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第22話
「長い時間お付き合いくださり誠にありがとうございました。こちらにお集まりください」
店内の明かりが落ち、ほろ酔い加減のざわめきが広がる。薫の首肯に促され、マスターがカウンターに置いたのはワンホールのケーキ。幼少時の春人が欲しがった、イチゴのショートケーキだ。
招待客たちが怪訝そうに顔を見合わせる。
「春人くんは関西の貧しい家庭で育ちました。お母さん想いの彼は、毎年誕生日に買ってきてもらえる小さいケーキを楽しみにしていたそうです」
沈痛な面持ちのマスターと並ぶ薫が淡々と前置きし、蝋燭を一本摘まむ。
「誕生日にまるいケーキを食べるのが春人くんの夢でした。それを今、皆さんで実現してください」
余韻を持たせてスピーチを切り上げ、カラフルな蝋燭を配る。
「春人は黄色が好きだった」
最初に動いたのは多田。イチゴとクリームの層の上、円い表面に自ら選んだ黄色い蝋燭を突き刺す。
状況が飲み込めた人々が蝋燭を受け取る。
ある者は嗚咽し、ある者は涙ぐみ、ケーキに蝋燭を立てていく。
薫は脇に控え、悄然とうなだれる多田の挙動を観察する。
『春人が亡くなって胸にぽっかり穴があいた。|一時《いっとき》は後追いも考えたけど、妻子の事を考えると踏ん切りが付かなくて』
多田は「rabbit hole」の常連だった。春人との馴れ初めは一年半前、独りで飲んでいる所を誘われたらしい。上京したての春人はパパ活相手を募集していたそうだ。
心証は白に限りなく近い灰色。恋人の死を嘆いて犯人に憤り、ヤケ酒を呷る姿は演技から程遠い。
性的嗜好を伏せて結婚した点からお察しの通り、多田は世間体にこだわる小市民。
痴情の縺れで手を下すならまだしも、計画的犯行が可能なタイプではないというのが薫の見立てだ。
「ツケ払わないまんま逝くんじゃないわよおばか。天国まで取り立てに行くからケツ洗って待ってなさい」
マスターが涙目で悪態を吐き、青い蝋燭をさす。入れ替わり立ち替わり、蝋燭を手向けて離脱する人々の顔を火影が照らす。一様に神妙な表情。
「どうぞ」
赤い蝋燭を渡された遊輔が居心地悪げに列に並ぶ。薫と目を合わせないのは関係を悟らせない為の芝居か、個室で揉めた気まずさ故か。無視された哀しみに胸が鈍く疼く。
カウンターに立てかけられた遺影には、先ほど薫が淹れたブラックベルベットが捧げられていた。
「すいません」
下がった拍子に誰かの靴を踏み、謝罪が飛び出す。
「気にしないで」
後ろに立っていたのは三十代前半の男、彫り深く端正な顔立ちの二枚目。
横に寝かせたスマホを両手に持ち、イベントの様子を撮影していた。
「不謹慎かな?」
薫の注視に気付くやバツ悪げに苦笑し、スマホを下ろす。
「いえ」
「あとで見返したくて」
男の顔を見た。口角が上がっている。
「春人君の知り合いですか」
「そういうわけでもないんだけど。前に店に来た事あって、SNSで追悼イベントをやるっていうから、話のタネにきてみたんだ」
今回のイベントはスマホの持ち込みや動画の撮影を禁じてない。
追悼イベントの撮影は不謹慎の誹りをまぬがれないにせよ、不自然というほどでもないはず。
「弔いはすませたんですか」
「盗み撮りだけするなんて非常識じゃないか。しかし良い企画だね、全部マスターが考えたのかい」
「かもしれません」
薫と話しながらこまめに画角を調整し、カウンターの遺影とケーキ、その前に出来た行列を撮り続ける。
随分手慣れている。
春人の早すぎる死を悼む場において、全体を俯瞰する男に違和感を抱く。
続いて視線を落とす。漠然とした違和感が警鐘に変わる。ハイブランドの革靴に包まれた右足が、メトロームの如く正確な拍子を刻んでいたのだ。
『お伽の樵の入神の一撃』のイントロと全く同じリズムを。
電撃に似た直感が閃く。
「ここがゲイバーってご存知ですよね」
「ああ」
「あなたもそうなんですか」
「気になるかい」
斧を打ち込んで幹を削るイメージが瞼裏に結び、リチャード・ダッドが描いた醜悪で俗悪な妖精たちが円舞する。
ダークウェブに落ちていた動画は何度も見た。『お伽の樵の入神の一撃』は何度も聞いた。しまいには夢にまで出てきた。
スマホで店内を撮影する男の足拍子は、鼓膜にこびり付いた前奏と完璧に同期していた。
男が穏やかに尋ねる。
「被害者とはどんな関係?」
「地元が同じなんです」
「幼馴染ってヤツか、残念だったね。せっかくだから詳しい話聞かせてくれない?」
「飛び入りって言ってませんでしたっけ」
「ナンパの常套句だよ」
ケーキを切り分けたらイベント終了、集まった人々は解散する。少し早く抜けたところで怪しまれまい。
男も同じことを考えていたのか、前屈みの姿勢で耳打ちする。
「夜の予定は?」
「デザートを食べてお開きかな」
「最後の晩餐か」
「悪趣味なたとえですね」
「聖体拝領はキリスト教の伝統だ。血になぞえらえた葡萄酒、肉に見立てたパンを取り込む事で愛する人と一緒になれるなんてロマンチックじゃないか」
「春人の体はケーキでできてた?」
返答を待たず、唇の両端を引っ張る。
「俺はそんなに甘くないよ」
値踏みする気配が伝わってきた。
危険な賭けだと自覚していたものの、ここまで踏み込んでおいて引き下がれない。
媚態を含む目配せを交わしたのち、薫の細腰に手を回し、さざめく人ごみを縫って出口に誘導する。
男と連れ立ち去り際、目の端で遊輔をとらえた。漸く順番が巡り、ケーキの端に蝋燭を刺している。
馬鹿馬鹿しい。
あの人に何を期待してるんだ。
ないものねだりの浅ましさを恥じて視線を断ち切り、当て付けのように手の指を絡め、恋人繋ぎで店を出る。
「さあ、ケーキ配るわよ。デザートは別腹だから入るでしょ、目分量で等分したから薄っぺらいけど勘弁してね」
マスターがケーキを切り分けた紙皿を回し、空気が和む。遊輔にも一切れ配られた。クリームの甘さに胸焼けする。もとより甘いものは苦手だ。
とはいえ食べ物を粗末にするのもためらわれ、薫に押し付けようとあたりを見回す。
残飯処理を頼もうとした相方がいない。
「マスター、アイツは」
「そういえば見当たらないわね。トイレかしら」
とぼけた受け答えに不安が募り、片っ端から人を捕まえ聞いて回る。
「さっきまで仕切ってた茶髪メガネ見なかったか。ブラックベルベットを注いだ……」
「暗かったからよくわかんない」
「出入り激しいしね」
「個室でお楽しみ中じゃねえの」
「やだ~」
お調子者がトイレに顎をしゃくり、女の子たちがふざけて笑いだす。人でごった返す会場に立ち尽くし、胸中に渦巻く不安を持て余す。
春人の追悼イベントは薫が企画した。
最後まで見届けず抜けたとして、そうせざる得ない理由があったはず。
それから数人に聞き込みを続けるうち、目撃者に行き当たった。
「このイケメン君なら男の人と手ェ繋いで出てったよ」
「男?どんな」
「ウェービーヘアのイケてるおじさん。三十代後半位?黒っぽいジャケット着てた」
「恋人同士かな~距離近かったよね」
野郎、トイレの一件根に持ってんのか?
薫がどこの誰とも知れぬ男と夜の街に繰り出す光景を思い描き、苛立ちと胸騒ぎが膨らむ。
ケーキの残りをたいらげ、胸焼けに抗って店を飛び出し、半分も行かず立ち往生を余儀なくされた。
階段の上方、通りに面した出入り口をチンピラ集団が塞いでいる。間髪入れず扉が開き、尖った殺気が吹き付けた。
「!ッ、」
本能の警告で即座にしゃがむ。振り向いたら最後、頭上を掠めた拳をまともに食らっていた。
「逃げんなよ」
聞き覚えある恫喝が「サウダージ」潜入時の記憶を呼び起こす。今宵のイベントに「ケルベロス」のメンバーが紛れ込んでいたのだ。
「ただ酒飲み放題に釣られて顔出したら、テメエが居合わせるなんてラッキーだぜ」
下っ端の報告をうけた「ケルベロス」はすぐ集合し、店から出てくる遊輔を待ち伏せた。
通りに犇めくチームの先頭には、鉄パイプを担いだリーダーが傲然と踏み構える。
デジャビュを喚起する包囲網に対し、遊輔は虚勢を張る。
「中村悠馬は?おうちでネトゲ三昧か」
「うるせえ」
「相も変わらずパシられて可哀想に」
敵は総勢七人。たまたま近場にいたにしろ、短時間でよく集めたものだと感心する。
数の利で考えるなら背後のチンピラを叩き伏せるべきだが、店内に舞い戻り、無関係な人々を巻き込むのは避けたい。
派手やかなネオンの輝きを背負い、スタンロッドや鉄パイプ、金属バッドやナックルで思い思いに武装し、こちらを見下ろす連中に問いを投げる。
「ちょっと前に二人連れ来なかったか。かたっぽは茶髪におしゃれ眼鏡の学生風、もうかたっぽは三十代後半の黒ジャケット」
「マンホールにでも叫んでな」
「だよな」
場所を借りるにあたり、店には迷惑をかけないとマスターに約束した。
覚悟を決めて階段を上り、別のチンピラに挟まれ、路肩にとめたワンボックスカーに移動する。
助手席のウインドウがなめらかに下り、中村悠馬の涼しげな顔が現れた。
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