感じのノリ?で言ってくれ!なっ、頼む」
「えーっ…めんどくさい。ねぇ、ジロウさん助けて。そんなの、その時にならないとわかんないよ」
リロンがジロウに助けを求めた。武蔵からのめんどくさい質問を回避したい。
武蔵はジロウと違って努力家なのだろう。言葉の選び方とか、ニュアンスからめちゃくちゃ努力家だとリロンは感じ取る。研究して勉強して作り上げていくのが好きなんだろうなと、思っていた。
ジロウは武蔵と違って感覚派だ。ダメだと思うことは特になく、とりあえずやってみるタイプだ。失敗から生まれる成功が多いようにも思う。それで自分なりの統計を取っていると感じる。リロンはどちらかというとジロウに近い。
「付き合ってやれよ武蔵に。感覚を掴みたいんだろ。ほら、こんなに本を持ってきてる。全部、料理の本だぜ」
テーブルの上に並べている本をジロウはパラパラとめくった。
「今朝、始発で家に帰って、それから家中の本を片っ端から読み直したよ。だけど時間が足りなくて、その一部をこうやって持ってきた。店をオープンする前にシミュレーションしときたいなって思ってさ。だからリロン、付き合ってくれよ。なっ」
「えーっ…本当にその場にならないとわかんないんだよ。うーん、どうしよう」
メニューにある料理をオーダーされれば、何も問題はない。一通り作ることはもちろん出来る。だけど、こんな感じでと、ニュアンスで言われると、咄嗟に料理が出てこない。提供する料理は、どこのテーブルも同じメニューに偏ったりしてしまうと、武蔵は言う。
「あの後、やたら考えちゃってさ…アレを作ればよかったかも、いや、あっちだったかってさ、そんなこと考えてたから、昨日は、ほぼ寝られなかったわ。ジロウさんとリロンは、すぐにグーグー寝てたから、この人たちすげぇなって…毎日、こんなことしてて日常なんだなって思ったよ」
武蔵の言葉に、へぇ…と感心した。料理人は提供した後でも、色んなことを考えて苦労している。それに、武蔵の言葉から強い決意が感じられた。なんの決意かは、わからないけど。
「リロン、半目で寝てたろ。武蔵見た?」
「うっざい…半目じゃないっつうの」
武蔵がいつ帰っていったか、リロンはわからなかった。朝起きたら、ジロウも既に店にいてランチの準備をしていた。
「半目?そんなのわかんないよ。何言ってんの、ジロウさんが、寝てるリロンを見せないようにしてたじゃん」
ニヤニヤと武蔵は笑って言うが、ジロウはそれを無視している。自分からふざけたことを振っておいて、それを無視するなんて、ちょっとジロウらしくない。
とにかく、リロンお願い!と武蔵が言う。テーブルを挟んで武蔵の前に座っているリロンは困ってしまうが、リロンの隣にジロウが座り、助け舟を出してくれた。
「じゃあ…リロン。そうだな…今日のランチでは岸谷さんたちが来ただろ?もし、岸谷さんの相手の人、あの恋人が夜に来たら何を出す?」
「ああ…うーんっと…」
今日のランチには、この前の『できてる』二人が来店した。ジロウが『岸谷さん』と呼んでいる人だ。
岸谷の恋人で『玖月』と呼ばれている人は、恐らく軽い潔癖症だ。だけど、克服しているのかもなとも思うくらいだ。外食が出来るからきっとそうなんだろう。
ランチのメインは、ピザかパスタを選んでもらうことになる。玖月はいつもパスタを頼み、リロンはプラスチックのカトラリーを渡していた。使っても使わなくてもいいけど、安心させるために渡している。
だけど「今日はピザをお願いします」と、元気にオーダーしてくれた。ピザは生地を捏ねたり伸ばしたりする作業が入るため、玖月はオーダーするのを避けていたはずだ。だから彼はいつもパスタを頼んでいる。
それなのに今日は「ふふふ、いつも優佑さんがピザを美味しそうに食べてるから、食べたくなりました。今日はピザでお願いします」と、はっきりリロンにオーダーしていた。優佑さん?と聞き返すと「俺のこと」と岸谷が笑って答えていた。相変わらず仲がいい。
多分、玖月は外食するにも店を選ぶため、ハードルは高いだろうが、この店に慣れてきてくれているとリロンは感じていた。
そして、潔癖症が苦手とする料理であるピザを頼もうとするまでになっているんだと、その声のトーンでリロンは察した。
玖月にピザと一緒に、いつものようにプラスチックのカトラリーも提供した。
気になったので、その後もチラチラと見ていると「美味しい!」と言い、手掴みでピザを食べている姿を見た。よかったと思っていると、玖月と目が合ったのでリロンは軽く会釈をした。
案の定、帰り際には岸谷から握手を求められる。軽い潔癖症の恋人が、外食で今まで避けていたピザを今日は食べられたって、大方感動しているのだろう。
「ありがとう!いつも本当にありがとう」と岸谷は結構大きな声で言うので、玖月とリロンは目を合わせ苦笑いをしていた。
背中でジロウが笑いを堪えているのがわかるから、早くしてくれと思うも、岸谷は丁寧な挨拶を繰り返す。やはり、声のトーンや仕草、視線などから玖月を大切にしているのが伝わってくる。こんなに大切にされて幸せですねと、いつか玖月に言いたいと思っている。
「どうだ?」
ジロウの声にハッとする。さっきのランチを思い出していて、武蔵がウズウズとし待っていることを忘れていた。
「ああ、えーっと、そうですね。小分けしていて、食べやすいもの。それと、いい匂いがして熱々なもの。ですかね…」
「キターー!」と、武蔵が声を張る。武蔵のことは、冷静なイケメンかと思っていたが、そうでもないらしい。
武蔵がペラペラと本をめくっている。ジロウはそれを見て笑っていた。
「よし、わかった。ジロウさんは?同時に言おう。いい?」
小分けして食べやすいものを、せーので言い合おうと武蔵がジロウを誘い、ワクワクしている。
二人は同時に言うが、それぞれ名前がよくわからない料理名が飛び出した。イタリアンのメニューは難しい。
「おい!武蔵、何で二つも言うんだよ。俺は頑張ってひとつに絞ったのに」
「いやいや、答えはひとつだけとは言わなかったじゃないですか!」
「えーっ、ずるぅい!リロン、武蔵はズルしたよな!」
ジロウも、なんだかんだいって楽しそうである。シェフはメニューを考えるのが楽しいんだろうなと、二人を見て思う。
「料理名はわかないけどさ、この本の写真を見ると、どれも美味しそうだよね。ああ〜ポルチーニのパスタは大好物だから食べたい。さっき食べたばっかりなのに…ヤバイ、太っちゃう」
と、リロンが言うと二人のシェフは笑っていた。
「今日は何とか出来るかな…でも、バルだから時間かからないで作れるものにしないと…つうか、メニューがあればいいのに。ああーっそうじゃん!あるじゃん!」
と、メニューがあることを思い出し、武蔵が叫んでいる。この人は見た目は爽やかなイケメンなのに、ジロウに似たところがあり…いや、ジロウを超えていつも元気である。
「ありますよ。メニューあるんだから、その中から作ればいいじゃん。俺が通したオーダーもそこから作ってくれればさぁ…」
以前ジロウからも無茶振りと言われているので、リロンのオーダーは武蔵を困らせているのはわかっている。だから、小声でそう言ってみた。
「いやいや、リロン違うんだよ。なっ、武蔵、わかってんだろ?それじゃ、つまんないってこと」
ニヤニヤとしながらジロウが二人を交互に見て話し出す。
「リロンは言葉以外から人の気持ちを受け取るんだよ。だから、あんな感じのオーダーになる。そのニュアンスを汲み取って作ると、料理を受け取った客はめちゃくちゃ喜んでるんだ。それは見ていてわかってる。武蔵もそれは昨日気がついただろ?だから、客はリロンに相談して、そんなオーダーがバンバン入る。メニューにあるオーダーも、もちろん受けるけど、リロンからのあのオーダーを受けて作るのも、うちのバルならではって感じかな。実際、リロンからのオーダーを受けて昨日は楽しかったろ?なっ、武蔵」
「んなぁーーっ!そうです!そうですよ!めちゃくちゃ焦ったけど、めちゃくちゃ楽しかった…俺、マジで悔しくて寝られなかったんだよ?自分が全然動けなくて。だけどこんなの久しぶりだよ、ニューヨーク以来かも。ね、ジロウさんもそうだよね?」
武蔵は、ハァーッとため息を吐くがとても楽しそうである。今夜の営業に向けて大きく深呼吸しているようにも見える。
「ねぇ、ジロウさん…武蔵さん大丈夫?」と、ジロウにコソッと伝えると、「大丈夫だろ?楽しそうじゃん」と軽く答えられてしまった。
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