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「すげぇ嬉しい……ありがとな」
「似合っておる。陛下のツテをお借りして王都の職人にそれらしいデザインをオーダーしたが、不備はないか?」
「ん……けどこのエプロン、あんま早く走れねぇよ。蹴り入れにくいぜ……」
「要らん。なぜ当然のように飲食店の店主が店内を駆け、蹴りを入れる状況を想定しておるのだ」
「でもカチコミとか、迷惑客は……」
「要らん」
「じゃあみかじめ料せびられたら、大人しく上納すんの……?」
「要らん。諸税のみ納めよ」
淡々とシャツを整えてエプロン紐を結び直し見なかったことにしつつ、常識の不備を諌めるジェゾ。
街と言えば夜の街である一斉の想定など、喫茶店には不要である。
されるがままの一斉がキッチリ留られたボタンを動きにくそうに眺めていると、妙な形の大きな塊を手にしたドヴが、一斉の前にやってきた。
「さぁ、これでお主の望む準備は整った。これはワシからの祝いじゃ」
「……お」
そう言って手渡されたものは、喫茶店の軒に提げる吊り看板。
木の枝の上で寝そべるジャガーをモチーフにした鉄材に細工を施し、金字の店名を掘り込んだ美しい看板だ。
「ドヴ、ありがとな」
「なんの。しっかしお主は本当にジェッゾに懐いておるのう……ワシは対価も込みじゃというにジェッゾの専用部屋まで作りおって、看板までジェッゾ仕様じゃ。ほれ」
「己?」
「ジャガー・オセロトルはニャオガ族の原生種じゃろう。店の顔に用いるとは、懐いておる以外のなにものでもなかろう」
「懐いてるよ……めちゃくちゃに」
一斉は看板を受け取り、花嫁を見つめるような手つきでそっ……となでた。
しばらく眺めたあと、やおら足を揃えて看板を柔らかく胸に抱く。
それからゆるりと伸ばした背筋をしならせ、品良く一礼する。
「ありがとうございます。ようやく、わたしは、報いはじめる」
──一斉は子犬でなく子猫である。
そして刷り込みのヒヨコではなく、獲物を狙う鷹。猛禽類だ。
だからドヴに「祝いに立派な看板を贈ってやろう」と言われた時、デザインは思うがままにこう描いた。
一度コレと決めた矛先を当然無二とし、毎分毎秒、なにをするにも自分の全てにソレらが在る前提で思考する。
盲信と名付ければ聞こえはいいだろう。
だがそう易しくもない。
従順なのは、一つのめり込むと融通が利かない頑固のせい。
全てを捧げて尽くすワケは、犬のように清らかな忠誠心ではなく、猫のように静かな執着心と無垢で甘えた依存癖。
一斉は、大人たちが思うより迂闊に手を出すと厄介な生き物なのだ。
一斉を生かす絶対的な二つ。
忘れぬ恩義と恋心。
当然のようにそれらを看板に刻んだ理由は、それらが二度目の人生を生きる佐転一斉の全てだから。
──俺、タナカのためならなんでもするぜ。タナカは俺の命だからよ。
──俺は好きで飼われてんだ。
──全てを賭けて投げ売って、アンタに捧げ尽くすからさ、ジェゾ。
だから、懐かれると厄介なのだ。
ただ無邪気に、愚直に、重苦しいほど真っ直ぐに、幼く、手を握る。
切り落とされるまで離さずに。
例え軽率になんとなく差し出された手だろうともそれがわからず、一度惚れると子が親を世界と思い込むようにのめり込んで、相手が望まなくとも歯止めが利かない。
一斉は逃がさない。殺す気で拒絶しなければきっとわからないのだ。
自分じゃやめられない。
死んでやっとやめられた。
もう死んではあげられない。
自分は、雨に打たれた捨て猫なんて上等なたぐいじゃないぞ、と。
撥ねたことにすら気づかれないほどちっぽけな猫の死体。
無惨に引き千切れた赤い中身をアスファルトにブチ撒けてへばりつき、目を逸らし鼻をつまみ眉をひそめて避けられる見るに耐えない死体の猫。
そんなもの。拾い上げてしまえば、憑かれないわけがないだろう?
気づかず救ったばっかりに。
だからジェゾも、立派な被害者。
「イッサイ。看板があるということは、店の名はもう決めたのか」
「あぁ」
「名はなんという?」
喫茶店の二階は住居スペースだ。
ジェゾの屋敷に居座る必要はなく、ジェゾが喫茶店に来る約束もない。
わかっているのに一生懸命、ささやかなサインを出したこと。
メニューを見てほしいと頼んだのは、自分の関わったものなら意識の片隅に置いてくれるかもと思ったから。
専用部屋を作ったのは、居場所があれば帰ってくるかもと思ったから。
看板をジャガーモチーフにしたのは、罪滅ぼしの日々に寄り添う錯覚があれば、糸が切れてしまったあとも思い出の熱を感じられるかもと思ったから。
『飛び降りたオマエと共に、死んだよ』
そんなふうに抗っている。
『テメェ一人養うためのコスト。お前が使えねぇばっかりにそれが全部無駄になンだよ、この役立たず』
役に立たないクズに懐かれて、たくさんのコストを無駄にすることになるだろうジェゾの被害を、わかっていながら抗っている。
『俺人を殺っちまったんだ……償うために生きてんだ……』
一寸惜しんで懺悔すべきなのに、罪を重ねて、生き恥晒して。
それでも抗っている。
『お陰様で死ぬほど幸福だと、生涯恩人と仰いで生きろ』
この心を捨てない、捨てられない、捨てたくない。そうして抗う、後ろ指の似合う恥知らずのバカヤロウ。
『ただお主に興味が湧いて、もう少し手元に置いておきたくなったのだ』
見苦しく恋敗れて死に落ちた弱虫のくせに、懲りずにまた恋をした、救いようのない愚かな罪人。だが抗う。
『イッサイ、お主はバカではない』
己 を信じて抗っている。
二度目の人生、二度目の恋に。
自ら捨てた一人目に。
自分という存在に。
罪と罰のあらすじに。
行き場のない命の意味に。
あの日殺した二人の報いに。
生まれ変わる気で向き合うために。
「〝つぐない〟」
──喫茶[つぐない]。
それは死体の猫が営む喫茶店。
第二生 了
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