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第25話

「rabbit hole」を辞した後、連れていかれたのは閑静な住宅街の一戸建て。 「素敵な家ですね。独り暮らしですか?」 「既婚者じゃないから安心して」 男は柊と名乗った。偽名だろうと直感が働く。現に表札は出てない。 「お邪魔します」 玄関を観察する薫の様子を、柊は微笑ましげに眺めていた。 「面白味ないだろ」 「全然。こんな所に住みたいです」 オールドアメリカンのインテリアで統一された快適なリビング、清潔に磨き抜かれたフローリングの床。観葉植物の葉も生き生きしている。 「お仕事は何を」 「株トレーダー、基本在宅」 「二丁目に来るのは珍しい?」 「たまにね。出会いを求めて」 柊は如才ない男だ。会話は機知に富み、立ち居振る舞いもスマートで洗練されてる。演技が上手いと評す方が適切か。 彫り深く整った顔は端正だが、髪型にしろ服装にしろ流行に乗った量産型で無個性ともいえた。 「いい加減敬語やめない?」 「すいません、癖で」 笑ってごまかす薫に肩を竦め、銀色の冷蔵庫が鎮座するキッチンへ引っ込む。 「飲むだろ。ツマミ持ってく」 「お構いなく」 「久しぶりのお客さんだ、もてなさせてくれよ」 「じゃあ遠慮なく」 どうやら柊自身が腕を振るうらしい。シャツの袖をまくって手を洗い、酒の肴を作り始める。 「すぐ行く。下で待ってて」 「下?」 「地下室。バーも付いてる」 「プライベート空間ってわけですか」 そこが犯行現場だろうか。柊がチーズを切り分ける手を止めず促す。 「突き当りのドア開けて階段下りた先がガレージだから」 「その前にトイレお借りしても」 「もちろんかまわないよ。場所わかる?右に曲がってすぐのドア」 「ありがとうございます」 軽く会釈をして右に曲がり、ノブを捻る。トイレにはフローラルな芳香剤が香っていた。 「ふー」 柊が本当にフェアリーフェラーかどうか、まだ確信は持てない。足拍子の件にしたところで、薫の思い込みと言われたら反論しにくい。まずは証拠を掴むのが先決。 ハズレならハズレで遊輔への当て付けを兼ね、一夜の火遊びを楽しむのも悪くなかろうと考え直す。 ……自分が店を出たあと、遊輔はどうしただろうか。 相棒の不在に気付いて慌てたろうか。少しでも心配してくれただろうか。今頃必死に薫をさがし 「だからやめろって、そーゆーウザいループ」 レバーを押して水を流す。あの人のことだ、会場で意気投合したオンナとラブホにしけこんだに決まってる。 よしんば相手が男だろうと、三十路すぎた相棒の貞操まで気にしてやる筋合いはない。 『壊れたセコムみてえに喚かなくても、自分の身くらい守れっから』 「rabbit hole」の個室トイレで目撃した光景と吐かれた言葉が甦り、胸がむかむかする。 ため息と共に便器に腰掛け、ズボンを探ってスマホを取り出す。 追悼パーティーに出発前、薫と遊輔はお互いのスマホに位置情報確認アプリをインストールした。 主に家族や友人、恋人がお互いのいる場所を知る為に用いるアプリで、これさえあればすぐ合流できる。 『ここまでする必要あんの』 『サウダージの件忘れたんですか、街ですれ違って拉致られたら大変でしょ』 『四六時中監視されてるみてえで落ち着かねえんだよ』 『いる場所バレたら不都合でも?いかがわしいお店に入り浸ってるとか』 『わかった入れるよ、入れりゃいいんだろ』 『裏垢特定アプリなんてのも人気みたいですよ』 『知りたくなかった』 最新アプリの精度は高く、住所の番地まで絞り込める。調べようかどうしようか迷い、ひとまずやめておく。 悪い予感が当たり、遊輔の現在地としてラブホテルが表示されでもしたら液晶を割ってしまいそうだ。 静かにノブを回してトイレを出、キッチンの方を窺い見る。柊はまだ調理中。リズミカルに包丁の音が響く中、注意深く階段を上って二階へ移動する。 二階にはドアが二枚並んでいた。手前のノブを捻って覗き、寝室であるのを確認。机の上は整頓されており、特に目を引くものはない。隣のドアを開けると書斎だった。 シリアルキラーはトロフィーをコレクションしたがる。柊がフェアリーフェラーなら、犯行の様子を撮った動画や写真、被害者の私物を保管しているかもしれない。 真っ先に机に歩み寄り、引き出しを揺すってみる。残念ながらどれも鍵が掛かっていた。 「そりゃそうか」 また一段疑惑が深まる。普通の人間がここまで用心深いのは不自然だ。全部の引き出しが施錠されていることからして、後ろ暗い秘密を持ってるのは間違いない。 本棚を見れば人柄がわかると言ったのは誰だったか。 机の上は綺麗に整頓されてる。本棚には流行の小説やビジネス書、心理学の本やIT関係の技術書の他に中世欧州史の研究書が並んでいた。特に魔女狩り関連の本が多い。読書の趣味は人それぞれだが、柊は大分偏ってると言えた。 背表紙を指でなぞり、物騒なタイトルを読み上げていく。 「『魔女狩りの社会史』『魔女とキリスト教』『異端審問』『闇の魔女史 世界の魔女と魔女裁判の全貌』」 ふと興味を覚え、適当な一冊を抜き出す。ぱらぱらめくると折り目が付いたページに飛ばされた。 「やっぱり」 薫もよく本を読むから知っている。何十回も読んだ本の中、何百回と開いたページには癖と手垢が付くものだ。 目にしたページには中世の拷問具・苦悩の梨が、おどろおどろしい図解入りで載っていた。動画で春人に挿入された物と同じ。ほか数冊で試す。ぱらぱらぱらぱら本をめくる。 自然と開いたページには、どれもに共通して魔女狩りの詳細が書かれていた。 「苦悩の梨。拷問具の一種。携帯性に優れ、見た目からは拷問の痕跡が発見し辛い事から異端審問官に愛用された。洋梨型の本体が縦に分割・展開する他、鉄棘や刃物が飛び出すタイプも存在。口腔・肛門・膣等に挿入し、手元を操作することで本体が展開。相手の身体を内部から拡張し破壊するのを目的とした。火で炙り、よく熱して突っ込むケースもあり。男色者への刑罰に用いられたとする説も」 数行目を通し、早くもうんざりした。 とはいえ、これだけじゃ証拠は弱い。 猟奇的な創作物を好む人間が全て殺人鬼とは限らないように、柊だって苦悩の梨フェチの変態なだけかもしれない。 「お近付きになりたくない理由には十分すぎるか」 本を棚に戻し、スマホを掲げ写真を撮る。マンションに帰ったら遊輔と共有したい。 今回は下見だけ。 フェアリー・フェラーでなければ火遊び上等だが、さすがの薫も本物の殺人鬼と寝る趣味はない。 誘いを断らず同行したのは家を調べ、可能なら写真におさめるため。 そろそろ頃合だ。 具合が悪くなったか用事を思い出したか、適当な口実を捻り出し切り上げろ。 『やっぱり。きみ、春人にちょっと似とるわ』 追悼イベント企画にあたり、遊輔には黙っていたことがある。薫は最初から囮として参加したのだ。 和美曰く、生前の春人は薫と似ていたらしい。言われてみれば確かに、遺影の少年の人懐こい風貌は親しみやすさを売りにした薫の笑顔と通じるものがあった。 聞いた瞬間「使える」と思った。 薫は打算的で独善的な人間だ。和美の思い出話に相槌を打ち、取り入り、それをもとに春人の癖や振る舞いをトレースした。 カジュアルな伊達眼鏡は遊輔や関係者に似すぎと思わせぬ為のカバー。 追悼イベントで被害者のそっくりさんと会ったら素通りできないのが犯人の心理、そこに付け込んだ。 和美をだましたことに対し良心は痛まない。遊輔のようなお人好しと違い、本当に大事な人以外はどうでもいいのが薫のスタンス。 和美と交わした会話を手持無沙汰に反芻、漠然とした違和感を覚えあたりを見回す。 ここには写真がない。 書斎にも寝室にも、家族や友人、恋人と撮った写真がまるで見当たらない。 和美が住むアパートには、春人が子供時代に手がけた絵や工作がうるさい位飾られていたのに。 まるでモデルハウス。よそ行きのレプリカ。 背筋が薄ら寒くなり、ベッドに腰掛ける。遊輔の声が聞きたい。階下に耳を澄まし、柊がキッチンにいるのを確認後にスマホをいじる。先に帰宅したか二丁目を徘徊中か、アプリを開けば即座に…… 「え?」 遊輔の位置情報は予想外の場所をさしていた。「rabbit hole」から7キロ離れた、池袋方面の道路上。 こんな時間に何故?イベントが盛り上がり二次会になだれこんだにしろ、二丁目から外れるのは変だ。意気投合した女の家がたまたま池袋方面だった? 「全くあの人は……」 今頃服を脱がしてるのか。一緒にシャワー浴びてるのか。移動中ということはタクシーの中?バックシートで乳繰り合ってるんじゃないだろうな。 メールじゃ駄目だ。声が聞きたい。 胸の奥でちりちり嫉妬が燻り、スマホに登録した番号を押す。無粋な電話で水をさしてやろうと企んだのだ。 二十秒ほどで電話が繋がる。 『……もしもし』 「遊輔さんですか」 『誰といる?突然店から消えて面食らったぜ』 自分の事は棚に上げお説教か。反発心がこみ上げ、突き放すように答える。 「フェアリーフェラーと一緒です」 『は?なん、で』 動揺した声に留飲を下げる。 「春人の母親が言ってましたよね、僕と息子は似てるって。シリアルキラーのターゲットにはパターンがあるんですよ、寄せるのは簡単でした」 『お前最初から』 「会えたらいいな、位の賭けでした。春人の癖や振る舞いは故人を一番よく知る人に付きっきりで聞かされましたから、まねるのは簡単です」 『今どこだ、無事なのか?なんで勝手に』 「忙しそうだったんで」 『答えになってねえよ!!』 背景に妙な音が聞こえる。機械的なバイブ音。 「何の音ですか」 『……っ、』 さらに質問を重ねかけ、横柄な男の声に固まる。 『コイツの仲間か』 「誰ですか」 『ケルベロスのヘッドだ。サウダージじゃ世話んなったな』 「……なんで遊輔さんと」 『仲間が店にお邪魔してな』 だんだん状況が飲み込めてきた。渇いた喉に唾を送り込む。 「拉致ったのか」 『動画のデータを返せ。お前も持ってんだろ』 『聞くな薫、どっちみち俺は』 遊輔の声が途切れ、くぐもった呻きとバイブの唸りが漏れ聞こえる。 「遊輔さん?遊輔さん!」 『可哀想に。寸止めは苦しいだろ』 『ぁっ、あっ、手えはなっ、聞くな薫早く切れっ、ふあっ』 「何してんだよ!」 視界が真っ赤に染まる。ケルベロスのリーダーが嘲る。 『何って?』 『言うな!!』 『テメエの相棒にローター突っ込んで遊んでんだよ。ほら、エロい喘ぎ声聞かせてやれよ』 『どけ、ろ、う゛ッぁ』 遊輔さん。遊輔さん。遊輔さん。どうしようおれのせいだおれが勝手にいなくなったから 『悠馬のデータをよこしゃ相棒は帰す。交換だ』 『かお、る、切れ、たの、む、ぁッ』 電話の向こうで遊輔が喘いでる。こんな声聞いたことない。殺意と憎悪と絶望が渦巻き、スマホを強く握り締める。 「……わかった」 『よし。九時にブツを持ってサウダージに来い』 電話を切った後も淫らな声が耳にこびり付いて離れない。中村が撮った胸糞悪い動画を思い出し、ローターで責められる遊輔の痴態が過ぎる。 薫は遊輔が一番大事だ。 彼さえ無事に帰ってくれば、中村悠馬が欲しがる盗聴データなど喜んでくれてやる。 だがしかし、肝心の遊輔自身がそれを望まない。 もしここで脅迫に屈し犯罪の証拠を渡せば、残り一生軽蔑され、相棒関係も解消になる。 遊輔の命と保身なら迷わず前者をとるのに、遊輔の命と信用を天秤にかけ、どちらも選べないジレンマに苦しむ。 「壊れたセコムみたいに喚かなきゃやっぱだめじゃないですか」 待てよ。 背負ったリュックの中身を漁り、ラップトップパソコンを膝に置き、コネクタを繋ぐ。 深呼吸で集中力を高め、散弾銃の如く打鍵開始。 「遊輔さんは今ここ。最寄りの警察署はここ。イケる、やれる」 ハッカー間では常識だが、ハッキングにおいてパソコンのスペックはそこまで重要じゃない。腕次第でどうとでもなる。 警察のデーターベースに侵入し当て逃げを捏造、メール110番システムから虚偽の通報を送信。逆探知を警戒しスマホの使用は避けた。パソコンには予め偽装用の串を噛ませている。 悠馬の愛車のナンバーは覚えていた。「サウダージ」潜入時、駐車場に止まった車のナンバーを遊輔が控えたのだ。 馬鹿正直に誘拐の通報はできない。バンダースナッチの活動内容が明るみに出れば自分たちも罪に問われる。運よく懲役は免れたとして、遊輔は社会的に死ぬ。 あの人が記者を辞めて生きていけるか? 複数の窓を開いて地図と位置を重ね、警察署の管轄区域を絞り込む。並行作業で防犯カメラをハッキング、合成映像と差し替え「サウダージ」に続く道路網に警官を配置。 ヒントは遊輔の皮肉、壊れたセコム。 こと当て逃げに関しては、病院に行った、交通の邪魔になるなどの理由で被害者が現場を離れても怪しまれまい。警察は事実確認を兼ね、犯人車両の捕捉に動くはず。

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