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第28話 ジロウ

「おーい…大丈夫かぁ…」 珍しくリロンが店でグッタリとしていた。 激しく身体を求め合った翌日から、バーシャミのラストスパートが始まった。 閉店に向かいお客様もたくさん来てくれている。だが、今日いつもと違うのは姉が店に来たこと。いつもと違うサイクルで動いていたから、リロンはグッタリとしていた。 「いや〜…オーナーは相変わらずパワフルでしたねぇ。まぁ、こうなると思ってましたよ?ねっ、ジロウさん」 ニューヨークで一緒に仕事をしていた武蔵は、オーナーと呼ぶ姉のことを知っている。姉の店で昔一緒に働いていたからだ。 「うーん…まぁ、そうだな。だから会わせたくなかったんだよ。クミコすげぇだろ?リロン、大丈夫だったか?」 「えっ…?あ、うん。今まで仕事でお姉さん達と一緒だったから慣れてるつもりだったけど。免疫が切れてたのかな…ジロウさんよりパワフルでカッコいい女性なんだね。クミコさんって」 はははと、リロンは乾いた笑い声を出していた。 今回、フィエロを復活させることは、ジロウの姉であるクミコには伝えてある。 バーシャミを閉店させた後、クミコが新しく手がけるニューヨークのレストランに、シェフとしてジロウは行く予定だったが、それを断った。 理由を聞かれたので、フィエロをもう一度やり直すことをクミコには伝えてる。 ビジネスではシビアなクミコに、ニューヨーク行きを断ったのであれば損害賠償を請求すると言われ、店の上にある2階3階のジロウの自宅を引き渡すことで話がついていた。1階の店は元々クミコ所有物であったので、これでこの建物全てがクミコの物となる。 だけど、話はそれだけではなかった。 ジロウがフィエロを復活させることに、クミコは難色を示していた。それは、あのジロウの味覚障害だ。 また身体の不調があり、味覚障害がぶり返したらと弟の身体を心配している。フィエロで体調を崩したのだから、復活させることでまたぶり返すのでは?と、考えるのは自然なことだ。 クミコしか知らないことだから尚更心配なんだろう。それにクミコはジロウのことをめちゃくちゃ可愛がっている。可愛い弟がまた病気になったらと、心配する気持ちが大いにある。だから、ニューヨークに連れて行き、自分の手元に置いておきたいと思っていたようだった。 そのクミコの気持ちがわかるジロウは、説得するために、渋々リロンの話をしていた。自分の人生である『食事と愛』を与えてくれる人と今は一緒に暮らしている。もう間違えることはないし、味覚も安定しているから大丈夫だと。 そしたら、まぁ、会いたいと。その人に会わせなさいと、そりゃそういう話になる。 なので、バーシャミでクミコにリロンを会わせた。会わせたらこうなるだろうなと、薄々勘付いていたが想像以上だった。 姉のクミコはラテン系アメリカ人代表とでもいうような女性。 胸がバックリ開いてる服を着て、金曜日の夜バーシャミにお供の男性数人を引き連れて、踊るように来店した。 スキンシップが派手なクミコはジロウを見るなり抱きつき「LOVE YOU!」と、頬にチュッチュとキスをする。今もなおクミコの中ではジロウは子供なんだろう。 ジロウの頬には真っ赤な口紅の跡がつく。姉と弟だということを知らない人がみたら、熱い外人カップルに見えるのは、今までもずっとそうであったから知っている。 武蔵とリロンが、クミコの過剰な愛情表現をジッと見ていたのが印象的だった。しかし、この反応はジロウには見慣れていることだ。クミコの派手なスキンシップは、ジッと嵐が過ぎるのを待つようにしないと、後が大変だということは、小さい頃から学習済である。 「クミコさんからトムフォードのあの香水が香ってた。だからこれで本当にわかったよ。それに前、銀座でジロウさんが、髪の長い女性と一緒にいるのを見かけたよ?あれはクミコさんだったんだね、ジロウさん」と、リロンは笑って言う。 女と会っていたというあらぬ誤解があったのか。そんな誤解は解けてよかったと思ったが、そのクミコはリロンをロックオンした。 リロンは人の気持ちを察する術を身につけている。それは昔、お姉様方と暮らし、その仕事を生業としていた時に身につけていたことだった。 それがクミコには、たまんなく心を鷲掴みにされたようだった。 クミコの気持ちを察してオーダーをするリロンに感動して、可愛がり始めた。まあ、リロンの見た目もクミコにはストライクだったのだろう。 ここまでは想定内。まだよかった。 「リーロン!Oh my goodness!あなた今までどこにいたの?何で見つけなかったのかしら!素晴らしい!素晴らしいわ。見た目も物凄くキュートだし。それになんで人の気持ちがわかる?私の気持ちがわかるなんて嬉しい!確かに、あなたがジロウを支えてくれる人だというのはわかったわ。私にいい考えがある!あなたにジロウを任せたいの。リーロン!」 と、ジロウを差し置いて今度はリロンの頬にクミコの真っ赤な口紅の跡をつけ始めた。スキンシップが過剰だから、リロンの手を取りバーシャミの中で踊り始めている。ラテンの血が騒ぐからこりゃしょうがない。それはわかる。 リロンも邪険にすることが出来ないため、クミコのノリに合わせていたようだが、その後が大変だった。 「閃いちゃった!閃いちゃった!」と何かを考え始めたクミコは、ご機嫌で踊り出していた。 クミコはリロンを連れて帰ると言い始めた。それを聞いたジロウは焦り、クミコに抵抗した。長年、弟としてクミコの近くにいる。以前は姉の言う通り、完全に従っていた。だが今回は違う。ジロウは初めてクミコに抵抗した。 「リロンは俺の恋人だ。アモーレだ。クミコが連れて行くのは許可しない」 と、ジロウが言うも 「ジロウ?リロンの可能性を潰しちゃダメよ。かわいそうじゃない。あなたが許可すること?それは本当に正しいことなの?恋人のことを考えてると思えないわ。私がニューヨークに帰るまで、リロンは私の近くに置く。大丈夫よ!私に任せて!いいアイデアがある!確かに、リロンならジロウを任せられるわ。それに、リロンのためにもなるのよ」とクミコは言い返す。 数日で閉店するバーシャミの中で、ジロウは姉と言い争いを始めてしまった。 小さい頃から姉は絶対的存在なので、今まではずっと言われたことをのらりくらりとかわしていたが、これだけは譲れない。リロンのことだけは譲れない。 おかげでリロンはジロウの恋人だと周りに伝えたことになった。店に来ていた客も皆酔っているので、大声で話をしているのを聞き、拍手喝采、ヒューッと派手な口笛を吹かれて盛り上がってしまった。 それを見て今度はリロンが慌て始めた。事を納めようとしたのだろう。少しの間なら、クミコの所に行ってもいいようなことを口走ってしまった。それは、クミコの閃きに乗ったと聞こえてしまう。 「NOoooo!リロン、ダメ!俺はお前と離れて暮らすことは出来ない!そんなこともう出来ないって言っただろ?ずっとそばで、一緒に暮らすって言っただろ?ダメ…ダメだ。リロン…俺はお前が必要なんだ。そばにいてくれ、愛してる」 「ちょ、ちょっと!やめろよ、ここお店だよ!しかも、日本語で…」 多分、この時…この店をオープンさせてから一番の盛り上がりだったと思う。 そりゃそうだ。店のシェフが大真面目に愛の告白をしているんだもんな。店はめちゃくちゃに混んでいたが、必死になっていたから周りなんて考えられなかった。 客はみんな酔っているから、冷やかし、もう一度拍手喝采に口笛。だけど、リロンは真っ赤な顔をしていた。 クミコは弟の言葉を聞き大感動して、店の客全員に酒を1杯ずつ奢るとか言い始め、リロンにお願いしていた。それを聞きリロンは急いでキッチンに戻り酒を作り始める。 まあ、それで収まったかと思ったが、クミコは、ジロウの気持ちや態度には感動し、応援するが、それとこれとは別な話と言う。 「ジロウ!上の自宅を引き払うんでしょ!その間、リロンが行く場所がなくて困るじゃない。だーかーらー!私のところに来ればいいのよ。もし、リロンがすぐに来てくれるって言うんなら、1か月くらい立ち退きを伸ばしてあげてもいいのよ?うふふ」 「いいや!結構だ。俺とリロンはすぐにここから引っ越しするから、構わないでくれ。マジで…クミコ、わかってくれよ。アモーレと離れて暮らすなんてどんな気分かわかるだろ?リロンは俺の恋人だぞ!」 「別にずっと離れて暮らすって言ってるわけじゃないじゃなーい。恋人同士なんだから、愛を語り合う日も必要よ!だけど少しだけ、私のところでリロンは暮らすのよ。それはね!いい事を閃いたからなの!うふふ、ラララ〜アハハ〜」 何を言ってもクミコはわかってくれない。この押しの強さがビジネスでも成功しているのは認めるが、今は迷惑以外何者でもない。 「仕方ないなぁ、じゃあ今日は帰るね。明日!明日も来る!ね、リロン。そしたら明日は一緒に帰りましょう?これからのこと、あなたに相談したいのよ。ラララ〜たっのしい〜。うふふ、楽しいわ!ジロウ、愛してる!あなたのアモーレは最高ね!」 そう言い残し、派手な取り巻きの男性達とクミコは帰って行った。結局、ジロウとクミコの板挟みになりリロンは体力気力を使い切ってしまっていた。 「ヤバ…リロン、大変だな。ここが閉店したら少しオーナーの所に行くか?ありゃ、一度行かないとダメなんじゃないか?エグかったな、オーナー。だけど、何をする気なんだろう。閃いちゃった!って言ってずっと踊ってたよな」 武蔵が他人事のように言う。まあ、他人事だから仕方ないが、ジロウはクミコの行動にイライラとして武蔵にも当たってしまう。 「おい、武蔵!そんなこと言うな!クミコの所なんかに行ったら帰って来れない!あいつ…弟の俺だけにしておけばいいものを…リロンにロックオンしやがって…」 「まあまあ、ジロウさん。オーナーはニューヨークにいずれ帰るんだし?ちょっとだけ、その閃きとやらに乗ってあげればいいんじゃない?悪い人じゃないし、単純に押しが強くてめちゃくちゃ明るい人なんだから。それにビジネスではかなり凄腕だし」 ジロウはギリギリと歯軋りをしていたところに、グッタリとしていたリロンがムクっと起き上がり声をかけられる。 「それより、ジロウさん。上の自宅をクミコさんに引き渡すの?そんなの聞いてないんだけど…それと、ここが閉店したらどうするの?何か考えてる?ジロウさん、ちゃんと言ってくれないとわからない」 「あっ…あれ〜…。あっそうっか…」 ちょっとリロンがムッとしている。それでもかわいいな、なんて思ってしまう俺は相当ヤバいんだろう。 「ああーっ!そうですよ!フィエロオープンまでどうするんですか!」 武蔵が突然大きな声を上げた。今、気がついたというようなことを言っている。本当にこの男は愛すべき男だ。あまり物事を深く考えないのだろう。作る料理は繊細なのに、本人の性格とは真逆である。 「大丈夫!それは考えてある。とりあえず、明日、ここの閉店を迎えたら伝えるから。そうだなぁ…月曜日!月曜日に集合した時に伝えるよ。とりあえず、閉店まで突っ走ろうぜ」 明日は土曜日。 バーシャミの最後の日だ。

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