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第16話

「……曖昧なんだろ、当時の記憶が。でも、思い出したいだろうと思って」  それを聞いて藍は嬉しそうにはにかむ。そして真顔に戻ると同時に、再び柾と向き合った。 「柾、僕は、きみのそういう優しいところは、忘れなかった。もちろん、長い向こうでの生活で、始終きみのことを考えていたわけではないけれど」  柾の頬を包む藍の両手に、少し力が込められる。 「ここに来ることになって、きみを思い出した。それで驚いたんだ。僕の気持ちは、あの時のままだって」  柾、そう呼びかける藍の声は、真っ直ぐで落ち着いていた。 「……僕がこうしてきみに好意を持つこと、異常で、恥ずかしいことだと思うかい」  心の中を言い当てられたように言葉に詰まる柾を見て、藍は小さく頷き、微かに微笑む。 「確かに僕がいま暮らしている場所でも、普通だとみなされないときはある。だけどね、柾、自分の気持ちに正直でいることが、大切なんじゃないかな」 「自分の気持ちに、正直に――」  好きならば、好きだと伝えていいと。気になっているのなら、そう伝えても、大丈夫だと。  俺は、藍のことをどう思っているんだろうか。  かつての同級生、それで終わらせることはもちろんできる。でも、ただの既知、友人かと問われれば――。  おまえのことは嫌いじゃなくて、こうして触れているおまえの手の感触も嫌じゃないんだ。  だけど、おまえとの関係を尋ねられれば、それはきっと友人で―― 「柾」  考え込んでいると、名前を呼ばれて、顔を上げるよう促される。  藍の表情は真剣で、周辺の薄暗さも手伝ってか、その双眸には強い力があった。 「……きみの答えを、聞かせてほしい」 「俺の、答え?」  その仔細を語るつもりはないらしく、藍は微笑む。 「急ぐことはないよ。僕は3日後に日本を発って向こうに帰る。それで、3か月後にまた来るんだ」  あの日を思い出した。   引越すと突然言われ、頭が真っ白となったあの時、家に帰って泣きながら眠ったあの日。  でも今は、ただ泣いて打ちひしがれるだけの、無力な子供じゃない。 「藍、おまえはいつも、突然どこかに行ってしまうな」  皮肉とともに伝えれば、藍も挑むような眼をして言う。 「そしてきみは、僕のことを忘れてしまうんだよね」  藍はそのまま、柾の頭を引き寄せて抱きしめた。 「……それなのに、きみの優先順位(プライオリティ)を上げてくれなんて、都合が良すぎるかな」  耳元で囁かれる藍の声を聞く。その穏やかな声音は、この自然の一部のようだ。  柾は息を深く吸って藍の肩に頭を預けた。 「この場所は、あのときのままなのにね」  藍は呟いて、柾の額に軽く口づけると、ゆっくりと立ち上がった。 「ねえ柾、帰ろう」  すでに辺りは夕焼けの日差しが遠のき、夜に変わろうとしていた。

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