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第15話
帰りの新幹線の中、遊輔は退屈そうに週刊誌を読んでいた。薫は対面席でスマホをいじりながら聞く。
「面白いニュースありましたか」
「パンダの赤ん坊がでんぐり返りに成功、お池にはまってさあ大変」
「ドジョウがでてきてこんにちはしました?」
「飼育員に回収された」
薫に向けたページには、飼育員に抱えられたびしょ濡れ子パンダの写真がでかでか掲載されていた。
「最終的にどぼんしたのに成否判定甘すぎません?審査員各位動物園に売収されたんですか」
「細けェ」
「体操だってスケートだって着地に失敗したら減点でしょ」
「そこは愛嬌で補うの」
フェイクニュースでスクープを捏造した不祥事発覚以降、遊輔は仕事を干されている。
微糖の缶コーヒーを開け、戯れに言ってみる。
「ホームシックなんてがらにもない」
「何が言いてえ」
「古巣が恋しい?」
「恋しくなるほど大事にされた覚えはねェし、逆にせいせいしたね」
遊輔が元職場に鬱屈を溜め込んでいたのは知っている。そもそも組織に属すのに向いてない人間だった。
それでも多少の未練はあるらしく、今でも暇さえあれば週刊リアルの紙面をチェックしていた。
とはいえ書店やコンビニで立ち読みするか、電車のシート・網棚に放置されているのをちゃっかりパクるにとどまり、自腹を切って最新号を購入する所は終ぞ見たことない。
週刊誌に目を戻し、しなやかな指先でページを繰る。
「ホテルで変な夢見た」
「どんな」
「猫に手ェなめられる夢」
「昼にシーチキンマヨネーズのおにぎり食べたでしょ、その匂いが残ってたんですよ。噛まれなくてよかったじゃないですか」
「さすがに無理ねえ?」
いまいち腑に落ちない様子で指の匂いを嗅ぐ遊輔に、思い切って踏み込む。
「なめられただけ?他には」
「あ~、いや」
言い淀んで咳払い。
「お前さ、チュール食ったことある?」
わざとらしく話題を変えてきた。即座に否定する。
「ないですけど。え、あるんですか」
「腹減ってたんだよ」
「だからってチュールは食べないでしょ、人間の尊厳どこやったんですか」
「うるせえな、たまたまそこにあったんだよ。カップ麺切らしてたし」
「元カノと同棲中の話?」
「前の夜に喧嘩して飯作ってもらえねーで水道水がぶ飲みしてたらチュールが台所に」
「味のご感想は」
「結構イケた。まぐろ&タラバがおすすめ」
「全種類試したんですか」
「amazonから贅沢バラエティパックで届いた。酒のツマミにぴったり」
「チュール食べた口にキスするのはちょっと無理ですね……」
ダメ男に惹かれる女の心理はわからないでもないが、遊輔の歴代彼女ときたら相当なツワモノぞろいだ。
遊輔は夢の話を打ち切り、無糖の缶コーヒーに口を付ける。
今朝から、否、昨日の夜から態度がおかしいのは気のせいだろうか。帰りの準備をしている時も目を合わせようとせず、体が触れ合うのをさりげなく避けていた。
薫は他人の変化に敏感だ。こと遊輔の感情の乱れはすぐわかる。自分を見る目に過ぎる一抹の猜疑心と怯え、恥じ入るような後ろめたさは、彼が核心を語りたがらない昨夜の夢に起因してるに違いない。
「遊輔さん、爪楊枝」
「サンキュ」
薫の手土産のたこ焼きを食べる際、遊輔は爪楊枝を取り落とした。ただのうっかりなどでは断じてない、露骨な拒絶反応。引き攣った顔に表出する嫌悪の色が内心の動揺を物語っていた。
「ドジですね」
あの場は茶化して笑い話にしたが、たとえ一瞬といえど遊輔に拒まれた現実に対し、軽くショックを受けていた。
遊輔の夢の内容を知りたくないといえば嘘になる。しかし知りたくない気持ちの方が強い。好奇心は猫を殺す。下手な詮索は破滅を招く。夢の詳細を探ることで、暴くことで、何かが決定的に変わってしまいそうな予感がする。それだけですめばまだいいが、最悪終わってしまうかもしれない。
終わる?
何が終わるんだ?
答えはすぐに出た。
薫にとって心地いいこの関係が、永遠に終わってしまうのだ。
時折わからなくなる。
自分たちの関係性を表現するのにふさわしい言葉は何なのか。
バディと呼べるほど対等な立場なのだろうか。
これもまた一種の依存じゃないか、一方的に弱みを握り縛り付けてるだけじゃないのか、それは脅迫とどう違うんだ、実際遊輔は薫にさわられるのを怖がってるじゃないか、何が共犯なもんか、俺は加害者でこの人は受け身の被害者じゃないか。
目で。
指で。
唇で。
無防備に寝ているこの人を犯した、卑劣さと罪深さに吐き気がする。結果悪夢まで見せて最低な人間だ。しかもその事を偽り、真昼の新幹線の車内で世間話を続けている。
もっと俺を見てほしい。気付いてほしい。渇望に似た衝動を持て余し、叶わないならいっそめちゃくちゃにしたいと望む一方で保身に拘る自分がまともな人間のはずない。
俺にはきっと、この人の隣にいる資格なんてない。
車窓に映る顔に昨夜の残像を重ね、想いを過去に飛ばす。
昨夜ビジネスホテルを出た後、ネオン瞬く繁華街に赴いた。行き先はスマホの検索で見付けた、同好の士が集まるバー。
その店で一人の男に出会った。
惹かれた理由は単純、癖のない黒髪と銀縁眼鏡の奥のシャープな切れ長の目が少しだけ遊輔に似ていたのだ。
「隣いいですか」
「ああ」
年は三十代前半、遊輔と同じ位……一夜を共にするには理想的。同じくワンナイトラブの相手を見繕いにきた直感が働き、セピア色の照明に映える端正な横顔と、グラスの脚を掴む指のバランスを値踏みする。
ストイックな色気とスノッブな表情が同居する手も既視感を刺激した。
手元に注がれた透明なカクテルには、輪切りにしたライムとミントが添えられている。
「モヒートですね」
断りを得ずグラスを奪って嚥下。爽やかなミントの香りとライムの酸味、ラムのコクと甘みが調和して広がり、口の中が華やぐ。
「ホワイトラムを使ってる」
「この店にはよく来るのか」
「大阪自体初めてですよ。でもカクテルには詳しいかな、一応バーテンなんで」
「へえ」
「カクテル言葉は『心の渇きを癒して』」
含みありげな目と目を見交わし、新しいモヒートを注文した。
「仕事は何を」
「医者」
「外科医?」
「診るのは生きてる人間じゃない」
男は監察医だった。大阪には学会の出席の為に来たらしい。話の中で東京に住んでいること、作家の恋人と同棲していることを知った。ペンネームは教えてくれなかった。同性愛者である事を隠して活動してるならさもありなん。
「小説やドラマじゃない、生の監察医に会うのは初めてです」
男の話は面白かった。
気付けば話が弾み、一時間後には店を出て、近くのラブホテルに向かっていた。
「浮気していいんですか。東京の恋人さん怒らないかな」
「ばれたらキレるだろうな」
「一週間こっちに滞在してるんですよね」
「ずっとご無沙汰だった」
セックスをするとよく眠れる、嫌なことを忘れられると男は言った。
順番にシャワーを浴びた。男が先、薫が後。
裸のままベッドにやってくると、眼鏡を外した男に押し倒された。背中でマットが弾み、乾いた笑いがこぼれる。
「俺が下ですか」
「不満?」
「かまいませんよ、どっちでも。どうせなら激しくしてください」
遊輔とは別人だが、やっぱり少し似てる所がある。どちらも嫌になるほど潔癖で融通が利かない。
監察医の指に遊輔の指を重ね、手に手を絡める。口付けを交わし、互いの胸板を啄み、息を荒げて股間をまさぐりだす。
「あなた、俺の好きな人にちょっとだけ似てます」
「どんなヤツだ」
「ダメな人ですよ。俺がいなきゃ……ッは、あなたの方がずっとインテリでエリートっぽい」
「見た目だけだろ」
「ルックスのよさは否定しないんだ」
自分を騙すのは昔から得意だ。
目の前の男を遊輔と思い込み、性急にフェラチオをする。根元に両手を添え、立てた陰茎に舌を絡め、喉の奥まで咥え込んで出し入れする。
「んっ、む、はぁ」
口の中で熱く脈打ち太っていくペニス。唾液を捏ねる音がやけに大きく響き、自らの股間が切なげに疼く。
前戯の最中、男の全身に古傷が散らばっているのに気付いた。
「SM?」
丸い火傷は煙草を押し当てられた痕、鞭打たれたとおぼしき傷もある。随分ハードなプレイを好むんだなと呆れ半分感心半分、頬に手を添える。
「そっちの方が感じるなら、ぶったり縛ったりしてもいいですよ」
痛みがほしかった。
罰してほしかった。
男が無表情に俯き、薫を見下ろす目が冷え込んでいく。
「本当にいいのか」
「嫌いじゃないですし」
お互い本命にはできないことしませんか?
薫には遊輔がいる。男には恋人がいる。
一番大事な人間がここにいないからこそ、醜い本性をさらけだせる。
互いのパートナーにどこか似た、あるいは似てない者を選び、残像を投影し合って虚しさをごまかす。
誰かや何かの不在を補い、埋め合わせるのが目的の手軽なセックス。
だからこそどうしようもなく汚れた欲望を吐き出し合える、いわば一夜限りの共犯だ。
薫を組み敷いた監察医が形良い唇を曲げる。
「変態だな」
「お互い様でしょ」
苦笑気味に吐き捨て、部屋に備え付けの手錠で薫を拘束した。目隠しはされなかった。頭上で両手を束ねられた状態から膝をこじ開け、ペニスを口に含まれた。
「ぅ、あ」
「閉じるな。全部見せろ」
傲慢に命じられ、小刻みに震える膝を開いて耐える。射精寸前まで追い詰められては抜かれる繰り返しでおかしくなりかけたタイミングを見計らい、アナルにローションを塗りこまれた。
遊輔に似た男の指がアナルをほぐしているのを想像し、それだけで体が火照ってくる。
「ゆ、すけ、さん」
目を瞑る。念じる。アナルをかきまぜる指が二本に増え、さらに一本足されて三本になり、腰がじれったげに上擦り始める。
「頃合いか」
「ぁッ!」
男が低く呟いて指を引き抜き、ローションで潤んだアナルにペニスをあてがった。体を貫く灼熱感と異物感。抽挿に合わせて体が弾み、両手に嵌まった手錠がうるさく鳴る。
「ぁッ、ぁあっ、ふあッ、ンっあぁっ、ぃくっ、そこ」
「誰のこと考えてるんだ」
「そっち、こそ、ぁあっ、俺を抱いてるのによそ見しないでください、よ」
追い立てる動きが激しくなる、薫の腰を抱えて抉るように突きまくる、直腸を滑走するペニスに柔い肉襞が絡んで強烈な快感が駆け抜ける、薫を好き勝手に揺さぶりながら仰け反る首や胸板に口付け乳首を噛む。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッぁあ」
マゾヒスティックな痛みにペニスがヒク付いて射精に至る、男はなお抽送を止めず不規則に痙攣する体内に押し入り狙い定めて前立腺を突く。
「ッぐ、ぁっあ気持ちいいっイく、っあ」
尽きせぬ支配欲に駆り立てられた暴力的セックス、薫が大きく仰け反り連続絶頂、赤く尖ったペニスが間欠的に白濁を撒いてシーツに残滓が滴る。
「止め、ぁっぐ、休ませ、ぁあっ、ふっあ」
男の唇がかすかに動き、ここにはいない誰かの名前を紡ぐ。
その夜は三回イかされた。男は最後まで手錠を外さなかった。漸く手錠が解かれる頃にはぐったりし、足取りが覚束なくなっていた。
「さっき呼んだの、恋人の名前ですか」
もういちどシャワーを浴び、シャツに袖を通しながら聞けば、背中合わせにネクタイを締めた男が呟く。
「かもな」
「どんな人ですか」
「いやになるほど真っ直ぐでうんざりするほどおせっかい」
「なんでそんな人と付き合ってるんですか。あなたの本性はこっちじゃないんですか」
素朴な疑問にほんの僅か責める調子をまぜれば、男が眼鏡を掛け直し、柔らかく微笑む気配が伝わってきた。
「アイツは俺のボーダーラインなんだ」
「意味わかりません」
手首を捻って具合を確かめる。幸い腱は傷めてない、キーが打てなくなったら困る。
男がおもむろに歩み寄り、薫の手首に刻まれた手錠の溝を、境界線を引き直すように辿っていく。
「アイツがいるから自分が立ってる場所がわかる。お前にはいないか、こえちゃだめな一線を引いてくれるヤツが」
反射的に遊輔の顔が浮かぶ。
「どうして浮気なんか」
「むしゃくしゃしてた」
「仕事のストレス?」
「そんな所」
「向いてないんじゃないですか、監察医」
監察医は事件や事故、あるいは自殺による悲惨な死体をたくさん見る。のみならず解剖し、時として残酷な真実を知らねばならない。いかにも繊細で神経質そうなこの男が、それに耐えられるほどタフなメンタルをしてるとは思えない。
男は皮肉っぽく笑むだけで答えず、事がすめば長居は無用と身支度を整える。ふと不安になり、裸の上半身にシャツだけ羽織って聞いてみた。
「途中から意識飛んでたんですけど……俺、なんか変なこと言ってました?」
男の顔が強張ったのを見逃さない。さらに食い下がる。
「なんて言いました」
「知らない方がいい」
「誰かの名前呼んでましたか」
ひょっとしたら遊輔の名前を口走ったかもしれない。だしぬけに詰め寄り問い質せば、薫の気迫に負けた男がため息を吐き、感情を一切交えない棒読みで答えた。
「ごめんなさい、お父さん」
頭が真っ白になった。
言葉を失い立ち尽くす薫の横を通り過ぎざま、眼鏡のレンズ越しに同情の眼差しを送ってよこす。
「カウンセリング行け」
「余計なお世話だよ」
刺々しいタメ口で言い返す。
男が肩を竦める。
「そうだな。悪かった」
素直に詫びて部屋を出る間際、いらない一言を付け加える。
「大事な奴が待ってるんだろ。早く帰れ」
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