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第26話
コネクタを抜いて電源を落とす。
打てる手は打った。あとは遊輔次第。転んでもただでは起きない相棒の悪運を信じパソコンを畳むと同時、背後に気配を感じる。
「!ぐっ、」
脇腹に衝撃が炸裂した。内臓を鞭打たれるような激痛。たまらず膝を折り倒れ込む。固い床に頬が接し、視界に二本の脚が伸びる。緩慢に視線を上げれば、リラックスした自然体で柊が立っていた。片手に握っているのは火花散らすスタンガン。
失態だ。ハッキング中は全リソースを脳と手元に振り分ける為、周囲への注意が疎かになる。付け加え、現在進行形の遊輔の窮地が心を占めていた。
柊が柔和な口調で告げる。
「初めてお呼ばれした家でかくれんぼかい?行儀が悪いよ」
息が詰まる。呼吸ができない。傾いだ視界が急激に暗くなり、薫は意識を手放した。
目を開けると見慣れぬ天井が広がっていた。気絶していたようだ。
電気ショックの後遺症で筋肉が弛緩している。
最初に感じたのは手首の違和感。金属の質感に目をやれば、右手に一本左手に一本、別々の手錠が噛まされていた。
反対の輪は両端のベッドパイプに付けられている。試しに揺すってみるも、手首を痛めただけで徒労に終わる。
落ち着け。
目を瞑り深呼吸、心を平坦に均す。ベッドに仰向けた姿勢のまま前後左右に視線を飛ばし、状況把握に努める。
上品なモノトーンで統一された室内。天井には西部劇の酒場でよく見るタイプのレトロな扇風機が回っている。窓の類は一切見当たらず、出口は扉だけ。薫が寝かされているのは部屋の中央のダブルベッド。右手の机にはラップトップパソコンが置かれ、スクリーンセーバーのアニメーションを流していた。
殺風景な室内において異質を存在感を放っているのは、ベッドの正面に飾られた複製画……リチャード・ダッド『お伽の樵の入神の一撃』。
斧を振り上げ胡桃割りに挑む木こりの周囲に架空の妖精たちが集い、馬鹿騒ぎに興じている。
当たりだ。
薫の推理は的中した。
「リチャード・ダッドを知ってるかい?アウトサイダーアートの第一人者と呼ばれるイギリスの画家、代表作は君が今見てるそれ」
「……聞いたことはあります」
まだ呂律が怪しいが、漸く喋れるまでに回復した。声の出所をさがし、ベッドの足元に蹲り、工具を並べる柊に気付く。チェーンソー、糸鋸、金槌、アイスピック、スパナ、錐、千枚通し。
「ずいぶん大がかりですね。解体作業の準備?」
「念には念をね」
犯行現場は地下室。扉は鍵付きで壁は防音仕様、叫んでも聞こえない。
「どれくらい寝てました?」
「さあね。一時間ってところかな」
犯行前に凶器を見せ付けるのは被害者への脅し、大人しく言うことを聞かせる為?もっと単純に怯え顔を愉しむ為か。
「ばれちゃってるみたいだし、下手に隠し立てする必要ないかなって」
「何人バラしてきたんですか」
「興味津々だね。今度はこっちが質問。君は何者?刑事には見えないね、探偵さんかな」
「当ててください」
「記者……には若すぎるか。近付いてきた目的は?誰かに頼まれたのか」
「遺族や友人に?ハズレ」
「追悼イベントは囮作戦だった?」
「頭は悪くないんですね」
「店じゃびっくりしたよ、春人が生き返ったのかと思った。正面から見たら違ったけど、後ろ姿や雰囲気がそっくりだった」
感心する柊にそっけなく返す。
「勉強したんで」
「動画を募って?すごい執念だ」
「イベントの広報に使いたいって言えば、皆さん快く貸してくれました」
柊はご機嫌だった。死角にしゃがんでいるせいで、体に何をしてるかは見えない。
「髪型服装はもちろん、眉の描き方や歩き方でも面白い位人の印象って変わるんですよ」
「眼鏡は自前?」
「伊達です」
「春人はしてなかった」
「似すぎても困るから。近くに鋭い人がいるんです」
「なるほど」
生前の春人に雰囲気を寄せている事がばれれば、遊輔は当然止めに入るはず。イベント自体中止したかもしれない。
「その鋭い人は今どこに?」
切ない喘ぎ声が耳の奥に甦り、知らず奥歯を噛み締める。柊の声が愉快げに弾む。
「見捨てられた?」
「口数が多いですね、黙って作業できないんですか」
「饒舌はモテる秘訣」
「人によりけりでしょ。貴方がフェアリー・フェラー……間宮春人殺しの犯人なんですか」
おもむろに立ち上がり、『お伽の樵の入神の一撃』を背負ってたたずむ。
それが答えだ。
「っ……」
己の馬鹿さ加減を呪えど手遅れ。遊輔のことで頭が一杯でなけりゃこんな奴に不覚をとらずすんだ、全部アンタのせいだと八ツ当たりしたくなる。
「荷物を調べさせてもらったよ。スマホとパソコンはロックがかかってたから見てない」
「どうも」
「身分証はわざと置いてきたの?用意周到だ」
フェアリー・フェラーと接触し、万一監禁されるに至った場合、身分証を持参するのは地雷だ。
身元が割れたら最後、芋蔓式にバンダースナッチの活動が暴かれ遊輔に累が及ぶ。これから自分がどうなろうと彼にだけは迷惑をかけたくない。
「名前は」
「ジョン・ドゥ」
「言いたくなきゃ構わないさ」
柊が鷹揚に受け流し、机上のパソコンを操作する。途端に大音量の絶叫が流れ出す。
『あぁ゛あぁ゛ッ、痛ッ、あ゛ッ、もうやめ、あかん死ぬ死にたくない』
苦痛に満ち満ちた悲鳴に被さるチェーンソーの駆動音、肉と骨を切断する音。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』
瀕死の春人が悶絶する。場所は薫が寝ているこのベッド、この地下室。壁や床に盛大に血が飛び散り、チェンソーのギザギザの刃が肘に食い込む。春人の顔は汗と涙と涎と鼻水に塗れ、グチャグチャに溶け崩れていた。
『痛ッ、ぁっごめんなさ、ひぐっぁ、ゆるじで』
画面の中、死に物狂いに命乞いする春人の顔にカメラが近付く。毛細血管が破裂した白目が真っ赤に充血し、口の端から泡を吹きこぼす。
「ちょっとうるさいかな」
スナッフフィルムをミュートに切り替え、そこにクイーンの名曲を被せる。錯綜したメロディラインが狂騒を煽り、動画に撮られた少年が無音で仰け反る。
「よく撮れてるだろ」
これを見せたということは、生きて帰す気がないということ。
「春人の二の舞にするって宣告ですか」
喉が干上がり口が乾く。手錠の鎖はパイプに突っかえ、どんなに引っ張り揺すっても外れない。募る焦燥が理性を焼き切り、心臓の鼓動が速まる。
男の片膝が乗り上げ、ベッドが耳障りに軋む。ぬるい吐息が耳朶に絡み、生理的嫌悪に鳥肌を立てる。
「君は綺麗だから、壊す前にシてあげる」
乾いた手が頬を包む。勢いよくボタンが弾け飛び、シャツの前を暴かれる。柊が胸板に口付け、まさぐり、恥骨の突起で舌を踊らせる。
「やめ、ろ」
胸板に透明な筋曳く唾液が濡れ光り、薫の顔が歪む。両端のパイプに噛まされた手錠がガチャガチャ鳴り、鎖が限界まで伸び切る。
手首の内側が擦りむける痛みやパイプが削れる音に増して、柊の唇と舌が立てる水音が不快だ。
「処女のクリトリスみたいに可愛い乳首。本当にゲイ?」
柊が乳首を引っ張り、根元から先端まで搾り立て、口の中で丁寧に舐め転がす。
「どいてください」
「意外と根性ある」
凌辱される春人が視界の端にチラ付く。薫の威嚇など意に介さずズボンを脱がし、萎えたペニスをもてあそぶ。
「ふ……、」
「感じる?」
気持ち悪い。嫌だ怖い。柊の顔が別人にすり替わり、パニックを起こす。
「どけよ」
低く凄む薫を無視し、ペニスをねっとり捏ね回す。
「人殺しにイかされる気分はどうだ」
「イって、ませんけど」
先端に指をかけ、括れを指で擦り、裏筋をくすぐる。しかし薫の股間は萎えたまま、一向に勃起の兆しを見せない。
「好きな人にしか勃たないんで」
微痙攣する口角を上げ、精一杯強がる。柊が薫を組み敷き、赤黒く怒張したペニスを引っ張り出す。
「前立腺を突けば嫌でも反応するさ。男の体はそうなってるんだ」
「正気ですか」
虚勢が綻んで声が上擦る。柊が薫の脚を掴んでこじ開け、アナルに怒張をあてがい、一気に貫く。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
前戯を省いて串刺しにされた衝撃は計り知れず、体が裂けたような激痛に仰け反る。
「なんだ、ヴァージンじゃないのか」
腰を抉りこむように叩き付け、性感帯と化した腸壁をこそぐ。
「ッあ、ぁっぐ」
口を塞ぐことさえ許されず、唇を噛んで喘ぎを殺す。力ずくの抽送に伴い、体の中が擦りむけ痛みを生じる。
「無理矢理でも裂けなかったな、アナルがこなれてる証拠だ。相当遊んでるんだろ」
「関係な、ぁっ」
「自分でほぐしたのか。そんな清潔そうな顔して、アナニー狂いなんて悪い子だ」
パイプと擦れた手錠がうるさく鳴り、金属の輪が手首を削ぐ。柊の抽送が激しさを増し、前立腺を狙い撃ちする。
「ん゛ッ、ん゛ッ、んん゛ッ」
痛い。苦しい。腸襞を巻き返す剛直が熱く脈打ち、二重の鼓動が膨らむ。拒む体と裏腹に体が追い上げられ、粘膜から蕩けていく。あの人は無事逃げきれたのか、茹だる頭で考える。
「~~さん」
名前は言えないと寸手で踏み止まる。あの人に繋がるあらゆる証拠を与えるな。剥き出しの脇腹にできた、真新しい火傷がひりひりする。柊が薫の胴に乗り上げ、片手で喉を掴む。
「窒息プレイの経験は?」
首に両手を回し、緩やかに絞める。徐々に気道が圧迫され視野狭窄を引き起こす。酸欠に陥った頭の中を走馬灯が駆け巡る。
『メリークリスマス。サンタさんからプレゼントだ』
父の声がした。笑ってる。
『あんたさえいなくなれば』
母の声がした。怖い顔で首を絞めている。
「最高だ、ギュウギュウ締め付けてくる」
目を閉じても開けても地獄。柊は薫の首を締め上げ、狂ったように腰を叩き付ける。生理的な涙が膜を張り、こめかみを伝い落ちていく。
「窒息プレイの歴史は古い、絞首刑の罪人が射精したのがはじまりと言われている。勃起は死後も続いたそうだ」
「ぁ、が」
「喉を圧迫されると脳への酸素供給が止まり、二酸化炭素が蓄積されることででめまいや意識混濁、多幸感の増大が起こる。その全てがセックスの興奮を高めるのさ」
視界が霞む。音が撓む。酸素を塞き止められた頭が朦朧とし、脳内麻薬が過剰分泌される。
「ははっ、中がビク付いてる。お気に召したみたいだね」
「ぁッ、ふっ、ぁあぐ」
ペニスを喰い締める括約筋がでたらめに収縮。一際深く激しい抽送に貪欲な粘膜がうねり狂い、前立腺を叩かれた拍子に脳天まで快感の濁流が殺到し、何もかもを押し流す。
「うっ!」
柊が低く呻いて射精に至り、体奥にぬるい粘液が広がる。同時に手が離れ、間一髪息を吹き返す。
「えっ、げ」
画面の中の春人はまだ犯されている。
「勃ってたぞ」
指摘通りにペニスは固くなっていた。顔中の穴から体液を垂れ流し、げほげほ噎せる薫に近寄り、殺人鬼がうっとり囁く。
「可哀想に、苦しかったろ。次はもっと苦しくする」
目尻に滲む涙をすくい、洟と涎がまじった汁を拭い、それをまた頬に刷り込むようになすり付ける。
続いて机の抽斗を開け、黒革のベルトと苦悩の梨を取り出す。
「来るな」
前髪がばらけ、憔悴しきった顔に恐怖と嫌悪が滾る。
「両手が使えないって不便だな」
薄っすら含み笑い、再びベッドに戻って薫の首にベルトを巻く。
「ベルトの穴は必ず偶数個開いてるんだ。これは五個、行為中でも絞め付けの強弱調節可能」
「うっ、ぐ」
「少し身の上話をしようか。お互いに知り合えばもっと気持ちよくなれる、セックスにカタルシスを求めるタイプなんだ俺は」
喉を圧するベルトが呼吸を妨げ、顔がみるみる充血する。柊がベッドに腰掛け、苦悩の梨をいじくり回す。
「父は中世欧州史専攻の大学教授、特に魔女狩りの歴史にただならぬ関心を持っていた。小さい頃は立派な人だって尊敬してた、何冊も本を出してるし。上の部屋で見たろ」
柊がネジを巻き、苦悩の梨が花開く。
「―とはいえ、立派な父親だったかと言われるとね。あの人は息子で実験した。何の?拷問の。神明裁判って知ってる?熱した鉄棒を持たせ、火傷しなかったら無罪の判決を下す裁きの仕方。古代日本にも|深湯《くかたち》がある。共通するのは罪の有無を神意に委ねる発想、無実の人間は神の加護を授かるから煮るなり焼くなりされてもぴんぴんしてるって理屈。中世の魔女狩りでも流行った。やり方は簡単、縄を腰に巻いて川に放り込む。浮かんできたら魔女、沈んだまま溺れ死ねば人間。無茶苦茶だろ?うちの父はね、何秒何分水に漬ければ人の心が折れるか試した。テストの点が悪けりゃ水責め、親に逆らえば水責め。今でも風呂はトラウマだよ、シャワーしか浴びれない」
ネジを逆に巻く。苦悩の梨が閉じる。ベルトの穴を詰める。
「もっと嫌だったのはスタンガン。アレは痛い。もともとサディストの傾向があったのか……お固い職業だったし、ストレスの捌け口を求めてたのかも」
「かはっ、ぁが」
さらに一個詰める。首が締まり、一人語りが熱を帯びていく。
「小四の夏に出会った本が運命を変えた。本には捕まった魔女の絵が載っていた。ある者は水車に括られ、ある者は棘付きの椅子に座らされ、ある者は真っ赤に炙った苦悩の梨を突っ込まれ……完璧に理解したよ、親父は異端審問官になりたかったんだ。息子はその練習台。妖精大全には見知らぬ男たちのヌード写真が挟まってた。ただのヌードじゃない、ハードSMのハメ撮り。親父は自らを異端審問官に見立て、ソドミーに淫する男魔女を縛り、鞭打ち、折檻した。俺は写真を一枚くすね、それをオカズにマスをかいた。懐かしい精通の思い出」
立ち上がる。
「カミングアウトは大学一年の時。当然親族は大激怒、この家は手切れ金代わり」
大仰に両手を広げ部屋を示す。
「ここがフェアリー・フェラーの仕事場。改装費は結構むしられたけど、なかなかイイ感じに仕上がったろ」
苦しむ薫を眺める双眸に嗜虐性が芽吹き、躁的に高まる声が愉悦を孕む。
「お宝を持ち去った目的はオナニー以外にもちゃんとある、切り札を手に入れる為さ!写真をパクった犯人が誰か、あの人は薄々勘付いてたよ。とはいえ面と向かって問い詰めるわけにもいかない、母にチクられちゃ人生おしまい。あの日を境にお仕置きされることはぱったりなくなった」
「強請った、のか」
「役には立った」
実の父を暗に脅したと打ち明け、呟く。
「俺は異端審問官の息子。親父より優れてるって証明しなきゃいけない」
薫の目を覗き込み、微笑む。
「あの人は腰抜けだった。異端審問官に憧れながら、罪人に手を下す覚悟が欠けていた。だから手近な所で間に合わせて満足した」
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