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6.首絞め

 ドルチェが終わった後、古いヒッチコックの映画が流される。滞在している貴族の邸宅で開かれたパーティーの余興だった。ご令嬢がエキストラで出演しているらしい。何なら数週間前にプロデューサーの自宅で、まだ公開されていない監督の新作を観たばかりなので、さして感慨はない。  屋敷の主人に「どうです?」と鼻高々な巻き舌混じりの英語で話しかけられた時も、代弁はランベルトがこなしてくれた。「ヒッチの映画の中では余り評価が高くありませんが、やはりワンカット撮影は画期的ですね」  それにお宅のお嬢さんは何て美しいんだ、と言うような意味のことを、イタリア語で続けたのだと思う。会話は滑らかに流れていく。  口直しに出されたミントの葉を齧っているリッキーに、隣へ腰掛けていた美しいシニョーラが耳打ちする。彼女と初めて出会ったのは一体どこでだったか、幾ら頑張っても思い出せない。振り掛けられた芳しいオレンジのトワレを嗅ぎ、辛うじて存在が記憶から蘇る始末だった。 「この映画の主人公って、本当はホモ・セクシャルだそうね。何なら戯曲だと、ジェームズ・スチュアートの役も、2人と関係を持ってるんですって」  ジェームズ・スチュアートがゲイ? アメリカの良心が? 全くとんでもない話だ。  本当かな? と、ランベルトの寝室に忍び込んだ明け方に尋ねれば、彼はブラックタイを解きながら「本当さ」とことも無げに頷いた。 「実際にあった事件が元になっている話だ。超人思想に取り憑かれたユダヤ人の大学生達が、自分は人間の作った司法を超越出来ると証明する為に、赤の他人を殺したとか」 「いくら何でも、衣装箱へ隠してパーティーのテーブル代わりにしたら、ばれるに決まってるのに」 「あれは原作者の創作」  貴族は貧乏だ。特に何代も続いているような本物の貴族ほど張りぼてか、さも空っけつであるかの如く財布の紐が固い。  夜を徹してのジン・ラミーは思ったよりも実入が捗々しく無かったのだろう。ランベルトの機嫌は目に見えて悪かった──と言うのは少しおかしい話。刺々しく当たり散らされるなど、分かりやすい兆候はない。例えばベッドに寝そべるリッキーへ向けられる眼差しとか、「ユダヤ人の大学生」の抑揚とか、じっと観察しているリッキーだからこそ察する事のできる変化だった。少しは己を誇りたい気分になる。 「よりによってジミーのことをゲイだなんて!」 「最初はケイリー・グラントが演じる予定だったらしいな」 「それなら分かる」  適当にあしらって追い返しても良いのに、ランベルトはリッキーがいつまでも居座っているベッドに滑り込まない。上着を脱いだだけでマットレスへ腰を下ろした。ころころと転がり、真っ白なシーツに皺を刻む身体が床へ落下するより早く、突かれた腕が阻む。 「木を隠すなら森の中。ありふれた場所に隠す方が、意外と発覚しにくいものさ」 「へえ。なら例えば、この部屋だったら?」 「ベッドの下だな。ここのメイドはものぐさだ。毎回客室をそこまで熱心に掃除したりしないだろう」  身が屈められ、ローブとパジャマを高い鼻梁が掻き分ける。首の付け根へ戯れのキスを落とされ、リッキーは肩を竦め、喘ぐような笑いを夜明け前の静けさへ放った。 「……ふふ、まるで、前から計画していたみたいな物言いだ……僕を締め殺して、ここに捨てて行く?」 「それもいいな。『ミスター・インマン? さあ、見かけませんね。昨晩は早く休まれたようですが』」  じゃれかかるように、両手がするりと首へ回された。触れ合わんばかりの位置から、ワインの甘い芳香を纏う吐息で唇の粘膜を撫でられ、すっかり酔いしれる。 「アリバイは、15万リラをすったこの館の主人達4人が証明してくれる」 「15万リラ? 200ドルぽっちじゃないか。どうしてさっさと切り上げて来ないんだ」 「そうしようと思ったが、結果的には良かった」  柔い力と言え、喉笛をきゅっと重ねた親指で押し込む動きは、呼吸を一瞬阻むには十分事足りる。目を見開いたリッキーの耳に、ランベルトは全く平静な口調で言葉を吹き込んだ。 「完璧にオレンジ。カンパリよりも、ずっとフレッシュだ……彼女も新鮮だったか」  知らないよ、と言おうとした。確かにあの女の子は部屋を訪れ、少しいちゃついて来たけれど、それ以上は何もなかった。生まれる前に死んだ生殖行為。そんな風に考えるから駄目なのだろう。飲み過ぎと疲れ過ぎで勃たないと適当な濁し方では到底誤魔化せず、「やっぱりあんた、ホモだったのね」と彼女に呆れた風で笑われてしまった。  その語調がジミー・スチュアートを腐した時と同じ音色だったから、今まですっかり忘れていた。もっと慎重になるべきだったのに──自らがしょっちゅう目移りする性質だから、ランベルトは浮気の気配に聡い。 「ああ、リッキー。そんな顔しないでくれ」  ぱくぱくと幾ら懸命に唇を動かしても、じわじわと首全体に回る圧迫感から逃れることは出来ない。自ら手を掛けているにも関わらず、ランベルトは憐れむような言葉付きを作る。 「確かに俺は、君のお父上に雇われている。逆じゃない。だから君が、誰と寝ようと自由だよな」  手首を掴む。ぴんと伸ばした爪先を震えるようにばたつかせる。そんな弱々しい抵抗をねじ伏せることなど、この歴戦の猛者にとって赤子の手を捻るより容易いだろう。手のひらの力を緩めては強め、甚振りの時間が長くなれば長くなるほど、琥珀色の瞳は輝きを増した。 「でも、そんな目で見つめる癖に。平気で他人に身を委ねるのか。信じられないな……俺が同じことをしたらどうする?」 「いやだ」 「だろう? じゃあ言うことは?」 「ごめん」  束の間空気が通った喉から謝罪を吐き出せば、ランベルトは初めて破顔した。ははは、と声すら立てる、本来なら朝日の下で見せるべき明るい笑顔だった。 「よし、信じるぞ」  そんなの不公平じゃないか、との訴えは、さらに酸素を奪う接吻で完全に封殺された。

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