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第16話 「そんくらいのほうが、いいのかもな」

「……うっ、ぐすっ」  省吾は手ぬぐいに涙を吸わせながら本を閉じる。  サイが気に入るのもわかる良本だった。あちらの世界で小説などめったに読まない彼であったが、ほかに娯楽もなかったために没入して読むことが出来た。  話としては聖女として呼び出された少女が最初は男性に抱かれていたが、王妃と出会い、心を通わせ、付き合うようになるものの、少女が三年で死んでしまうという王道の悲恋ものだった。  途中から、省吾は少女を自分に、王妃をミロに重ね合わせて読んでしまっていた。羨ましかった。立場がありながらもお互いに真実の愛で結ばれた二人が。 「……いいなぁ」  思わず漏れてしまう。  出来ることならばミロとこうなりたかった。  省吾は立ち上がり窓へ近づく。開けると一面の星空が広がっていた。  目をつむり、先ほどの話を反芻する。少女が三年で死んでしまったというのは省吾も体験した体調不良からくるものだろう。  けれどサイのおかげでそれはなくなった。だとすれば省吾はこの後何年も、それこそ何十年もこちらで生きる可能性がある。その間ずっと自分は今みたいにただ抱かれるだけの存在でいるのだろうか。  以前の世界でのことを思い出す。省吾は自分の将来に対して期待をもってはいなかった。会社に就職した時も、これといった感慨はなく、こうしてぼんやりと一生を過ごすのだろうと思っていた。  蓮に告白した時も、今思えば付き合いたいとかは考えていなかったように思う。ただ、この気持ちを知ってほしい、決着をつけてほしいと、そればかり思っていた。きっとずたずたに切り裂かれ、捨てられることになるだろうと諦めすらついていた。実際にそうなったら苦しくて仕方なかったけれど。  思い出すと次から次へと蓮との日々が思い出され切なくなる。過去の恋とはいえ、あの頃は確かに好きだった。  しばらくそうしてぼうっと夜空を眺めていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。 「はい」  返事をすると、ジェドが入ってくる。 「ミロ様がお会いしたいとのことですが、いかがでしょうか?」  ジェドの口にした名前に心臓が高鳴る。力強く頷いた。ジェドは省吾の意を確認し、扉に向かいミロを招き入れると部屋から出る。 「……よお」  ミロは気まずそうに省吾を見ている。 「あ、ああ。どうしたんだ? こんな時間に」  尋ねると、ミロは省吾の後ろの窓を指した。 「夜勤中にたまたま省吾の部屋の窓が見える所を回った時、省吾の姿が見えて」 「え」  つまり、先ほどぼうっと窓の外を見ている所を見られたのだろう。 「なんか、寂しそうだったし、大丈夫かなって……、あー、余計なお世話だったらゴメン。風邪引いてる時って心細くなるもんだし」  この三日の間鍛錬を休んでいるので風邪を引いている事は知られていたのだろう。  気まずそうに後頭部をかくミロに省吾は前のめりになった。 「いや! 嬉しいよ」  嬉しくて心臓が高鳴っていく。 「サイに貸してもらった本読んで、その余韻に浸ってたっていうか……、それで前の世界の事思い出したりしてただけなんだ」 「……前の世界」  ミロの顔が曇る。 「蓮って奴の事とか?」 「あー、うん、まぁ」  なんとなく気恥ずかしくて省吾は視線を逸らした。 「……そうか」 「最後はフラれちゃったけど、今思えば楽しいこともあったなってやっと思えるようになったんだ」  それは、傷が癒えたからだ。こちらの世界でミロに会って、恋をして、蓮のことを思い出さないくらい夢中になれたからだった。 「まだ好きなのか?」    ミロが目を細める。省吾は首をかしげた。 「……どうだろう。だいぶ思い出にできていると思うけど」 「……そうか」  痛そうな、それでいて悲しそうな顔でミロは省吾を見た。 「そんくらいのほうが、いいのかもな」 「え?」  ミロは視線をそらし、窓の外を見た。  一面の星空の下に、人々が暮らしている街の明かりが見えた。 「どういうことだ?」 「……あー、いや、なんでもない。省吾は、その気持ちを大切にしていて欲しいなって」 「…………」  あきらめたように笑うミロにぎゅうっと心臓を糸でぐるぐる巻きにして縛り上げられたかのような痛みを覚えた。  彼は自分が蓮の代わりだと思っていて、それでいいと感じているのだろう。だからこそ、気持ちを大切にしていて欲しいだなんて言ったんだ。  省吾を愛する気はないから。 「前、蓮のことなんて忘れろって言ってたじゃんか」  声が震えてしまいそうだった。気丈にふるまうと責めるような口調になる。 「……そうだけどさ、やっぱり恋心ってそんな簡単に消えないものだろ」  忘れろ、と今回も言ってほしかった。  口の裏側を噛んで衝動をやり過ごす。ミロは眉を下げて、腕を少し動かす。けれど結局元の位置に戻してから視線をさまよわせた。 「じゃあ、あんまり長居しても悪いし、そろそろ帰るな」  ミロは告げると扉に向かって歩き出した。 「うん。おやすみ」  省吾も返し、彼が扉を閉めるのを見届けてからベッドサイドのランプをつけ、ほかの明かりを消して布団にもぐる。  サイに貸してもらった本を手に取り、後ろのほうを開いた。  ちょうど、王妃と聖女が心を通わせるシーンだった。 「……いいなぁ」  ぽつりとつぶやく。  物語の中の二人は恋愛を成就させ、彼女が死ぬまで愛を育んだ。  これから先の事を考えると、ずっとこのままは嫌だった。  ミロの事が好きだが、同時に同じ顔で「気持ち悪い」と言った蓮の事を思い出す。  ミロは内心でどう思っているのだろう。  先ほどああやって訪ねてきたし、嫌われるとは思っていないが性の対象としては考えていないのだろう。当然、愛を交わす相手だとも。  だから薬を飲んで、その気がないのをやり過ごしているのだろう。  じわり。視界が滲んで文字がうまく読めない。  愛されたい。強く思った。  愛したいし、愛されたい。それがミロと出来るのであれば何よりも幸せだ。  けれど、ミロが女性を愛する人間である以上、彼とは不可能である。  奥歯を嚙みしめる。  明日、ノアのところに行こう。  ノアに頼んで、別の人にしてもらおう。  男を愛せる人間がいい。男の体に、興奮できる人間に。  薬を飲まなくても、省吾の事を愛してくれるような、そんな人をお願いしよう。  思いながら、じくじくと痛む心臓を押さえながら省吾は目をつむる。  眠ることは、中々出来そうになかったけれど。

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