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第20話
十月十七日、新宿二丁目歌舞伎町のゲイバー「rabbit hole」にて故・間宮春人の追悼イベントが行われた。
特設ホームページと連動し店の公式ブログならびにTwitterが宣伝を打ち出した事、YouTubeに告知動画をアップした事でこの催しは注目を浴び、故人と面識の有無を問わず、当日には大勢の人々が押しかけた。
オレンジの間接照明が映えるカウンターには、店の常連と撮った春人の写真が飾られている。
隣には中学高校の卒業アルバムが置かれ、自由に閲覧できるようになっていた。
「今日は来てくれてありがと、嬉しい」
「SNSを見てね。春人とは知らない仲じゃないし、葬式に行けなかった分も改めてお別れ言いたくて」
「あれから一年か、時間が流れんのは早いな」
「事件からこっち足が遠のいちまったから、なんだか同窓会気分だ」
「お前留年したって本当?」
「余計なお世話だよ、そっちは無事内定もらったのか」
「ほっとけ」
それぞれ好みのカクテルを手にした常連が、髭を剃ったマスターと朗らかな挨拶を交わす。客層は二十代前半から三十代後半とばらけていた。春人の交友範囲は広かったらしい。
中の一人がぱらぱらアルバムをめくり、大きすぎる制服を着た春人を見付ける。
「クソ生意気そーな所は全然変わってねェ」
「面影あるなあ」
「この頃からウリで稼いでたのか、やるじゃん」
嘗てのパパ活仲間を偲んで談笑する若者グループを、微笑ましさと寂しさを割った眼差しで見守るママ。
イベントは堅苦しさとは対極の砕けた雰囲気で進行した。バーニャカウダにピザ、各種カナッペをはじめとするケータリングのオードブルも提供され、気軽に飲み食いできるのが有難い。
お祭り騒ぎが好きだった故人の意向にできるだけ沿いたいと、綿密に話し合った結果である。
来場者もまた主旨を心得、辛気臭い顔は見せず、ほろ酔い加減で笑いさざめいている。
「死んだ人の価値はお葬式に来た人数で決まるっていいますよね。それでいくと間宮春人は恵まれてる」
薫の独白に応じたのは、キャビアを贅沢に盛り付けたカナッペを頬張る遊輔。
「そりゃ間違いだ、人生の値打ちを決めんのは最期の瞬間に満足したかどうかだよ。葬式に来た数の多寡に、ましてや他人に委ねるもんじゃねえ」
「よく食べますね」
「腹ごなししとかねェと」
「タッパーに詰めないでくださいよ、恥ずかしいから」
「持ってきてねえよ」
心外そうに呟いて、お次はマルゲリータを一切れ摘まむ。
店内にゆったり充ち渡るジャズは伝説的ジャズシンガー、ルイ・アームストロングの名曲「この素晴らしき世界」。
バンドの生演奏でこそないが、マスター秘蔵のレコードが奏でる曲は、聴く者の鼓膜と心を慰撫する。
今回のイベント成功に向け、遊輔と薫は徹底的に根回しを行った。突貫工事でホームページを作り、Twitterや動画で告知し、ケータリング業者を手配し、スケジュール調整に忙殺されるうちにあっというまに当日を迎えたものの、故人と懇意にしていた常連たちに囲まれ、些か所在なさを味わっているのは否めない。
もとい、居心地悪い思いをしているのは遊輔だけだ。薫は涼しげな笑顔を絶やさず、自然体で振る舞っている。
今しも同年代の若者が近付いてきて、至って軽い調子で声をかける。
「見かけない顔だね。春人の知り合い?」
「同じ中学でした」
「って事は、あの卒業アルバムは君の?」
「地元にいた頃の春人を東京の友達に知ってほしくて」
「俺もアイツと仲良かったんだ。知り合ったのはこの店。昔のこと教えてほしいな」
初対面で話が弾む。
薫は聞かれるがまま地元にいた頃のエピソードを話し、春人の友人を笑わせる。その八割は和美のうけうり、残り二割は即興の作り話だ。よくやるぜと遊輔は感心する。
というかやけに距離が近くねェか?ナンパか?
「じゃ、またあとで」
離れていく男に手を振り、こちらを向いた薫に当て付ける。
「何が『あとで』?」
「言葉の綾です。他意はありません」
「ふーん。あっそ」
野菜スティックをばりぼりかじる遊輔を一瞥、注意深く店内を見渡し、彼にだけ聞こえる声音で呟く。
「元同級生は来てないみたいですね。幸い」
「大半は大阪にいるらしいかんな」
「和美さんが言ってましたね、学校の友達は少なかったって」
「なりすましがばれずにすんで好都合だろ」
遊輔たちが大胆な作戦に打って出たのは、春人が地元の同級生と疎遠な前提あればこそ。
格別親しくもない元同級生が殺されたとして、一年後に開催される追悼イベントに往復の新幹線代を払ってまでやってくる物好きは珍しい。
右手に持ったカクテルの中身を嚥下し、薫が付け加える。
「イベントの存在自体知らないかもしれませんね、世間一般の人は興味がないジャンルをわざわざ検索しませんし……春人はゲイバレして中高と地元じゃ浮いてたんでしょ」
「葬式はまだいいが新宿二丁目のゲイバーは敷居が高い。同類と疑われんのは願い下げ、か」
仮に中学高校で疎外されてたのが事実として、加害者側に多少なりともその自覚があるなら、後ろめたくて顔は出せないのが人情なはずだ。
そんな常識すら意に介さない不謹慎な野次馬を警戒したものの、どうやら杞憂ですんだようだ。
「で、怪しいヤツはいるか」
「まだなんとも……あ」
薫の視線を追って入口に向き直る。スーツ姿の男が入ってきた。春人の元交際相手の多田だ。マスターと挨拶を交わしたのち、春人の写真の前に立ち黙祷を捧げている。
目配せを交わして背後に接近、声をかける。
「多田さん……ですよね」
薫の質問に振り向きざま、しっとり潤んだ目をしばたたく。
「君は?」
「申し遅れました、春人と同じ中学で友達だった野村祐樹といいます」
「春人の……ええと、隣の方は」
「今回のイベントの企画立案に携わらせていただいた記者の風祭遊輔です」
「記者さんですか。ご丁寧にどうも」
名乗った瞬間警戒が走る。無理もない、犯人扱いされ別居に追い込まれた苦い思い出があるのだ。
多田は遊輔がさしだす名刺をあえて無視して受け取らない。仕方なく引っ込める。
「少しお話しても?」
「彼も一緒に?」
薫の申し出に難色を示す。遊輔は空気を読み、相棒の肩をぽんと叩く。
「後で教えろ」
「わかりました」
カウンターの端に隣り合って腰掛け、話し込む多田と薫。遊輔は壁際に引き下がり、カクテルをちびちびなめ、手持ち無沙汰に人間観察に励む。今の所会場に出入りする人間に怪しい者は見当たらない。
本当にフェアリー・フェラーは来るのか?
一切合切ご破算で空振りに終わるんじゃねえか?
それならそれでいい。もともとリスキーな賭けだった。
今宵犯人が現れなければ、例の動画を警察に送り、後は全部任せて忘れればいいだけだ。
『春人を産んだことは後悔してません。守ってあげられへんかったことが悔しいです』
本当に?
『俺はマスゴミ代表だ。だからゴミにしかできねえ汚れ仕事をやる』
本当にそれでいいのか?
胸の内で苦々しげに自問自答する。猛烈に煙草が喫いたい。無意識にポケットを手探りするも、全面禁煙の規則を思い出して舌打ちがでた。なんでバーで喫えねんだよ。
遠目に眺めた所、多田と薫の話は弾んでいた。非業の最期を遂げた恋人を偲んで啜り泣く多田の背中をさすり、優しく慰める薫の様子に、演技しているような不自然さは微塵も感じられない。
薫の横顔を観察するうちに先日交わしたやりとりが過ぎり、微妙な顔になる。
『真に受けないでください』
からかわれてカッとした。突き詰めればそれだけだ。
十歳も年下のガキに勝ち誇った顔で覗き込まれ、反射的に手が出て、生意気なくちびるを塞いでいた。
察するに富樫薫は十歳以上年が離れ、海千山千の記者を自認する風祭遊輔を単なるキスでどぎまぎする程度にはうぶだと思い込み、童貞のような反応を期待していたらしい。
物憂いため息を吐き、煙草を喫えない苛立ちを酒の味でごまかす。
アレはまあ、大人げなかったと反省しないでもない。冗談にして受け流す事もできたはずだ。
あんな夢さえ見なきゃ。
さすがに舌入れは控えた。そこまでサービスしてやる義理はなし、一線をこえるのは生理的にも抵抗を感じた。
ともあれ夢の中でもっとすごい事をしていた手前、思ったより嫌じゃなかったというのが本音だ。
てことは何か?
男でもイケるかどうか、薫を使って試したってのか?
「最ッ低じゃねえか……」
遊輔はまだ気付いてない。会場の雑踏に紛れ、自分を見ている不審な男がいることに。
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