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第30話 ジロウ

「ありがとう!今度はフィエロに来てね」 クミコが最後の客を見送って無事、バーシャミは閉店した。 「うわぁぁぁぁ…疲れたぁ。ジロウさん、マジで今日は凄かったですね」 武蔵がドカッと椅子に座り込む。 「ああ…武蔵、お疲れさま。本当にありがとうな。二人で作っても追いつかない時あったよな」 「ですよ…あのリロンのオーダーも今日は一段と拍車がかかってたから。すげぇな、本当に。なに?あの、最後のパスタの嵐。それと、ピザの量。あんなにピザ焼いたことないかもよ?俺」 ビールをつぎ、武蔵に渡して乾杯する。武蔵がいてくれて助かっていた。 「…って?やぁだ!本当に?」 「うん…多分、そうですよ。でも、よくない?」 クミコとリロンの話し声が聞こえる。店の端で二人で片付けをしながら話をしているようだ。 話の内容まではわからないが、今日一日で二人の距離はグッと近くなったと感じる。一緒に働いたからそうなるのだろう。 流れるように、踊るようにフロアでサーブしていた二人だった。ジロウは心配で何度もフロアに目を向けていたから、途中で武蔵に馬鹿にしたように笑われていた。 リロンとクミコは意気投合しているようだった。それに役割分担も何となく決めていたようにも見えた。 「武蔵、あともう一踏ん張りやってくれるか?あの二人にも何か食べさせないと」 「ですね、何にしましょうか。オーダー聞きます?」 「オーダーか…怖いけど、聞く?」 店は閉めたし時間はある。聞いてみるかと二人をキッチンに呼んだ。 「さぁて!何しましょうか?」 ジロウが言うとリロンはワクワクとしたような顔をしていた。本当にかわいい。 「いいの?本当に?うわぁ!嬉しい。そしたらねぇ…えっと、ホワイトアスパラある?ホワイトアスパラのなんか食べたいなぁ。後は、クミコさんアボカド好きでしょ?だからアボカド…」 「おい、待てリロン。クミコに気を使ってばっかりじゃなくていいんだぞ?今のはクミコの好きな物ばかりじゃないか」 リロンの言葉を聞いたジロウはわかっていた。リロンの好きなものではなく、クミコのオーダーを通してるんだってこと。 「リロン!あなた、最高よ!本当に本当に素敵!何でそんなに何もかもわかるのかしら。ああ、ジロウ!お願いそれ食べたい」 「ああ、はいはい…」 クミコがリロンの頬や顔中にキスをしているのを見ても慣れてしまった。リロンも慣れてきたようで、ビクともしていなかった。たった1日で、これはこれで凄いことだと思う。 クミコのためにと、武蔵と二人で作ったが、ジロウはリロンのために好きなものを作っておいた。疲れた時、リロンが好んで食べる物、パルミジャーノチーズのリゾットだ。 リゾットはリロンだけに出したから驚いている。うわぁと嬉しそうに小さな声を上げているのを聞き、ジロウは心の中でガッツポーズをした。好きな人の喜ぶ姿が見れて嬉しい。 「はい、どーぞ。今日はありがとうございました」 ジロウの言葉に四人で乾杯をする。クミコはホワイトアスパラが大好きだと言い、ひとりでバクバクと食べていた。 「ねぇ、リロン!あの子面白かったわよね?知り合いなの?あのテーブル、スッゴイ飲むし、スッゴイ食べる子がいたわ。ひとり飲み過ぎて潰れてたけど。あははは」 「ああ!あの人たちね!うん、知り合い。っていうか、常連さんだよ?今日はクミコさんの勢いに乗って玖月さんケラケラ笑ってたな。意外でびっくりしちゃった。それを見て岸谷さんが感動して泣きそうになってて笑っちゃった。あはは」 少し潔癖気味だからと、今日も玖月はプラスチックのカトラリーを使っていた。リロンが気を利かせて渡したのだろう。 料理もリロンが気を使っていた。それぞれが食べれるように小分けにしている。そんな気遣いをしていたのに、クミコが乱入してきて、ジロウはハラハラしていた。 クミコは持ち前のラテンのノリで、各テーブルを踊るように接客していた。他の客であれば酔ってるし、イタリアンバルだし、そんなもんかと思えるが、あのテーブルだけは、そのノリを控えて欲しいとジロウは思っていた。 「リロンが教えといてくれたから、私は失敗しなかったでしょ?ほら!やっぱりすごいわね!リロン!あなたの観察力は素晴らしいわ」 ふふんと、クミコは鼻歌を歌いながら、今度はパスタを食べている。 「事前にクミコに教えといたのか?」と、リロンにジロウは聞いた。 「え?あ、うん…。別にあのテーブルだけじゃないよ?他のテーブルも全部。このテーブルの人たちは友人同士で、今日は何か特別な報告があるみたいとか。こっちは、店が最後だから気になるもの全部食べたいって思ってるテーブルだとか…そんな感じ?で、あのテーブルは…玖月さんが初めて夜に来たいって言ったから?気心知れてる人たちを岸谷さんが徴集したんでしょ。だけど、玖月さんが意外とお酒が強くてめちゃくちゃ飲むからさ…何本もワインが空いて、凄かったな。玖月さんが一番飲んでたし、海斗くんは最後に潰れてた。そんで、みんな酔ってるから、クミコさんがサーブすると楽しい!って言って喜んでた。岸谷さんとジロウさんだけだよ、それを見てハラハラしてたの」 「へぇ…」 やっぱりリロンの観察力はすごいと思うと同時に、クミコが恐らく冷静に判断していたと感じる。リロンから言われた距離感で客に接していたのがわかる。 それに、ラテンのノリで誤魔化してたんだろうけど、瞬時に今日の客層と売り上げを計算していただろうし、リロンのオーダーと、実際出来上がった料理の単価が正しいと分析もしていたと思う。クミコは、そっちが気になるところだとは知っている。 「ふふふ…ジロウ、わかった?ねっ、リロンの才能を埋もれさせちゃダメよ。私に預けて!悪いようにしないから。今日は一緒に帰ろう!と…言いたいけど、ジロウが何だかうるさいから、とりあえず帰るわよ?だけど、来週からリロンは私と一緒に来てもらうわ」 「まだ懲りてないのかよ!ダメだ!リロンは渡さない。ここはすぐに引っ越しをするから問題ないだろ?」 「あら、ジロウ!それなら私のアイデアなんて最高よ!きっと気にいるわ!だからこそ、リロンが今、必要なのよ」 何を言っても聞かず、平行線。というより、クミコの中では最初から決まっていて、ジロウの言葉なんて入ってないんだろう。 「うふふ…これたーべちゃおうっと!うわぁお!美味しい!これは武蔵ね?」 「ああ、そうです!俺が作りました。どうですか?」 「とーっても美味しい!武蔵も相変わらず上手いわね。これに合うのはワインかな、やっぱり。ジロウ、ワイン空けてもいい?」 「はい、どうぞ…」とグッタリして気のない返事をした。 キッチンに消えていくクミコを横目に武蔵が小声でリロンにたずねる。 「なぁ…リロン。さっきさ、玖月さんが酔って言ってたじゃん。あれなんだ?クミコさんが誰かに似てるとか言ってなかったか?ご機嫌で玖月さんもクミコさんも踊り出してたじゃん」 「ああ、あれね…あれは、ちまる。クミコさんがちまるに似てるって、玖月さんが言い出して喜んでた。結構飲んでたからなぁ…きっと、明日は覚えてないんだろうな、玖月さん」 「ちまる?誰だ?」 確かに、帰り際クミコと玖月は手を取り合って踊るようにしていた。その時そんなことも言っていたような気がする。 リロン曰く、ちまるとは岸谷と玖月の家にいる子供のゴールデンレトリバーの名前だという。 やんちゃで、元気が有りあまっているちまるは、まだ子供なので家の中を全力で遊び、めちゃくちゃにしてしまうらしい。そんな犬を岸谷も玖月も溺愛していると、リロンは言っている。 「マジか!ウケる!玖月さんって大したもんだな。犬とオーナーが似てるなんて言い出すとは!確かに…元気があって話を聞かないところは犬に似てるかもな」 武蔵はそれを聞き爆笑している。ジロウはそれよりも、玖月が手を取り楽しそうにクミコと話をしていたのに驚いていた。 潔癖症なんてやっぱり違うんじゃないか?と一瞬思ったが、その時岸谷に「本当にありがとう。他人と手を取り合うなんて考えられなかった」とジロウは言われていた。やはり、リロンの言うことが当たってるんだなと、その時思っていた。 恐らくリロンの観察力で出来たことだろう。玖月のギリギリOKなラインをリロンが察して、クミコに伝えていたんだなとわかる。 「さあ!今日は飲むわよー!フォーッ!」 クミコがワインを片手に戻ってきたので、交代にジロウがつまみを作るために、キッチンに入っていった。

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