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第27話

フェアリー・フェラーは陶酔の絶頂だった。 「中にいる悪魔を殺すために」 恍惚と潤む瞳で狂騒を封じた複製画を見詰め、囁く。 「公園を散歩中に父を殺害した動機を問われ、ダッドが発した言葉さ。彼は父殺しの画家なのさ、業が深いだろ。知られざる確執があったんだろうねきっと。俺は思うんだ、残り一生精神病院暮らしになっても彼にはそうせざる得ない理由があった。父親の頭を割ったのは親切、愛情、中の悪魔を取り出すのが目的?でもね、不思議だよね。頭蓋をかち割ったとして、悪魔はどこへ行く?連中は不死で不死身なんだ、殺そうとしたって無駄。きっとこうに違いない、ダッドはね、父親の頭に居着いた悪魔を自分の脳に移殖したんだ。だからあんな細密でエネルギッシュな絵が描けた、エキセントリックな天才に生まれ変われた。けど俺は父を殺さない、殺してやらない。あんな老いて醜い男を殺すのは美学に反する、どうせ殺すなら好みの若くて綺麗な子じゃなきゃ」 斯くしてリチャード・ダッドに傾倒し、異端審問官を継いだ倣った殺人鬼が誕生する。 窒息が長引き、薫の顔が赤みを増していく。唇がぱくぱく動き、懸命に何かを伝えようとする。 フェアリー・フェラーがおどけて謝罪する。 「ああすまない、俺としたことが夢中になって。すぐ終わっちゃツマらない、緩めてあげる」 なんと非力。なんと無力。哀れな獲物の命乞いを前に、否応なしに劣情は高まり股間は固くなる。 興奮にわななく手でベルトの穴をずらす。金具とベルトが触れ合い気忙しい音を立てる。 首とベルトの間に僅かな余裕が生じ、激しく咳き込んで酸素を取り入れ、鋭い呼気を吐く。 「く、は」 目元を歪めたそれは自嘲の笑いに似ていた。フェアリー・フェラーの眉間に皺が寄る。 笑ってる?恐怖と絶望の頂点で気が狂ったのか。ほんの少し遊びができたとはいえ、ベルトは引き続き首を絞め付けたまま、じわじわ命削る苦しみを与えているはずなのに。 「不幸自慢はおしまいですか。陳腐ですね」 前髪に表情を潜め、掠れた声を紡ぐ。変だ。おかしい。虚勢?否。挑むようにフェアリー・フェラーを見据える瞳は、底冷えする嘲りを湛えていた。 「不幸な過去語りで同情買おうなんて、シリアルキラーのプライドないんですか」 得体の知れぬ気迫に押され、フェアリー・フェラ―が我知らず硬直したのに付け込み、手錠の鎖が許す限り上体を起こす。 「今度はこっちが質問。子供の頃、クリスマスに何もらいました?」 唐突な話題の転換に困惑。 「なんでそんな」 「何ももらえなかったんですか。可哀想に。息子に無関心だったんですね」 同情に透ける優越感が癪に障り、咄嗟に言い返す。 「スピットファイアのスケートボードを」 父は体罰を娯楽とする性倒錯者だったが、けっして傲慢で恐ろしいだけの人間じゃなかった。 息子が後継者足り得る振る舞いをし、賢く従順である限り機嫌よく褒美を与え、クリスマスや誕生日には高価なプレゼントをくれた。 「へえ、可愛いですね」 「小五の時クラスで流行った。男子は公園に集まって遊んだ。放課後は塾で埋まってて、あんまり参加できなかったのが残念だよ」 「サンタさんにお願いしたんですか」 「ああ」 「何歳の時」 「十一」 「俺はローターでした」 聞き間違いを疑い、見下ろす。薫は体を揺すり、ずれた眼鏡をうざったげに振り落とす。顔にはぬるい笑み。 「うちのサンタは二個プレゼントをくれたんです。ツリーを飾ったリビングで渡すのが一個目。二個目はね、二人きりの時使うんです」 「それは」 「ここでクイズ、俺がクリスマスに一番欲しかったものはなんでしょうか」 「自分の立場わかってるのか」 「幕間の余興です。頭働かせてください」 「当てたら?」 「折るなり焼くなりお好きにどうぞ。制限時間は十秒」 不測の事態に直面し、獲物の意図に考えを巡らす。こんなの前代未聞だ、嬲り殺しにされる獲物の方からゲームを仕掛けてくるなんて。 「一、ニ、三、四、五」 落ち着き払ったカウントダウン。首には黒革のベルトが食い込み、規則正しい呼吸を阻まれ、瞬きさえ憚られる状況で。 「クイーンの名盤、フェアリー・フェラーの神技」 「はずれ。六、七、八、九」 何か答えなければ。数字が思考を塗り潰し、焦りに神経が焼き切れる。 「天体望遠鏡?」 「はずれ。時間切れ」 意趣返しを成功させた優越感に酔い、あっさり正解を明かす。 「答えは睡眠。一晩ぐっすり眠りたかった」 せめてクリスマス位は。 目の前のフェアリー・フェラーさえ通り越し、天井に視線を固定して続ける。 「十二の時はディルド、十三の時はバイブ、十四の時はコックリング。開発と調教の進捗に準じだんだんグロテスクになっていく。でもやっぱキツかったな、嵌めたまんま学校まで送られたこともあります、一日これで過ごせ、外したらお仕置きだぞと優しく脅されて。父は偏執狂で束縛激しい人でしたから、俺がちゃんというとおりにしてるか、休み時間ごとにいちいち動画撮らせてチェックするんです。で、それを夜のオカズにした。男子トイレの一番奥の個室で、ケツに刺さった機械にイかされるのがどんだけ惨めか、あなたにわかりますか?」 薫の父は鬼畜だった。実の息子を性奴隷として、性玩具として扱った。 「マジ反吐がでた」 憎々しげに吐き捨て、端正な顔を醜悪に顔を歪める。 「なあ、わかるかって聞いてんだけどオッサン」 初めて手を出されたのが何歳の時か、ハッキリとは覚えてない。風呂に入ってる最中、変な触り方をされたのが自覚の芽生えのきっかけ。父は幼い息子の体を隈なく洗いたがった。それが普通の事だと思っていた、思い込んでいた。 「どうしたぽかんとして、アンタが始めたんだろ。不幸自慢なら負けねえぞ、残弾の蓄えはたんまりある」 啖呵を切る遊輔を瞼の裏に呼び出し、意識して物言いをまね、煽る。煽って煽って煽り散らかす。フェアリー・フェラーがたじろぐ。 「君も虐待を」 「も?勝手に仲間にすんな、ゲス屑胸糞野郎の同類に成り下がるほど落ちぶれちゃねえ」 ここに遊輔はいない。したがって猫をかぶる必要もない。化け物に本性をさらけだせ。 最前まで悶え苦しんでいた青年と同一人物とは思えぬほどの凶暴さを発揮し、口の端を思いきりねじる。 「アンタのペニス、俺が十二ん時にもらったディルドよか細いじゃん」 「ッ、」 侮辱に顔を染めるフェアリー・フェラーに怖じず、引かず、媚びず、真っ向から挑発する。 「しゃぶってやろうか?そうすりゃ少しは太るよな」 砕けた口調と粗暴な眼光で、最低に下品で淫らな娼夫の顔で、皮肉っぽく唇を捻じ曲げる。 「よっぽど死に急ぎたいみたいだね。自殺行為だ」 薫の反抗を自暴自棄な開き直りと見なし、ペースを取り戻したフェアリー・フェラーが呆れれば、すかさずやり返す。 「アンタ、自分の犯行がパッチワークだって気付いてる?」 「どういう意味だ」 「リチャード・ダッドと異端審問官のパクリ。剽窃。オリジナリティなんて欠片もない、悪質なまねっこ」 「それのどこがおかしい、偉大なる先人にリスペクトを捧げたんだ、非難される謂れはないね」 「クイーンは数多くの名曲を生み出した。それはな、彼等が本物のアーティストだからだ。パクリ上手な模倣犯がまねた所で、本質が違えば芸術になんないんだよ」 「俺は魔女の粛清を担ってるんだ、世界の消毒を任されたんだ、胡桃割りをやり遂げなきゃいけないんだ」 目を限界まで見開き、過剰分泌された脳内麻薬に溺れ、フェアリー・フェラーが錯乱する。 脳裏を駆け巡るのはクイーンの名曲と孤独な木こりの姿、群衆が詰めかけた広場の中心、今まさに胡桃に斧を叩き込もうとする。 「フェアリー・フェラーは英雄じゃない。ただの道化、見世物だ」 「フェアリー・フェラーは場の中心にいる、誰もが彼に注目してる、ダッドの絵でも主役だろよく見ろよ!」 「見た上での感想ですけど。現実と向き合ってないのはそっちじゃないですか、絵に全部描かれてるでしょ、フェアリー・フェラーをまともに見てる人なんて一人もいない、野次馬は乳繰り合いや宴に夢中、集まり騒ぐ口実にしてるだけ。哀れな木こりが胡桃割りに成功しようが失敗しようがどうでもいいってのが奴等の本音、どっちにしたって暇潰しになる。でもそれだけ、所詮それだけ。一過性の娯楽として消費され、光の速さで忘れられるだけ」 頭の中の幻覚がぐにゃりと歪曲し、輪郭が溶け崩れ、現実と妄想の境が溶けだす。 目の前にいるのが化け物か人間かわからなくなる。 「俺は親父より偉い、凄い、素晴らしい。異端審問官として親父が成し得なかった仕事を成し遂げる」 「キャラブレ激しいな、妖精の木こりと審問官どっちをメインに押し出したいんだよ」 斧を振り上げる木こり。 魔女の首を切り落とす異端審問官。 「破滅の始まりはくだらない自己顕示欲。ダークウェブに自主制作フィルムをばら撒いたのが仇になりました」 フェアリー・フェラーが投下した胡桃には、お祭り好きな妖精たちが小蠅の如く集った。 「胡桃の中身は空っぽ。誰もアンタなんか見ちゃない」 「かち割るぞ」 「やってみろ。そのドライバーで俺の頭に穴開けて、脳味噌啜りだせよ」 ベッドの足元に並ぶ道具に顎をしゃくり、考え直す。 「胡桃にたとえるなら睾丸のほうが猟奇的かな」 「なんなんだお前は」 何故怯えない、怖がらない、服従しない? 反射的にドライバーを掴み、下顎に突き付ける。 「命乞いしろ」 「ご機嫌損ねちゃいました?」 「助けてくださいって言え」 「やですね」 ドライバーの先端が下顎にめりこむも、余裕の笑顔を崩さず言ってのける。 「従っても従わないでも死ぬなら、従わないで死ぬ方を選びます」 「本気だぞ」 「オモチャみたいなドライバーですね、父さんのペニスにまだ劣る。手、震えてますけど。ちゃんと貫通できるんですか?顎の骨って結構固いんですよ、解体したなら知ってるでしょうけど」 今や完全に力関係が逆転し、言葉の駆け引きだけでフェアリー・フェラーを圧倒する。 「嫌いなんですよ、お喋りな殺人犯。ぺらぺらぺらぺら……自慢?自己憐憫?これから殺す相手に底の浅い本性ひけらかして恥ずかしくないんですか、悪役の可哀想な過去語りほど興ざめするもんないんですよ。俺が演出家なら駄目だしします、役作りの失敗だ。ちゃんと読み合わせしました?雑魚なら別に構いませんけど、アンタ、この物語のラスボスなんでしょ。序盤で退場するエキストラじゃないんだから自覚持ってくださいよ」 「これはドラマじゃない、俺の人生だ!」 本当にそうか? 親父の轍をなぞってるだけじゃないか? 「テンプレ棒演技でクライマックス盛り下げないでください、視聴者ががっかりします」 フェアリー・フェラーの反論を鼻であしらい、舌を回す。 「生い立ちが壮絶なほどカリスマ性が増すっていうなら、俺だって結構な高みに行けるはずじゃないですか。でもそれ、意味あります?あの絵を見てくださいよ、見事胡桃を割ったところでどうでもいい野次馬が増えるだけ。一番大事な人が最前列にいない人生はやっぱクソだし、劇場はゴミ溜めに成り下がる」 凄まじい勢いで言いきり、口元を綻ばせる。 「ちょっと違うな。一番前で見てほしいんじゃない、一緒に舞台に上がってほしいんだ。あの人が隣にいるなら、劇場なんて空っぽで構わない」 スポットライトはいらない。 カーテンコールもいらない。 「わかんないだろ、一人芝居しかしてこなかったお前には」 一対多。絶対的な個とその他。 「さあ、胡桃を割れよ。ぐずぐずしてると乗っ取るぞ」 「視聴者は引き立て役、お前は被害者。身の程を思い知らせてやる」 平行線の会話に倦み、苛立ち、主役の座を奪われる焦りに駆られベッドを離れる。 機材を組み立て撮影開始、三脚カメラをベッドの方に固定する。続いて机上のパソコンを操作、新たな動画ファイルを開く。春人の断末魔が中断され安堵した矢先、目と耳を疑った。 『ぁっ、ンっふ、ぁあっ』 液晶の中、全裸の少年がベッドに突っ伏している。目元にはボカシが入っているが、見覚えがある。 「昔出入りしていた、少年性愛者が集まるフォーラムで共有されていた」 『いい子だ。プレゼント、気に入ってくれたかい?』 懐かしい声がする。少年の尻には男根を模したバイブが突き刺さり、電動の唸りをたて暴れていた。 『とうさっ、ゆるして、あぁぁ』 シーツを掻きむしり泣きじゃくる少年。年の頃は十三・四か。目元に修正が入っても、整った容貌を想像させるには十分。 「さっきの話を聞いてもしかしてって思った。こんな偶然あるんだね」 「止めろ」 フェアリー・フェラーは応じず、マウスをクリックして体の一部をズームアップ。 「腋の下。同じ場所にほくろがある」 カメラの画角外に男がおり、子供部屋のベッド上で喘ぐ少年を撮っている。時折手を伸ばし、バイブで尻をかき回す。 『ぁっ、あっ、ンあっ、やめ、ふぁっ』 『すごいな、もうこのサイズが入るようになったのか。お前には少しでかすぎると思ったんだが……物覚えがいい子は好きだぞ』 『と、さ、やめ、ひぁぐっ』 『次のクリスマスは何にする?欲しいものを言え』 『寝かせ、て、おねが、ぁっ』 『エネマグラ?ハーネス?アナルプラグ?ニップルポンプ?可愛いのを揃えてやる、じきに乳首だけでイけるようになるぞ、楽しみだな。お前がこんなにエッチな子だなんて学校の先生や友達は知らないんじゃないか』 大量のローションが溢れ、滴り、内腿を濡れ光らす。バイブはブブブと暴れ狂い、抜き差しに伴いじゅぷじゅぷ腸壁を巻き返す。 『ぁ゛ッ、あっ、んっあ、ィくっ、あっあッぁ』 『大きな声出すな。母さんに聞こえる』 むしろそのスリルを愉しんでるかのようにからかい、汗と涎をしとどにたらし、腰振る少年を映す。 「初恋は父が持ってた写真。二番目が彼。この動画が性的嗜好を決定付けた」 フェアリー・フェラーの被害者には法則性があった。薫は春人に似ていた。 真実はその逆、春人が薫に似ていたのだ。 「うっ……」 「こっちの方が興奮する?」 猛烈な吐き気が襲い、胃が固くしこる。がちゃんがちゃん鎖を引っ張り、過去の動画を垂れ流すパソコンを叩き壊さんとあがく。 「止めて、ください」 「相手は誰。父親?」 「人違いです」 「なんで目を逸らす。他人なら直視できるはずだ」 フラッシュバック。鮮明に甦る記憶。十三のクリスマス、母が眠りに就くのを見計らい子供部屋を訪れた父。 リボンを巻かれた長方形の箱の中、緩衝材に包まれた新しいバイブレーター。 『メリークリスマス。サンタさんからプレゼントだ』 薫の成長に比例し、息子を嬲る玩具はどんどん進化していった。見た目はより太くグロテスクに、性能と用途はよりマニアックに。 フェアリー・フェラ―が感心する。 「絶倫な親父だな」 母さんには内緒だぞ。スイッチで振動の強弱を切り替えるんだ、やってみなさい。うん、上手だ。突っ込んで回してみろ、手首に捻りを利かせて……。 止めろ。どうやって?手も足もでない。おぞましい幻聴が膨らみ、自分が今いる場所がどこかわからなくなる。 『足を開いて。尻を上げて。よく見せるんだ』 『バイ、っ、ブ、抜いてっ、もっィっちゃ、頭おかしくなるっ、ぁあっあぁぁ』 『嘘吐きなさい、まだ頑張れるだろ』 男の手がバイブを掴んで回し、ねじ込み、ひり出されたそばからまた突き立てる。 『お前はケツマンをぐちゃぐちゃにされるのが好きなんだ。そうだろ』 『っ、ふ』 『答えろ』 バイブが一気に根元近くまで押し込まれ、まだ未熟なペニスがビュッビュッと汁を飛ばす。 『大好きッ、ふっぐ、ぅ゛え』 『オモチャじゃ足りないか?父さんが欲しいか?何をすればいいかわかるな』 『はっ、ふ、ンっぐ』 動画内の少年が体ごと向き直り、男の股ぐらに顔を突っ込み、煽情的にペニスをしゃぶりだす。尻には暴れるバイブが刺さったまま、ペニスは頭をもたげ始めていた。 これ以上見たくない。死んだ方がマシだ。誰かどうか――――――――― 地下室の扉が蹴破られ、男が殴り込んだ。

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