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第29話 ジロウ

バーシャミ最終日である土曜日のランチには、いつもよりも多くの人が来てくれていた。外に待っている人の列が出来たほどだ。 武蔵が小慣れた感じでランチメニューを作ってくれたので、捌き切ることが出来た。リロンと二人だったら、この人数はちょっと難しかったかと思う。 バーシャミはジロウがオープンさせた店だが、味覚障害になったのを心配したクミコが好きに使っていいと言って、場所を提供してくれていた。 但し、期間限定だった。ニューヨークに新しい店をオープンさせるクミコは、バーシャミを閉店させ、ジロウを連れて行く準備をしていた。だからそれまでは好きに使わせてもらっていた。 数年は営業出来たから、結構長くやれたなと思っている。クミコがジロウの味覚障害を慎重に見極めていたから、数年やれたんだなということも本当はわかってるけど。 「ジロウさん、夜にこれ出してもいいですか?」 武蔵がフリッタータを作っていた。イタリア風オムレツであるフリッタータには、ポルチーニ茸が使われていた。ポルチーニが濃厚で美味しい。だから「うん、いいよ」と快く返事をしておいた。 武蔵はこうやって少しずつ料理をジロウに出して試している。多分、武蔵の料理の指針はジロウなのだろう。 武蔵はニューヨークにいた時、同じクミコの店で働いていた同僚だ。同じポジションで働いていたのに、どういうわけか今はジロウを慕ってきている。何かキッカケがあったのかもしれないが、思い出せない。ただ、武蔵はいつの時もジロウを真っ直ぐに見つめ、慕ってきてくれる。 「リロン、ジロウさんOKって言うから食べていいぞ〜」 「やったぁ!んんーっ、ポルチーニ美味しい!このソースも濃厚!今日さ、玖月さん来ると思うからこれ出してもいい?」 武蔵とリロンの会話を横で聞いていた。玖月とは、いつもランチで来てくれる大きな会社の社長さんである岸谷という男の恋人のことだろう。いつの間に仲良くなったんだろうかと考える。 「玖月さんって…あの、岸谷さんの恋人だっていう人?いつもランチに来てたのに、夜に来るなんて珍しいな。リロン、知り合いなの?」 「うーん、この前ちょっと外で会ってさ。この川沿いのベンチで喋ったんだよね。その時、約束したんだ。バーシャミの最終日の夜に来るから、会おうねって」 「ふーん…」と、横で聞いていたジロウが返事をしてしまった。 「あれあれ?ジロウさん面白くない?うんうん、そうだよね。リロンが他の人と仲良くするのは面白くないもんね。そうそう」 愛の戦士を自ら名乗る武蔵が、激しく頷き知った顔でジロウに物申す。 「そんなことない。ふーん、そうなんだなって聞いてただけだよ。それに同世代の知り合いがリロンに増えるのはいいことだ」 そう。リロンが年相応の付き合いをするのは嬉しい。視野も広がるだろうし、本人も楽しそうだ。今までそんなことはほとんどなかったんだろうなと思うから、バーシャミで同世代の客と楽しそうに話をしているのが微笑ましかった。 「そっか…じゃあ、問題はオーナーだけですね。昨日は愛の戦士、頑張ってましたね。みんなの前で熱烈な愛の告白をしてさ。『リロン、愛してる』なんて、めっちゃカッコよかったですよ?やっぱ、俺たちは言葉で伝える戦士ですもんね」 と、武蔵が親指を立てジロウにウインクをしてきた。 「…さっ、夜の開店まで少し休憩しようか」 「そうだね。今日は忙しくなりそうだもんね。ジロウさん、頑張ってね」 リロンと二人で武蔵の言葉をスルーした。 ◇ ◇ 「いらっしゃいませ」というリロンの声を聞き、入り口に目を向けると岸谷と玖月の姿があった。 約束通りに来てくれたんだなと思い、リロンが席に通すのを見ていると、既に来ていた客と同じ席に通していた。待ち合わせだったのか。 「ジロウ!玖月さん来てくれた!えーっとね、あったかくていい匂いがするものお願い!小分けにしてもらえると助かる。それと、さっきのやつ出していい?」 「ちょっと待て!リロン、アイツらと玖月さんは知り合いなのか?」 既に来ていた『アイツら』とジロウが呼ぶ客は、いつも下野と一緒に来てくれている海斗と蓉という若い客だった。 蓉はめちゃくちゃ大食いなので、彼が来るとキッチンが忙しくなる。だけどいつも美味しそうにペロッと食べてしまうので、武蔵と一緒にこれでもかっ!というほど色々なものを作って出していた。ジロウの中では一二を争う気持ちのいい客だ。だから、その人達と玖月が知り合いなのに驚く。 「そうなんだって!びっくりだよね。今日は待ち合わせしてたみたいだよ。海斗くんがさ、後から2人来るって言ってたから、てっきり下野さんが来るんだと思ってたけど、玖月さん達だった」 「へぇ…」 世間は狭い。というか、世間は繋がるから狭くなる。この客同士が知り合いだったのもそうだ。 こんな店をやってるとよく目にする光景がある。酔って気分良くなり隣にいる客同士が仲良くなる事だ。それをキッカケにビジネスやプライベートが広がるんだろう。それは、リストランテでは見られない光景で、バルだからこそ知れたことだったりする。 「ちょっと、ジロウ!手が止まってる!」 「お、おう!」 リロンに叱咤されてしまった。相変わらずリロンは生き生きとしている。隣から視線を感じたので振り向いてみると、また親指を立てている武蔵がいた。こちらは相変わらず、何か勘違いしているようだ。そっとしておこうと思う。 キッチンに少し目処がついたので、ジロウもフロアに出てリロンのフォローをする。 同じフロアの端と端にいても、リロンを強く感じる。二人でフロアをサーブするのは気持ちがいい。体をぶつかりもせず、お互いが譲り合って、でも気にしながら動いているのがわかる。 玖月の席でリロンが話をしているのを見て、ジロウも立ち寄った。 「どーも!最後に来てくれてありがとうございます。それにしても、みなさんお知り合いだったんですね。驚きました」 ジロウが岸谷と玖月、海斗と蓉の全員を見て笑顔で伝える。 「ここ閉店するんですね。こんなに流行ってるのに…別のところに新しくオープンするんですか?」 岸谷から即座に聞かれた。今までははっきり決めていなかったから、こんなふうに聞かれた時は、まだ決まっていないと伝えていたが、今はもう気持ちは決まっている。 「そうなんです。次は銀座に店を出す予定なんです。昔、フィエロってイタリアンの店を出してたんですけど、一旦閉めてたんですよ。それを復活させる予定です」 銀座に店を出すことは予定している。だから、はっきり岸谷に伝えることが出来た。 「おおっ!フィエロ!知ってますよ、俺。行ったことあります。うちの親父もよく行ってました。えーっ、フィエロのシェフ?」 岸谷は驚いた声を上げて聞くから、ジロウは笑って頷く。 ほら、世間は狭い。そして世間は楽しい。 「俺、フィエロが閉店した後、何回か店の前を通って確認したんですよ。別の場所に移転したのかなって思って…ああ〜思い出す。俺は、フィエロのトリュフソースがかかった牛フィレのファンだったんですよ」 「あははは、そうだったんですか。メニューも覚えていてくれて嬉しいです。あの時は準備不足でしたから…今度はちゃんと準備できてオープンさせるので、その時はよろしくお願いします」 「フィエロ復活したら是非行かせてください。マジで楽しみにしてます。玖月、一緒に行こうな。リストランテだぞ」 いつもはお互い会釈をする程度の岸谷とまともに話をしたのは初めてだった。 以前のフィエロに来たことがあると言い、復活を楽しみにしていると言ってくれた。期待に応えたいと、ジロウはこの時強く思った。 岸谷の隣にいる玖月は、楽しそうに笑って頷いている。確か、リロンはこの人のことを少し潔癖症だと言っていた。 バーシャミのようなバルは、活気があるというか、ガチャガチャしてるというか、とにかく人が多く賑やかな場所だから、潔癖症は辛いんじゃないのだろうかと考えていた時、横から別の声がかかった。 「えーっ、俺も行きたい。連れてってくださいよ。リストランテなんて普段行けないんだから」 「そうだよ。俺たちもさ、連れてって欲しいよ。岸谷さんと一緒じゃないといけないくらい高級なんでしょ?」 と、口々に蓉と海斗が言い始めていた。この二人が岸谷とプライベートを共にするきっかけは仕事だったのだろうか。 「やだよ!お前らは別に行けばいいだろ?俺は玖月とリストランテに行きたいんだ」 はっきり断る岸谷に「大人げない」「いいから連れて行け」と二人が絡んでいるのを、リロンと笑いながら見ていた。 その様子から、どうやら仕事は関係なく、完全にプライベートで仲がいいように感じた。 「だけどさ、リロン…次の仕事どうするか決まった?大丈夫?」 海斗が心配そうにリロンに向かい質問している。ここにも同世代がいたかと、ジロウは嬉しくなる。リロンを気にかけて、次の仕事の心配をしてくれるなんて、本当に嬉しく思う。 「おおっ!心配してくれるのか?ありがとう!でも、大丈夫!リロンは俺が一生をかけて面倒見るからさ」 と、嬉しくて咄嗟にジロウがリロンの腰を抱き寄せ、親指を立てて海斗にウインクをして返事をしてしまった。ちょっと武蔵のようになってしまったと思う。 すかさず「ちょっと!店の中ではやめてってば!」と、リロンに言われ突き飛ばされてしまったけど。 四人を見ると呆気に取られた顔をしていたが、玖月だけはその後ケラケラと笑い出し「やっぱり!お似合いだと思ってた!」と言っていた。かなり飲んでいるなと、いうのがわかる。 岸谷たちのテーブルで話をしていたら、リロンが入り口を見て「あっ!」と声を上げた。 「ジロウさん!クミコさん来た!」 「マジかよ…最後の日なのに。本当に来たのかよ」 胸も肩もバックリと開いている服に、ジーンズ姿のクミコがご機嫌で店に入ってくる。足元はルブタンのヒールだ。 今日はお供の派手な男性たちはいなく、ひとりのようだ。 だけど、店は大繁盛なので席は空いていない。よかった…断る理由が出来ている。 「ジロウ!リロン!会いたかった!」 昨日、会ったじゃねぇかよ…と心で思いながら強烈なスキンシップを受け、また嵐が去るようにジッと待つ。これは儀式のようなもんだ。 「リーロン!今日もキュートね。昨日よりもほっぺも唇もぷっくりしてて、かっわいい!あーん、本当に可愛いわ!会いたかったわ!リロン」 店の真ん中でリロンに抱きつき、頬に熱烈なキスをチュッチュとしているクミコを無理矢理引き離し、店が繁盛してて席が空いていないと伝える。 「ジロウ!問題ない!だーいじょうぶよ、任せてちょうだい。そうだろうと思ってたから。ほら!私も手伝うわ」 クミコは長い髪をくるくると束ねて、キッチンに入り、手を洗っている。 「さあ!教えて。どこの料理をどのテーブルに持って行く?」 「おい!クミコ!マジかよ…勘弁してくれ。今日は最終日で忙しいんだ」 「だからでしょ?キッチンはあなた達二人で頑張って!フロアは私とリロンに任せてよ」 聞く耳を持たないクミコはウインクをしている。隣にいる武蔵はノリで親指を立ててウインクを返している。コイツの図太い神経が今は羨ましい。 「ジロウ!外に並んできちゃった!またテーブル出してもいい?」 いつものように、外にも人が溢れてきているらしい。リロンが慌ててキッチンに駆け込んできた。 「Oh!キッチンでは英語なのね!わかったわ!リロン、今日は私をこき使ってみせてよ。何でもやるわ!」 「…OK。じゃあ、外、一緒に手伝ってくれる?」 クミコとリロンがキッチンから飛び出して、外にテーブルを作り始めた。

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