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第11話
「金、……っ!」
思わず出かかった声に、慌てて口をつぐんだ。
御所での処理が終わり門の外に出ると、そこには公達らしい姿をした金花が立っていた。側に牛車があるということは俺を待っていたのだろう。
「どうして、いや、その格好は、」
「さぁ乗ってください。早く着替えないと風邪を引いてしまいます」
問いただしたいことはあったが、ぐいぐいと腕を引かれ牛車の中へと押し込まれてしまった。俺の後から金花も押し入り、車副 たちに向かって進むように告げる。
一体どういうことだと金花を見れば、「上着を脱いでください」と言われギョッとした。
「おまえはまた性懲りも無く……!」
「違いますよ。いえ、あなたがしたいのならかまいませんが、その前に体を拭いてください」
「……ッ」
己の勘違いに頬が熱くなった。いや、いまのは金花が悪い。いつも淫らなことを仕掛てくるから、俺まで言葉を素直に聞けなくなってしまっているのだ。
胸の内でそんな言い訳をしながら上着をはだける。するといつもと違い、予想外に丁寧に背中を拭く金花の手つきに体がじわりと熱くなった。
「……もう、ほとんど乾いているはずだ。そんなに拭わなくても問題ない」
「拭っているだけではありません。どこかに傷を負っていないか見ているのです」
もしかして金花は、あの鬼と対峙したことに気づいているのだろうか。たしかに「鬼が出た」とは聞いただろうが、母上を攫いに来た鬼とは知らないはずだ。
「さぁ、前も拭いますよ。……これは、蹴られでもしましたか」
「……つッ、力を入れないでくれ。まだ少し、痛む」
「すみません。痛み以外に異常はありませんか?」
「大丈夫だ」
腹のあたりを拭う手がそっと離れた。
あの鬼からの重い衝撃を受けた腹がじくじく痛む。おそらく明日には大アザになっていることだろう。幸い痛むだけで骨が折れたということはなさそうだが、二、三日は鍛錬を休まなくてはならなくなりそうだ。
「……あの鬼の仕業ですね」
「ん……?」
「屋敷に現れた鬼です。母上様を攫おうとした、あの鬼」
「あ、ぁ……、油断したんだ」
まさか、本当に鬼の正体がわかっていたとは……。いや、鬼同士、そういうことがわかるのかもしれない。
俺の腹に視線を落としている金花の表情をはっきり見ることはできないが、声色は不機嫌そうに聞こえる。いや、不機嫌というよりも怒っているような声色だ。
「しかも、あの鬼に興味を持たれたでしょう?」
「は……?」
「御所の女たちと同様に興味を持ったと、あの鬼は口にしたではありませんか」
「そう、だったか?」
そういえば、そんなことを言われた気もする。また会おうという言葉に背筋が震えたせいで、前後に言われたことなどすっかり忘れていた。
ぼんやりと鬼とのやり取りを思い返していると、腹をぐっと押されて情けなくも「い……ッ」と小さな悲鳴を漏らしてしまった。
「痛いと言ってるだろう……ッ。それに、なぜおまえがあの鬼の言ったことを知っている? そもそも、その格好はなんだ。なぜ御所まで来た!」
「あなたが心配だったのです。都でいま御所に現れそうな鬼と言えば、あの鬼くらいしかいません。だから慌てて来てみれば、案の定あの鬼だった。そして事もあろうにあの鬼は、あなたに興味を持った」
「だからどうだと言うのだ。鬼などに興味を持たれようが俺には関係ない」
「関係なくはないでしょう!」
小声ながらも厳しい金花の口調に驚いた。これまでどんなことがあっても金花がこうして声を荒げたことなど一度もない。どうしたのかと、また俺の腹のあたりに視線を落とした金花の頭をじっと見る。
「カラギ、あなたはわたしの旦那様なのです。わたしだけのかわいい方、決して誰にも譲ったりはできない。たとえ相手が帝の姫君だったとしても、力ある鬼だったとしても、絶対に渡したりはしない」
「金花、」
すっと見上げてきた黒い目は力強く、それでいてゆらりと濡れているように見えた。
まさか、金花にそこまで言われるとは思ってもみなかった。側にいたいと言われたことは何度もあったが、これほど真剣に力強く思いの丈を聞いたのは初めてではないだろうか。
太ももに置かれた金花の細い手が、濡れた袴をぎゅうと握り締めている。その感触にどくりと胸が鳴った。
「あなたはわたしがずっと求めてきた方。誰にも、たとえあの鬼であっても、絶対に渡したりはしません。そのためならどんなことでもしましょう」
「……もしや、あの烏の羽根はおまえの仕業なのか?」
「半鬼であるわたしには、そのくらいしかできませんから」
どういう仕掛けかはわからないが、烏の羽根は金花がやったことらしい。なぜあの鬼が烏の羽根を見て態度を変えたかわからないが、羽根のおかげで助かったのは間違いない。
そしてその羽根は、俺の身を案じた金花が用意してくれたのだ。
「金花のおかげで助かった。感謝する」
「改めて感謝されると、……なんだかくすぐったいですね」
いつもとは違い、はにかむような笑みにまたもや胸がどきりとした。見慣れたはずの金花の顔が、やけに美しく見える。
(姫君の格好をしているわけでもないのに……)
見た目は完全に貴族の男だ。それなのに、屋敷で見ている姿のときよりも美しく、いや、かわいく思えて仕方がなかった。自分と同じような格好をした男なのに、まるで違う生き物のように感じられて仕方がない。
(鬼なのだから、違う生き物で間違いはないのだが)
そんな間抜けなことを思った俺の鼻に、すっかり嗅ぎ慣れた伽羅の香りが入ってきた。涼やかながら甘くもある伽羅香は、まさにいまの金花にふさわしい香りだと思った。
ゆっくりと香りを嗅ぐと、体全体がじんわりと熱くなり頭がぼんやりとしてくる。それが酒精による酩酊とは違う心地よさを生み、同時に逸物に滾った血がぐぐっと集まるのを感じた。
(こんなところで……。これでは金花のことは言えなくなるな)
そう思いながらも俺の手は金花の肩をぎゅうと抱き寄せていた。
(……あぁ、金花の熱だ)
泣きたくなるほど安堵し、がむしゃらに抱きしめたくなる。俺は気持ちの赴くまま、金花の紅い唇を吸った。
牛車の動く音とは別にギシギシと軋む音がする。それもそのはずで、牛車の壁に上半身を預けた俺の体が小刻みに動いて壁を押しているからだ。
そんな俺の上には単までも脱ぎ捨て裸になった金花が跨がり、淫らに腰を動かしていた。いつもと違って大胆に動けないことに焦れているのか、時折り指を噛む仕草が余計に淫らに見えて俺の逸物は滾りっぱなしになる。
「は、ぁ……、すごい、いつもより、とても逞しい……」
「あまり声を、出すな……、気づかれて、しまうだろう……ッ」
「ふふっ、それもまたよいでしょう……? ぁん、奥まで、みっちり入って……ん、悦 い……」
うっとりした声を漏らしながら、腰をゆっくりと回すように動かしている。こうして逸物を根本まで入れて腰を回すのも気持ちがいいようで、上に乗った金花がよくする仕草の一つだ。
もちろん俺もすこぶる気持ちがよかった。根元はきゅうっと絞られながらも、先端は舐め回されているような感触がたまらない。そんな名器に我慢できるはずもなく、すでに一度子種を吐き出してしまった。
それでもなお俺の逸物は衰えることなく、いまも金花の中で脈打ち奥深くを穿っていた。
「どんなことがあっても、誰が相手でも、絶対に手放したりは、しません、から……。んっ、ふふ、また逞しくなった……」
「うる、さい……っ」
「顔を赤くして、照れるなんて、ふふ、本当に、かわいい方……、ぁん! 急に突き上げて、あぁ、奥に、そこは、あぁっ」
「……ッ!」
急に金花の中がうごめくようにうねり、あっという間に子種を吸い取られてしまった。二度目だというのに勢いよく吹き出すのを感じながら、腹の上にいる金花に目を向ける。
(子種が、出ていない……?)
体を小刻みに震わせながら、後ろに倒れるのではないかと心配になるほど仰け反るのはいつものことだ。だが、いつもならばトロトロと子種を吐き出している金花の逸物はただ震えるばかりで、子種とは違う色のない液体が滴り落ちている。
俺の腹を押すようにピンと伸ばされた腕も震え、ぱかりと開いた太ももは見てわかるほどガクガクと揺れていた。そんな状態で声が出ないのか、金花は掠れた息ばかりを吐き出している。
見たことがない姿に心配になり、身を起こそうとわずかに腰を動かしたときだった。
「~~……っ! ひぅ……っ、動か、な……で」
「金花……?」
「だ、め……、動いて、は……ぁ、あぁ、また、いってしま、う……っ」
金花のつぶやきとともに真っ白な腰がガクガクと震え出した。同時に金花の中が俺の逸物を舐 るようにしゃぶり、根本から先端まで満遍なく擦り上げられる。ほとんど腰は動いていないのに中が激しく波打っているからか、吐き出した子種がじゅぶじゅぶと大きな音を立て漏れ出るのを感じた。
あまりの感じ方に、吐き出したばかりの逸物がまた子種を出した。短い時間での連続した逐情に少し痛みを感じながらも、金花が後ろに倒れてしまわないようにと腰を掴む。
「カラギ、どうか、離さないで……」
そうつぶやいた金花は、ぷつりと意識を失うように俺の胸に倒れてきた。大丈夫かと慌てて顔を覗き込んだが、そこに苦しそうな表情はなく至って穏やかな顔で目を閉じている。
「……気を失うなど、初めてだな」
どんなに激しく交わっても、これまで金花が気を失うことは一度もなかった。むしろ子種を吸い尽くされる俺のほうが先に寝入ってしまったほどだ。
「先ほどの様子もいつもとは違っていた」
あそこまで感じ入っている姿も初めてだった。それだけ悦 かったというなら男として誇らしく思うが、体は大丈夫なのかと心配になる。
(とにかく、屋敷に着く前に身を整えなければ)
胸に金花を抱いたまま、ゆっくりと逸物を引き抜いた。じゅぼっと音を立てて抜けた逸物に、タラリタラリとこぼれ落ちる子種には我ながら苦笑するしかない。
尻からこぼれ落ちるほど俺は金花の中に注いだのだ、そう思うと誇らしいとさえ感じる俺はおかしいのだろうか。
「とりあえず、俺は金花の着物を着るか」
背丈はほぼ同じだから問題ないだろう。汚れは俺の濡れた着物でざっと拭い、さて金花に着せるものはどうしようかと狭い牛車の中を見渡す。
「……これはまた、準備がいいことだな」
片隅に、単と小袿が押し込められているのを見つけた。牛車の中で着替えた結果かもしれないが、こうなることを予想していたような気がしてならない。これまでなら「なんと淫らな」と怒るところだが、怒りは湧かなかった。
「側からいなくなってしまうかもしれないと思えば、すぐにでも触れたくなる気持ちはわかる」
赤い目のあの鬼と向き合ったとき、このままでは金花の元に戻れないのではと思った。同時に何がなんでも金花の元へ戻りたい、いや戻るのだと気力を奮い立たせる力にもなった。
金花の元へ戻る。そうして美しい顔に触れ、紅い唇を吸い、淫らな体を掻き抱きたい。俺はあのとき、たしかにそう思っていた。
「俺も同じくらいおまえを好いている、そういうことだな」
改めてつぶやいた言葉に、胸がふわりと熱くなった。
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「だから大丈夫だと言ったでしょう?」
「いいや、俺は聞いていなかったぞ」
「そうでしたか? 誰も気づいていなかったのですから、もういいじゃないですか」
「おまえというやつは……!」
思わず大きな声を出してしまった。ハッとして隣の部屋を見ると、控えている女房たちがこちらを見ていることに気づき慌てて声をひそめる。
「昨日は鬼という言葉に畏れ、奥で伏していたということにしています。母上様も同じ状態でしたから、女房たちの誰もわたしが屋敷を抜け出していたことには気づいていませんよ?」
「そういう問題ではないだろう!」
屋敷に戻ってから、女房たちを騙した金花が勝手に牛車を動かしたのだということを知った。しかもあの牛車を動かしていたのは金花と同じ“ようま”なのだと言う。
その“ようま”が牛車の汚れもすべて片付けてくれたのだし、屋敷の者たちに牛車で淫らなことをしていたと知られなかったのはよしとしよう。しかし、鬼の力を都で使うなどもってのほかだ。そもそも金花が“ようま”を下人のように使えることなど知らなかった。
(もし誰かに見られでもしたら……)
鬼だと知られてしまえば屋敷に、いや都にいられなくなるというのに迂闊すぎるだろう!
「そんなに怒るなんて、カラギはそれほどまでわたしを心配してくださるのですね」
ニィと笑う金花の顔に、俺はいつもどおり「うるさい!」と言い返すことができなかった。それどころか美しく笑っている顔を見ることができず、すっと視線を外してしまった。
「……もしかして、本当に心配してくれているのですか?」
いつもと違う声に、再び視線を戻す。驚きでわずかに目を見張った顔すら美しいと思った。いや、実際に金花はどんな表情をしていても美しいのだ。好いている相手なのだと思うと、その美しさが際立つように感じられて正面から見ることができなくなってしまう。
「本当に? カラギもわたしのことを好いてくれているのですか?」
「う、うるさい! そうでなければ、奥方にしたあとも長く側にいたりはしないだろう!」
羞恥のあまりとんでもないことを口走ってしまった。だが大方の貴族は奥方と一緒に暮らすことがないのだから、察してくれてもよいはずだ。
正式な奥方とは同じ屋敷に住むこともあるが、それでも居住区は大抵が別になっている。父上が存命のとき、この屋敷に長く滞在することはあったが母上と同じ部屋で過ごすことはほとんどなかった。母上が内親王という立場だったこともあるのだろうが、身分が高くなればなるほど貴族はそういう暮らしを送る。
それは御所も同じで、帝でさえ夜をともに過ごす妃の元へとその都度通われるのが普通だ。
兄上たちに至っては、月に一度くらいしか奥方のご機嫌伺いをしないと聞いている。どちらかといえば外の女たちのもとへ通うことのほうが多いくらいで、下の兄上は下級貴族の奥方と懇ろになっているという噂を聞いたことがあった。
俺はそういう貴族の行いが好きではなかった。どうせなら「この人だ」と思う女と一生を添い遂げたい。だから、いつか迎える奥方とは小さな屋敷の同じ居住区で暮らしたいと思っていた。
(まさか、その相手が男になるとは思わなかったがな。しかも鬼だぞ)
いや、結果的にそうなっただけだ。鬼である金花の行動を監視しなければと思っていたにすぎない。女房たちからは「なんと仲睦まじいご夫婦だこと」と微笑まれたが、そういう意図は一切なかった。
そんな俺が、まさか本気で鬼に思いを寄せることになるとは……。いまでも信じられない気がするが、俺は間違いなく金花を好いている。金花ほど思う相手とは二度と巡り合えないと考えるくらい、好いていると自覚した。
「まさか、本当に好いてくれるとは」
「そういうことを、いちいち口に出すな……っ」
いつもどおり「ふふっ」と笑う金花に、それ以上何か言うことはできなかった。そんな俺がおかしいのか、金花が口元を袖で隠しながらますます笑っている。
いよいよ羞恥で顔が赤くなりそうだと視線をさまよわせていたとき、ふと昨日の烏の羽根のことを思い出した。
「そういえば、昨日のあの羽根は烏の羽根なのか?」
「あぁ、あの羽根ですか」
金花の目からすぅっと笑みが消える。もしや口にしてはいけないことだったのだろうかと思いつつも、気になっていたことを問いかけた。
「あの鬼は、なぜあの羽根を見ただけで退いたんだ?」
俺の問いかけに金花がわずかにためらうような様子を見せた。
「何か問題のある羽根なのか?」
「いえ、そうではありませんが……。聞いてもあまり楽しい話ではないと思いますよ?」
「かまわない。それに俺たちを救ってくれたものだ、知らないままというわけにもいかないだろう」
「カラギが知りたいと言うならかまいませんが……」
なおも言い渋る金花に、目で先を促した。
「あれは、烏天狗の羽根なのです」
「烏天狗、だと……?」
烏天狗の存在は聞いたことがある。山伏の姿をしていて、鳥のような嘴 と空を自在に飛ぶ羽を持っている存在だ。多くは山に棲むと言われているが、神社や寺院に棲むものもいると聞いている。
「はい。あの羽根は特別な烏天狗の羽根なのです」
「特別……それは、力を持つ烏天狗ということか?」
「そうとも言えます。特別な烏天狗は鬼の帝、鬼王 の使いでもあります。だからあの鬼も退かざるを得なかったのですよ」
「鬼の、王」
つぶやいた言葉に、ぶるっと背筋が震えてしまった。
小さい頃、祖父であった帝から鬼の王の話を聞いたことがある。しかし姿を現したのは五代前の侘千帝 の御世が最後という話だったはずだ。
あれがもし本当に鬼の王の使いである烏天狗の羽根だとしたら……。
「まさか、鬼の王が都に現れたのか!?」
「あぁ、それは違います」
「本当なのだな?」
「いまのところは」
いまのところは、ということは、いずれは現れるということか。都を騒がせている鬼たちにでさえ四苦八苦しているというのに、これで鬼の王まで現れたら都はどうなってしまうのだろうか。
「鬼の王とは、一体どんな鬼なのだ」
漏れた言葉に金花の声が返ってくることはない。
(そもそも鬼の王の使いだという烏天狗の羽根を、どうして金花が……?)
浮かんだ問いを金花に投げかけることはできなかった。
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