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第37話 ジロウ

「…はい、では次。いきましょう」 どれくらい時間が経ったのだろう。 フロアスタッフの面接を始めたが、フロア支配人夫婦からのダメ出しで、スタッフは一向に決まらなかった。 「持田(もちだ)さん、ちょっとくらい大目に見てもいいかなぁって思うんですけど…」 「そう…ですね。ですが、妻からのダメ出しなので従った方がよろしいかと」 コソコソと小さな声で話をするのはいかがなものかと、自分でもわかっている。 持田の隣に座る持田の妻、縁江(よりえ)を、ジロウは持田越しにコッソリ眺めた。 面接が始まってから、持田よりも持田の妻、縁江(よりえ)からのダメ出しがきつかった。 面接に来てくれた方は沢山いる。ジロウはそこまで悪くないかなという印象の方でも、縁江から見ると全くダメなようで、今のところ、どこの派遣会社からの紹介者も全滅である。 「縁江さん、今日はもう派遣会社は打ち止めです。昨日も一昨日も紹介されてきた方はダメだったから、今のところ全滅です。もうちょっと…ハードル下げてもいいんじゃないでしょうか?」 恐る恐るジロウが持田の隣に座る縁江に意見をする。縁江の迫力に少し負けているのは認める。 「いいえ、ジロウさん。さっきの方は、プライドが高く自己主張が強かったでしょ?それに、優柔不断や人見知りの方もいました。お客様への接客なので、そんな方はお断りしています」 と、縁江は話し始めた。 もちろん、無難な人もいた。だが、フィエロにはレストランサービスのプロフェッショナルになれる人が必要だと言う。 最初からそればかりを求めているのではないが、原石にもなれない人ばかりなのでお断りをしていると、縁江は続けて言っていた。 ひとりふたりを雇うのであれば選り好みをしても問題ない。だけど、フィエロはかなりの人数を雇わなくてはいけないので、この調子だと全くフロアスタッフは決まらないんじゃないかと不安になってくる。 ジロウは考えながら縁江の話を聞いていたため、縁江は話を続けている。 「時間とお給料に趣きを置いている方には、接客技術を習得するのは難しいでしょうね。それに、時間とお給料はその人に比例していることをみなさん忘れてますね…私自身もフィエロで働くのは光栄で誇りです。だからこそ、フロアスタッフの厳選には厳しくなってしまいます」 縁江も疲れてきたようで、最後はため息混じりになっていた。 「ちょっと休憩しましょう。今日の面接予定は終わっちゃったし」 ジロウはそう言い、今のところひとりも採用まで至ってないこの重い空気を変えようと考える。コーヒーを淹れようとジロウは立ち上がった。 フィエロの店内工事が完了したので、下野と契約していたクラウドキッチンから、従業員全員がここに移動してきている。 キッチンの中に入ると、スタッフは忙しく動き回っていた。調理の方はジロウと武蔵が軸になり動いているから問題ない。やはり、問題はフロアスタッフだと、もう一度ジロウは考えていた。 「ジロウさん、どうですか?そっちは。やっぱりまだ難しい?」 キッチンで武蔵に声をかけられる。きっとジロウは難しい顔をしていたんだろうと思う。 「ダーメ。持田婦人に無茶苦茶ダメ出しされて、ひとりも決まってないよ。どうしようかなぁ…やっぱり話し合いして、少しハードル下げてもらう必要あるよな」 Oh…と言い、武蔵は残念そうな顔をしている。 「あれ?マリトッツォ?珍しい…」 ドルチェもオープンメニューで試行錯誤しているが、フィエロではマリトッツォをお客様に提供する予定は無い。 でも、目の前にはブリオッシュの中に生クリームが、これでもかってくらいぎっしりと入っているマリトッツォがある。 「あはは、お客様に出すメニューじゃなくて、キッチンスタッフ用に作ったんでしょ。パスティッチェーレが、日替わりでスタッフみんなのおやつを用意してくれてるんです」 「へぇ…久しぶりだな、3つもらえる?フロアで持田夫妻と食べるよ」 甘いマリトッツォには濃いエスプレッソだなと、ジロウは3人分のエスプレッソを淹れた。 フロアに戻り、持田夫妻と一緒に一息つく。後1ヶ月ほどでフィエロはオープンとなる。メニュー決め、スタッフの教育、お客様への告知とプレオープンを行い、やっとグランドオープンができると話を進めた。 「…だから従業員教育で後1ヶ月。今、フロアスタッフを決めないと遅くなりますよね。グランドオープンの日は決まってますから」 マリトッツォを食べながらジロウが持田夫妻に伝えた。ジロウは、甘いものはあまり得意ではない。マリトッツォも苦いエスプレッソがないと甘過ぎて食べきれない。 だけど、縁江は凛とした姿勢を崩さずに、生クリームぎっしりのマリトッツォをペロリと食べ終えていた。意外と縁江は甘いものが好きなんだなと、ジロウは縁江の手元を見つめていた。 「ハーイ!ジロウ!」 エスプレッソで一息ついているところに、突然クミコが訪ねてきた。驚いて食べていたマリトッツォの生クリームを吹き出しそうになった。 「フィエロが出来上がったんでしょ?だから見にきたの。素敵じゃない!ゴージャスだわ!」とクミコは嬉しそうに店内を見渡して言っている。 立ち上がり、早足でクミコに近づく。 クミコは相変わらずスキンシップが過剰なので「LOVE YOU!」と、ジロウに抱きつき頬にキスをされた。 持田夫妻と大切な話をしてる時に… ああ、またタイミングが悪いとジロウは思った。
 クミコの後ろにはリロンの姿も見える。目配せをしたが、リロンは微妙な顔をしている。あれ?と、気になったが一旦そのままにし、クミコに持田夫妻を紹介した。

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