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第17話 リロン
月曜日は夕方から営業するはずなのに、今日は朝からジロウがいなかった。
昨日はいつものように店を閉めた後、ジロウとリロンは3階に上がりバスルームに直行した。
バスルームでは時間短縮のシャワーの使い方が継続して行われていた。もうこれが二人の日常となっている。
バスルームに二人で入り、交互にシャワーを浴びてもいいのに、一緒にシャワーを浴び泡を流す。最近は、ジロウにシャンプーまでしてもらうようになっていた。
「は〜い、お客様〜かゆいところはありませんかぁ?」
ジロウが慣れたような手つきで、ディオールのソヴァージュを手に取り、リロンにシャンプーを始める。
「大丈夫で〜す。気持ちいいで〜す」
と、シャンプーをしてもらっているリロンもふざけて返す。ふざけ合う二人はいつもと同じ。二人の関係は変わらない。
「リロン、髪伸びたな…」
髪をすかれて泡を流され、身体に付いた泡をもシャワーで流してくれている。リロンの頸の泡を丁寧に流してくれた後、首から肩にかけてジロウが手で撫でるように流してくれている。
その後は倒れるようにベッドで眠る。
いつもはうざったいくらいに足を絡めて寝ているジロウなのに、今朝起きたらベッドの上にはリロンだけ。おかげでいつもとリズムが違うから寝坊してしまったようだ。
慌てて店に向かうと、武蔵が開店準備をしていた。
「武蔵さん!すいません、遅くなりました」
「あれ?リロン、どうしたの?」
夕方からの営業とはいうが、武蔵にしろジロウにしろ、キッチンはいつも昼から準備をしている。だけどそこにジロウの姿はなかった。
リロンも同じ時間から掃除や買い物などしている。その時間に遅れたというのに武蔵は料理の手を止めて、驚いたようにリロンを見ている。
「今日、何か必要なものありますか?あればすぐに買い物に行って...」
「リロン、今日は休みだよ?ジロウさん言ってなかった?連絡入ってないの?」
「えっ?今日休み?えっ...ジロウさんは朝起きたらベッドにいなくて...連絡?えっ?メッセージは...あっ、スマホは2階だから...」
休みと言われ、その後メッセージは?と言われ、何が何だか理解が追いつかず、どこから、何から確認するべきなのかと慌てる。自分はとっさのことに対応するのが苦手なようだ。
そんなリロンを武蔵はニヤニヤとしながら見ており、頷いている。
「うんうん。起きたら隣に寝ているはずの彼氏がいなくて?慌てて店に来たら、そこにもいなくて?そりゃぁそうなるよな。まあ、いつもならベッドで優しく起こしてくれてそうだもんな。ああ見えて、ジロウさんって激甘そうだし『リロン、起きれるか?大丈夫か?つらくないか?』とか言ってチュッってキスしそうだもんなぁ、あの人。つうか、大丈夫か、つらくないか、ってどこから出てきたセリフだよ!どんだけ想像力豊かなんだよ、俺!」
「ちょっと、武蔵さん、ごめん」
武蔵の似てないジロウのモノマネを途中で遮り、2階のベッドルームまで戻り置いてある自身のスマホを確認した。
武蔵の言う通り、リロンのスマホにジロウからのメッセージが届いていた。
『今日は急遽休み!夜に帰るから映画見ようぜ。キルビルな』と書いてある。やはり、武蔵の言った通り今日は店を開けないようだ。
スマホを片手に店に戻ると、武蔵は調理を再開させていた。
「武蔵さん、ジロウさんからメッセージきてたよ。でも、なんで急に休みになったの?今日は休み!しか書いてなくて、休む理由とかはわかんないんだけど…」
「いや、俺もよくわかんないんだよね。でも...もしかしたら、ジロウさんちょっとは考えてくれてるのかも!なっ、そうなればいいよな?リロンもそう思うだろ?ジロウさんがさ、またフィエロを復活させてくれればさ、俺も働きたいし。みんな待ってるもんな。ジロウさんが声をかければキッチンなんてすぐに集まるだろうしさ、なんとかなるのかも。あれ?何とかなるかな?あれ?リロンどう思う?」
「フィエロ…?待ってる?なに…よくわかんないんだけど」
ジロウと武蔵は最近よく話し合いをしている。料理のことや店のことだと思うが、そんな姿をよく目にしていた。その度に、リロンは邪魔にならないようにと、気配を消している。
「あれーっ?リロン聞いてない?ジロウさんの昔とかマジで知らない?俺はさ、てっきりリロンと一緒に新しい店を開くからここをクローズさせるんだと思ってたんだけど。違うのかな…そんな話聞いたことない?いや、おかしいな…ジロウさん最近色々と動いてるはずなんだけどな」
「…俺は期間限定でバイトしてるから、何も知らないよ。ジロウさんの昔も、これからも、そんな話なんて聞いたことないし」
ジリっと胸の奥が焼きつくような感触があった。何かに似てる。最近も同じような感触があったなと思うが思い出せない。
ジロウには期間限定でバイトを頼まれている。それ以上でもそれ以下でもない。
だからジロウの昔やこれからのことなどリロンは知らなくて当然である。だけど、胸の奥がムカムカとする。焼きつく感じは熱苦しくて痛い。
「そう?そうかな…ジロウさんはリロンも一緒に新しい店に連れて行くと思うけどな。いや、俺はさ、何度も『新しくフィエロを復活させて欲しい、俺をそこで雇ってくれ!』ってお願いしてんだよ?ああ…フィエロってさ、昔ジロウさんが経営してた店の名前なんだよ」
聞いてもいないが武蔵が説明を始めるので、キッチンの椅子に座り黙って話を聞く。武蔵は相変わらず、料理する手を動かしている。
ジロウは以前、オーナーシェフとして『フィエロ』という名の高級イタリアンを経営していた。ここバーシャミのようなバルではなく、ソムリエもいるようなリストランテだという。
自由な発想で新しいメニューを提供し、経営における手腕も申し分なく行なっていたジロウは、リストランテを成功させていたという。店をオープンさせてから順風満帆、追い風に乗り店を繁盛させていた。
だけど、それも長く続かなかった。
ジロウはオーナーとして店の経営を考え、シェフとしてキッチンに立っていた。本来であれば総料理長がキッチンを守り、総支配人がフロアを守る。それぞれの役割があり、それぞれの立場の人がいるべきだった。
だけど、どれもこれもジロウひとりでやっていた。だから次第に、オーナーであるジロウばかりに負担がかかり、身体を壊してしまったという。
ジロウ不在のフィエロは大変だったと、武蔵は言っている。
「ジロウさんが休んでる間、誰も仕切る人はいないし、でも予約は入ってたから店は閉められないし…ってなってるところに、助っ人たちが来たんだよ。ジロウさんが頼んだんだと思うんだけど、これがひどくってさ…」
くるくると鍋の底を回しながら、武蔵の話は続いていくようだ。
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