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 方向性が決まった。  メニューができた。  接客スキルもなんとか磨いた。正確にはマシになった。  そして喫茶店も完成したのだ。  希望通りの喫茶店。  深緑の壁と真鍮が美しい木造レンガの二階建て。中央にそびえ立つ大木は天井を突き破って茂っているが、それも織り込み済みの安心設計である。  店の管理方法は雇われアドバイザーことネバルが叩き込んでくれた。  本職が怪盗なので普段はいないが、小難しいことやトラブルが起これば力になってくれる。はず。契約した。  しかしそれ以外は全て、一斉一人でこなさねばならない。  ドリンクの提供はもちろん、成功率ゼロパーセントの軽食やオヤツの調理、舎弟感丸出しの接客。それから金勘定。  一斉は算数なんて大嫌いだ。  伝票の計算と聞いただけで眉間にシワをよせ、凶悪なメンチを切る。  本人はただ渋っただけである。  この世界にもタイプライターのような計算機付きレジスターもどきがあるにはあるが、一本指打法の使い手である一斉にはまだまだ修行が足りない。  というかツーミンの暗算が爆速なので基本そっちの方向で行きたい。勉強以外は頑張るので見逃してほしい。  無言でスッ……と明後日の方向を向いた一斉を、ジェゾも皇帝もネバルも物言いたげな視線で突き刺す。  すると一斉は両手で目を覆い、あからさまに見ないふりした。  そこまでして嫌なのか、とヒソヒソされても一斉には聞こえない。聞こえないったら聞こえない。  一個何十円のリンゴもミカンもクラス全員分に余るお菓子も、カード決済で好きなだけ買えばいいと思う。足りねぇなら奢るぜとも思う。おつかいの全ては一万円札で事足りる。  一斉は兄貴分が現金は万札単位で、買い物はクレカ一括だったことを覚えていた。便利なサービスはよく覚える頭だ。  閑話休題。 「イッサイ、これを着てみよ」 「? ん」 「コソコソ着替えよ」 「ん」  完成した喫茶店の内装確認を終えた一斉に、付き添いのジェゾがズズイと箱を差し出した。  一斉が不思議がりつつも素直に受け取りその場で躊躇なくガバッ! とシャツを脱ぐと、間髪入れずカウンターの裏を指さすジェゾ。  そばに皇帝、ドヴがいるからだ。  真顔で指さすジェゾを、ドヴは無音のまま腹を抱えてプルプルと笑う。  歳の割に逞しく育った褐色の裸体に絡みつく、鳳凰の刺青。  なんら卑猥でもない同性のそれに謎の独占欲があるとはしっぽの先にすら出さないジェゾは、強かなジャガーである。  クールに腕を組み素知らぬ顔で着替えを待つズルい大人だ。  全てを察していて無言でニヤニヤするに留めるドヴも同類だろう。 「ジェゾ、着たけどよ……」 「「ほう」」  そんな大人気ない大人たちの思惑など露知らず、着替え終えた一斉がのっそりとカウンターから戻ってきた。  振り返ったジェゾとドヴが、揃ってニヤリと満足気に笑う。  くすんだ紺のシャツと濃緑のタイ。  黒のベストとスラックスに、足首丈のカフェエプロン。深味のある革靴。  どれも上質な素材を使い、ぴったりサイズに誂られている。  無地であればこそ品も良く、デザインも主張しない。  一斉の肌と髪色に合わせた生地は、色の濃いアンティーク風のレトロな内装にしっくり馴染む。 「……変じゃねぇか」  それはまさに──喫茶店のマスターを思わせる給仕服だった。  着慣れずともよく似合う。  自然と背筋が伸びながらも堅苦しさはなく、ゆるりと静かに佇む一斉。  喫茶店のないこの世界にカフェエプロンはないものの、調理するなら必要だろうと足された料理人用のエプロンがそれらしい。  読み難い表情と相まってどこか謎めいた存在感を醸し出す立ち姿は、文句なしの洗練された色男に仕上がっていた。 「…………」 「ジェッゾ、哀れな……」  上等なシャツを思いっきり肘まで捲り、エプロンの紐をゴミ袋よろしく固結びしていなければ、だが。  一斉は手首のボタンを一人で留められず、リボン結びができなかった。  左腕の刺青の主張が熱い。  子猫一匹など肉球の上で転がしペロペロと舐め腐っているズルい大人ことジェゾが珍しく出した独占欲に、気づくどころか本人がワンパンするとは。  流石に見ていられず両目を塞いだドヴだが、ジェゾは動じない。  一斉慣れとも言う。  もう今更ちょっとやそっとじゃ驚かないし、いちいちツッコミも入れない。今夜はしつこめに刺青を舐めまわしてやる。

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