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第21話 リロン

予定より早く着いてしまったが、連絡を取る手段がないため、ヘアサロンのドアを躊躇わずにリロンは開けた。 「お前な…」 いらっしゃいませの言葉もなく、以前、同業者として働いていた男、晃大(こうだい)がリロンを見て大きなため息と一緒に呟いた。 こちらにどうぞとも言われず、シャンプー台に通される。 「さっき連絡したんだぞ?」 「携帯、忘れた」 リロンは晃大に連絡をした後、携帯をバスルームに置きっ放しにして、そのまま忘れて家を出ていた。 ジロウを起こさないようにと、バスルームから晃大に連絡をしたので、いつもと違う行動から携帯を持ち出すのを忘れたようだ。 「だと思った…あのな、今日ここは休みなんだよ。火曜日だろ?で、なんかお前のメッセージが切羽詰まってる感じがしたから、来てもいいって言ったんだけど。俺がこの後ちょっと予定入りそうになったんで、もう少し早めに来れないかって、お前に連絡したんだよ。それなのにメッセージ送っても既読にならず、電話しても出ないから」 「…ごめん。で?この後の予定どうなったの?」 「ああ、断ったよ…仕方ないだろ。だけど、お前が予定より早目に来るから」 「あーっ、予定狂っちゃったか。断ったのに俺が早くきたから断らなきゃよかったって?デートだった?」 「忙しい人だからさ、仕方ないんだけど。タイミング悪いんだよな、最近」 仕方がないことだけど、諦めきれない、腑に落ちないという気持ちが、晃大の口調から読み取れる。 珍しい。 晃大が、よほど会いたいと思っている人だということがわかる。昔同業者であるリロンに気持ちを読み取られるであろうことは、わかっているはずなのに。隠すこともせずに言う晃大に、ちょっと驚く。 「いや、本当にごめん。邪魔する気はなかったんだけど…俺が携帯忘れたのがいけないな。でも、そろそろまた携帯番号変えるかも」 「また?契約終了なのか?」 晃大はリロンがご婦人のところにお世話になっていると思っているので、そんな聞き方をしてくる。契約終了時はよく携帯の番号を変えているからだ。晃大に、ジロウのところで働いているとは伝えていない。 人にシャンプーをしてもらうのは気持ちがいい。だけど、晃大とジロウのシャンプーのやり方は違う。 晃大は美容師だからもちろん上手である。だけど、リロンはジロウにシャンプーをしてもらう方が好きだ。 「最近、何かしてるか?髪質がすごく改善されてる」 「うーん、なんだろ…特に何も?よく食べて、よく寝てる感じだけど、それがいいのかな」 「リロン、少し太ったもんな」 「げっ!マジで?ヤバ…ダイエットしなくっちゃ」 太ったと言われ、驚いてシャンプー台から起き上がりそうになり、晃大に「動くな」と言われ抑えつけられた。 「ダイエットって…前は痩せすぎだったんだから、今は丁度いいだろ。だけど…なんでそんなに変わったんだろうな」 クククと晃大は笑っている。何も伝えていないが、晃大には気持ちを読まれているはずだ。 さっきもリロンのメッセージが切羽詰まってる感じだったと言っていた。だから、何となく、リロンの今の生活を察しているのかもしれない。 同業者との会話は、探り合いがあったりして、やりにくいが、晃大には何を知られても構わない。お互い、気心が知れている間柄だった。 ヘアサロンに他のお客様はいない。 美容師も晃大だけである。リロンのために特別に用意してくれた時間であると知る。 いつも特に注文はつけずにカットしてもらっていた。ヘアカットは晃大に任せっきりだった。 「ちょっと...後ろがすごく短いじゃん!えーっ、マジ...こんなに短くすること今までなかったのに!」 いつもは全体的に長めなカットにしてくれてたのに、今日に限って襟足がやけに短くカットされている。 「前は長めにカットしたろ?少しスッキリするといいよ。ここ最近はずっと頸も出さず、後ろも長くしてたんだから。次のところ決まってないんだろ?だったら、これくらい短くして、心機一転頑張るんだな」 「短くすると年相応に見えちゃう。次に契約できなくなるかもしれないじゃん」 前髪は長めなのでニュアンスはありスッキリとしたヘアデザインとなっているが、若くみられることはない。ご婦人と契約出来ないとなると問題だ。 「年相応でいいだろ?ほら、このスタイルの方が、今のお前にピッタリだ。そんなに全身で充実しているって言ってるくせに、何を悩んでいるんだかな」 また、クククっと晃大は笑っている。憎たらしいくらい気持ちを読まれているので、鏡越しに晃大を睨みつけた。 ムカつくなとは思うが、カットしたヘアスタイルは、案外似合っていると自分でも思う。前髪は長めで後ろはスッキリとしたスタイルはカッコよかった。 誰もいないヘアサロンで、晃大にシャンプーとヘアカットをしてもらったら、本当に気持ちも軽くなるほどスッキリとした。 「飯でも食べに行くか」 「晃大のデート相手の代わりかぁ…でもまあ、付き合ってあげるよ。俺が悪かったからな」 「お前が言いたい事ありそうな顔してるから、聞いてやるって言ってんだよ」 「よし、じゃあ、晃大の奢りだ!行こう」 ヘアサロンの片付けを待って、久しぶりに二人で銀座で飲むことにした。 ◇  ◇ 気心知れる相手だから、晃大と一緒にいると楽しいし落ち着く。だけど、ぽっかり空いている穴は埋まらない。 「で?何をそんなに言いたそうな顔をしてるんだ」 「...別に。何もないよ」 「ないわけないだろ?そうかそうか、失恋か。当たって砕けてもないけど、告白するつもりもなくて?ただジッと時間が過ぎていくのを待ってるだけか。いいねぇ...楽しそうだねぇ...あはははは」 バカ笑いをされている。 スパニッシュの店は賑やかだ。大きな声で話をしないと周りに負けてしまい、声が届かない。周りの人達も気にせず、それぞれが大きな声で話し、笑い合っている。 「そんなんじゃないよ。そもそも失恋ってなに?恋愛だってよくわかんないのに。じゃあさ、教えてよ。晃大の相手のこと。恋愛なんでしょ?恋愛ってなに?好きになるってどういうこと?そもそもどうして好きになるわけ?」 リロンが矢継ぎ早に聞いた。それを聞き晃大はまた爆笑している。 「いいよ、教えてやるよ。相手のどこが好きになったかって?そりゃあ、スタイルがよくて、優しくて、可愛くて、いつも笑顔で...」 「うそ!そんなことで恋に落ちたりしない。ちゃんと真面目に答えろよ」 「おお?わかってるじゃんリロン。やっぱり恋してんだな。あはは、ごめんごめん。俺の相手か...相手ねぇ…どこが好きかな」 言葉を選ぶ晃大をジッと見つめリロンは待っている。相手のことを思い出しているだろう晃大は楽しそうだった。 「出会った時は生意気で嫌な奴って思った。俺より年上なんだけどね。臆病なくせに負けん気が強くって、プライドが高くってさ…」 好きな人のことを話する晃大は初めてだ。 その人の話をリロンは黙って聞いていた。 どうしても一緒に仕事をすることがあったという。晃大は、早くその仕事が終わらないかと考えるほど嫌だったらしい。 それは、その人と口論になったことがきっかけだったという。 「だけど、途中でその人をよく見てみたんだ。そしたらわかった…嫌な奴なんじゃなくて、自分の中にある筋を通してんの」 びしっと筋を通してるから、誰に対してもそこでは強気で、それがその人の仕事に対してのプライドだってわかった。 「そこからはさ…もうカッコよくって、その人が。目が離せなくなって…そんな人が倒れそうなくらいのプレッシャーと戦ってる時があってさ...俺に何かできるかわかんないけど、そばにいて絶対目を離さないであげたいって思ったんだ」 見ててやるから、思う存分やってくれよって支える側になりたいと考えたらしい。 「その時から俺は相手へ好意しかなくて。今ではその人に心から溢れそうになっている」 「すっげぇ、それって惚気?ほだされたか?ほだされてるねぇ…それで?恋人になった?」 「いや、まだ。俺なんてまだまだ小僧だと思って相手にされてないよ。でも俺は諦めないよ?って伝えてある。そういうと爆笑されるけど、嬉しそうなのはわかってるんだ」 晃大のことを知っていると思ったのに、まだ知らなかったんだなと思った。こんなに熱い恋愛をするなんて意外だ。 「なんか...羨ましいな。晃大みたいに、そんなに素直に伝えられないよ。そもそも、そんな関係じゃないし。今更何を真面目に伝えるのかって...それに、恋愛?恋人になってどうするの?何をしたいの?そう考えたら、必要ないかもって思う。別にこのままでいいし」 「フラれることばっかり考えてるだろ。それをものすごく恐れているはずだ。せっかくいい感じで付き合えてるんだから、告白してダメだったらその関係を失ってしまう。そんなの嫌だって思ってるんだろ?」 「そうだよ。このままの関係の方が崩れなくていいし。ずっと仲良くしていられるもん、きっと」 「そのままの関係で、誰かにその人の一番近いポジションを取られても黙って見てられるか?俺は出来ない。その人のことになると譲れない。相手の長所も短所もダメな部分もかわいいところも、全部俺が受け止めたい。そんなの全部ひっくるめて愛させて欲しい。その人の一番の権利が欲しい」 「晃大、重い…」 「わかってるよ。だからそんなこと1ミリも言わないよ?それに、そんなこと言ったらまた子ども扱いされるし」 だけど後悔はしたくないんだと、追加な言葉を晃大は口にする。 重いとリロンは晃大を揶揄ったが、本当は泣きそうなくらい羨ましかった。 晃大の代わりはいないだろう。だけど、自分の代わりはいくらでもいる。 自分は、壊れたイヤホンのように使い捨ての存在だ。使えなくなったら簡単に捨てられる。誰からもそう扱われるような存在だとリロンは思う。 晃大のように出来ればよかった。多分、もう遅いんだ。今からそんな態度を取ったら、ジロウはびっくりするだろう。 最後にもう一杯飲んで帰ろうとなる。晃大のグラスの下のコースターをリロンは指をさした。 「晃大さ、それマイコースターでしょ?やっぱりまだ持ち歩いてんだね。お店にだって、コースターあるのに。しかも飲んでたら関係なくない?水滴なんてさ…って、昔は思ってたけど。実は、今日その話をある人にしたんだよねぇ。そしたらその人、マイコースターを持ち歩くのもわかる!って言ってたよ」 「だろ?わかる人にはわかるんだよ。俺は何でか、これだけはダメ。他は大抵許せるのに。だけどさ、最近は俺の好きな人も同じコースター持ち歩いてんだ。少しずつ俺の影響受けていってんの。かわいいねぇ」 「げぇっ!また惚気かよ…勘弁してほしい。恋ってこんなになるんだな。マジでそれは嫌だなぁ」 スパニッシュの店内はまだ盛り上がっている。週末はきっと朝まで盛り上がるんだろう。

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