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第21話
「春人の知り合い?」
気を取り直し振り向けば、カクテルグラスを持った若い男が立っていた。
年の頃は二十代前半。脱色した髪をベリーショートに刈り込んだ青年は、春人と少し雰囲気が似ている。してみると「rabbit hole」をたまり場にしていた売り専か。
若者が愛想よく近付いてくる。
「一緒にいたのは連れ?」
「まあな」
追悼パーティーの企画に噛んでいる事は黙っておく。下手に先入観や好奇心を持たれたくない。
「割と年いってるけど、アイツの元パパだったりする?」
「こっちが小遣い欲しい位だ」
サーモンの薄切り乗せクラッカーを頬張り、ずけずけ聞いてくる若者に苦笑い。
「お袋さんの方の知り合いでね。代わりに様子見てきてくれって頼まれたんだ」
「へえ」
嘘とも言いきれない嘘を吐き、人ごみを避けて隅に移動する。薫は初対面の男女と挨拶を交わし、ナンパを器用にあしらっていた。
「アレが春人の幼馴染」
「顔でダチ選んでたのかよアイツ」
「逆に光栄じゃねえか、それは」
隣の若者が呆れる。二人の視線の先、浮かれはしゃいだマスターが薫をカウンターの内側に招き入れる。多田は赤い顔で酔い潰れていた。泣き上戸なのか?
カウンターに並んで立ち、ママが目を輝かせて続ける。
「バーテンダーのバイト経験あるの?」
「プロ目指して修行中の身です」
「せっかくだし何か作ってよ、春人ちゃんに献杯したいし」
「名案だマスター」
「イケメンのお酒飲みたい!」
ノリの良いギャラリーが拍手と口笛で囃し立て、薫が「まいったな」と頬を掻く。アイツはどこでも人気者だ。父親譲りのスターの素質が備わっているのかもしれない。
そこまで考え、安直な思考を恥じる。薫が人気者なのは、端正なルックス以上に人柄に依る魅力が大きい。
現に薫本人は、父親から譲り受けた才能よりも負債に苦しんでいる。
「じゃあリクエストにおこたえして」
「やったあ」
「何作ります?」
「おまかせするわ。そうね、春人ちゃんに相応しいのを一杯」
「承りました」
几帳面にシャツの袖を捲り、蛇口を捻り手を洗い、アイスバケットで冷やしてあった黒ビールとシャンパンを掴む。真剣な表情とリズミカルな動作に見とれる。
若者が遊輔の袖を引っ張り、囁く。
「俺と遊ばない?」
「そっちの趣味は……」
「やりとり見てたんだ」
固まる。
「あんた達、春人のこと嗅ぎ回ってるよね。俺さ~マブダチだったんだ。よくここでだべってたし、アイツの交友関係なら結構詳しいよ。あの日も店にいたし……ほらあそこ、入り口入ってすぐのテーブルに座ってたんだ。春人は荒れてたよ、彼氏と上手く行ってなくてね。すぐ顔にでるタイプだからバレバレ、関西人ってみんなああなのかな?さすがに偏見か、あはは。でもまあ、最初からご機嫌斜めだったのは事実。俺もよく相談にのってやってたんだけど」
瓶を傾げグラスに半分ほどシャンパンを注いだのち、同量の|イギリスビール《スタウト》をなみなみ注いで割る。
|雪峰《スノーピーク》の如く白い泡を冠し、黒い天鵞絨の輝き帯びたカクテルが、ムーディーな間接照明を照り返す。
泡が萎むのを待って軽く一回ステアし、下部の膨らみを支えカウンターに滑らす。
「ブラックベルベットです」
一呼吸おき、宣言。
「カクテル言葉は『忘れないで』」
「……この場にピッタリね。ありがと」
「どういたしまして」
マスターがせっかちに瞬いて涙を追い出し、客たちも嗚咽を漏らす。前列の女の子はハンカチで目を拭っていた。
ブラックベルベットは春人の遺影に手向けられた。
「私はマルガリータ」
「俺はグラスホッパー」
「かしこまりました。少々お待ちを、順番にお作りしますね」
粋なはからいに沸いたギャラリーが注文をとばす。薫は持ち前のサービス精神とプロ意識を発揮し、次から次へとリクエストを捌いていく。
ビールやウィスキーやワインやジンを混ぜ、そこにジュースやクリームやシナモンを足し、スライスしたレモンやチェリーやミントを飾り、即興でカクテルを作り上げる。
シェイカーやミキンググラス、マドラーを使い分ける手付きは鮮やかでよどみない。
華やかなパフォーマンスを眺めるしかないもどかしさにじれて、決断を下す。
「詳しく聞かせろ」
若者の腕を掴み返し、店内を突っ切ってトイレへ行く。
男子トイレの扉を開けた途端、軽率な判断を後悔した。個室は一番奥を除いて埋まっており、中から太い喘ぎ声と物音が漏れてくる。
「正気かよ、追悼イベントの真っ最中に」
「性欲には勝てないからね」
引き気味の遊輔の手を掴み、不規則に撓むドアを無視して最奥に連れていく。
「間宮春人が殺された日、店にいたってのは本当なんだな?デマじゃねーんだろな」
「本当本当。事情聴取もされた」
後ろ手で施錠し、すり寄る。背広の前を分けてベルトを緩め、ファスナーを下げていく。
「春人に絡んでた男のことなんか覚えてねえか」
「警察?探偵?マスコミの人?」
「金は出す」
汗とまじった香水の匂いが漂い出す。引っ込めた拍子に側壁に肘が当たり、弾む。
若者が「しー」と指を立て、隣との仕切りに視線を投げる。
「周りにばれちゃうよ」
「遺族が真実を知りたがってる。調べる理由なんてそんだけで十分だろ」
「正義感が強いなあ」
愉快げに茶化し、遊輔の顎を親指で押し上げる。
「持ちネタ欲しいなら体で払えよ」
「待」
両脚の間に膝が潜り込み、意地悪く股間を押す。背中で壁が跳ねる。追い詰められた。
「どっちもイケるんだよね、俺。アンタみてえな強気な年上は、おもいきりねじ伏せて泣かしてみてェ」
「なめんなガキ」
「イキがんなおっさん。野郎は初めてなんだろ、新しい扉開いてやるよ」
若者は積極的だ。強引にシャツをはだけ、ズボンをずり下ろそうとする。着やせするタイプらしく、腕には筋肉が盛り上がっていた。
「筋トレが趣味なんだ」
「ホントにいいネタ持ってんだろうな?」
疑い深く念を押す遊輔に対し、力強く頷いて胸板をまさぐり、ねちっこく腰をもみほぐす。気色悪さに肌が粟立ち吐き気を催す。
でも、ここを凌げば。
汗ばんだ首ったまをかき抱き、鎖骨のふくらみを啄む。
「ノッてきたじゃん」
衣擦れの音がやけに耳に付く。性急な愛撫と湿った吐息の不快さに耐え、啖呵を切り返す。
「テクなら負けねえよ。試してみるか」
寸止めで逃げ出す算段を立て、愛撫に身を委ねる。
「んっ、ぐ」
喘ぎ方を知らない呻き声。羞恥で顔が火照る。若者が遊輔のシャツを脱がし、上半身を剥き、その場に跪いて腹筋をなめまわす。
窄めた舌先でへそをほじくられ、悪寒と紙一重の快感がぞくぞく走る。
「ッは、」
眼鏡越しの視界が霞む。頭の中がだんだん茹だってくる。
「感じてきたの?やらしー顔」
「おちょくんな」
「次は?フェラしてやろうか、ディープフロートの経験ねえだろ。それとも後ろを慣らすか」
「前だけで勘弁してくれ」
フェラチオなら彼女にしてもらったことがある、目を瞑ってじっとしてれば恋人にされてると思い込める。
「アンタがタイルに跪いてフェラするってのはどうだ」
「っ……」
「ハードル高ェか」
露骨な嘲笑に反発し、苦渋の表情で妥協案を上げる。
「ゴムの上からなら」
背広のスマホがけたたましい音を奏で、心臓が止まりかけた。
「うるせえな」
興ざめした若者が舌打ち。
発信者を確めるべく懐を探り、手が滑って取り落とす。バイブが鳴り止まず床の上で振動するスマホの小窓には、薫の名前が表示されていた。
「あ~あ、いい雰囲気だったのにぶち壊し」
「すまねえ」
個室のドアが跳ねた。誰かが蹴りを入れたのだ。
「ひッ!?」
「当たり」
若者が短く叫び硬直。今度は穏やかなノックが響く。
「定員一名ですよ」
宥めすかすが如く柔らかな物言いに脅しの圧を感じ取り、観念して解錠後ノブを回す。
案の定、薫が待ち伏せていた。
「バイブの音がしたんですぐわかりました。あ、バイブはバイブでも大人のおもちゃの方じゃないんであしからず」
「当たり前のこと連呼すな」
にっこり笑ってスマホを掲げ、シャツを着崩したまま脱力気味に突っ込む遊輔と、あっけにとられた若者を見比べる。
「お楽しみでしたか」
「いや……別に」
「膝が濡れてますね。トイレの床は不衛生なので跪くのはお勧めしません、雑菌が付着します」
他の個室のドアが開き、野次馬たちが身を乗り出す。薫が場違いに爽やかな笑顔をふりまく。
「お騒がせしてすいません。続けてください」
できるものなら。
再び正面に向き直り、目だけが笑ってない笑顔で追及する。
「俺の連れと何してたんですか」
「ウリじゃねーぞ、お互い納得ずくだ。なあ?」
甲高い語尾で確認をとる若者に対し、首を縦にも横にも振れずきまり悪げに黙り込む。
「誘ったのはそっちでしょ」
「オーケーしたのはお前の連れ」
若者が露骨にいらだち、取り澄ました薫を指して騒ぐ。
「コイツ何なの?ヤッてる最中に殴り込むとか頭おかしい」
「未遂でしょ」
立腹した若者と無表情な薫を見比べ、おずおず答える。
「助手?」
薫の顔に幻滅が浮かぶ。
「今夜は特別にチクんないであげますからさっさと行ってください。ブラックリストに載りたくないでしょ」
「他の奴らもヤッてんじゃん、みんなに注意しろよ」
「小学生の言い分」
「んだと?
「用があるのは貴方だけです」
目の温度が下がる。
「不純同性交遊大いに結構。ここは俺の職場でも店でもありません、経営者にバレない範囲で好きにしてください。ああ、使用済みゴムはトイレにポイせず持ち帰るのがマナーですよ?貴方を邪魔しに来たのは私的な動機、個人的な感情と事情によるものなんでお間違いなく」
「ストーカーかよ」
邪魔者を追い払い、個室に踏み込むなり後ろ手にロックを施す。
「その。これには理由があって」
「ネイビーブルーのトランクス似合ってますね」
「なんでわか」
「社会の窓が全開です」
急いでファスナーを引き上げる。
「いっ゛」
ジッパーがブツを噛む痛みに悶絶すれば、薫が冷ややかな眼差しを投げてよこす。
「ハニートラップでおこぼれ掠め取ろうなんて記者の風上にもおけません」
「春人のマブダチっていうから」
「男漁りのプロの間違いじゃ?遊輔さん素人っぽいし、ちょろいって思われたんですよ。あんだけ気を付けろって言ったのに何も聞いてないんですね」
「寸止めでずらかりゃ問題ねー」
「問題しかないでしょ。早いとこ水洗トイレに流した貞操観念拾ってきてください、東京湾が汚染されます」
「俺の貞操観念は産廃か」
「序でにファブリーズ撒きましょ、香水臭いですよここ」
仏頂面でボタンを留め、トイレットペーパーで手を拭い、くしゃくしゃに丸めて便器に叩き込む遊輔に特大のため息を吐く。
「ノンケ食いが趣味のゲイは世の中たくさんいます」
「|童貞《ヴァージン》キラーってステータスになんの?」
「ヘテロの前立腺ガンガン開発して、堕として染めるのが好きな手合いです。自分好みに仕込むのがたまらないんでしょ、胸糞悪い」
便座に掛けて煙草をふかす遊輔に対し、拳を握り込む。
「姿が見えないからさがしました」
「あっそ」
「ひょっとしてって思ってトイレ覗いてみたら」
「客が待ってんだろ?とっとと帰れ」
「遊輔さん」
「人気者は辛いよな」
「遊輔さん!」
胸ぐら掴んで叱責する薫の手を掴み返し、尖った眼光を叩き付ける。
「俺には俺のネタの集め方があるんだ、お前と組むまえから続けてたやり方が」
「毎回調査対象に色仕掛けしてたんですか。性別年齢問わず?ご立派すぎて無節操の誹りをまぬがれませんね」
「机の前で事が済むテメエと違って毎度体張ってんだ、こっちは」
「楽してるって言いたいんですか」
「実際そうだろ天才ハッカー様。部屋に入れてくんねェから何やってっか知んねーけど、俺みてえに足使って、汗かかなくたってすむもんな」
「ハッカーに転職したいんですか?だったらプログラムの組み方教えてあげますよ、頭が固いから無理でしょうけど」
売り言葉に買い言葉でヒートアップしていく。
「こんな危ないまねしなくたって、地道に聞いて回ればフェリーフェラーの情報掴めるでしょ」
「大袈裟だな、|命《タマ》とられるわけじゃあるまいし」
遊輔が顔を歪める。
「自分を安売りするなって言ってるんです」
「妬いてんのか」
地雷を踏んだ。
なのに舌は止まらず捲し立てる。
「今のお前、おもちゃをとられたくなくて駄々こねてるガキにしか見えねえぞ」
「……」
「三十路すぎて迷子になるとか思ってんのか?常に目に見える範囲にいなきゃ不安か?お互い成人してんだからさ、四六時中監視したりメンヘラっぽく行動縛り合うのはなしにしようぜ」
「俺はただ貴方が」
心配でと続く言葉を遮り、|ありきたりな嘘《ヴァニラフィクション》でも中和できない現実さながら、苦くてまずい煙草を捻じ曲げる。
「依存だろそりゃ。重いんだよ」
薫は頭の回転が速くルックス上々。しかも天才ハッカーときて、机の前に座っているだけで全てが事足りる。
その相棒の遊輔といえば、目立った手柄を挙げられてない。
ひと回りも下の薫に水を開けられ、今夜もまた出遅れて、腹の底にためこんだ不満が溢れ出す。
「……多田は?話聞けたんだろ」
「事件のショックから完全には立ち直れてないですね。それはそれとして家庭は大事みたいで、奥さんとより戻そうって、定期的に話し合ってはいるみたいですよ。勝手ですね」
「怪しいか」
「たぶん白です。断言はできませんけど」
「だよな」
多田は良くも悪くも小心者だ。妻子にゲイバレするのが嫌で恋人を殺す行動は倫理破綻している。
「どう考えても浮気よか愛人殺しとその後始末のがリスクでけえ」
「会社は定時上がりで大抵は家に直帰、ここに来るのは週末のみ。自宅以外にマンスリーマンションやテナントを借りた形跡もなし、犯行は難しそうです」
「動画じゃ派手に血が飛び散ってたし、証拠隠滅が大変だもんな」
事務的な報告を交わしたのち、再び気まずい沈黙が漂い、薫がノブを回す。
「先戻ります。遊輔さんは」
「一本喫ってく」
「わかりました。ごゆっくり」
「あのさ」
弱々しく振り向いた薫の目を捉え、断言。
「壊れたセコムみてえに喚かなくても、自分の身くらい守れっから」
「……ですよね」
一瞬丸くした目を逸らし、諦念に満ちた寂しげな笑顔を浮かべる。
薫が出て行くのを遠ざかる足音で理解し、ゆっくり煙草を灰にする。半分ほど燃え尽きるのを待ち、携帯灰皿で揉み消し、腰を浮かす。
大人げない振る舞いをした自覚はある。無神経な言動で薫を傷付けた、かもしれない。
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