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7.髪をつかまれる

「みんなが噂してるけれど、実際のところはどうなんだろう」  迫る夕焼けは秋の海岸を色こそ暖かく染めるが、吹き抜ける浜風と言えばもうすっかり涼をまとっている。  携えてきたバスケットケースを尻で押しやってしまったが、構うものか。身体の下に敷き込んだブランケットごと身を寄せるリッキーに、ランベルトは益々背中へ回す腕の力を強めた。オレンジ色に染まった横顔はさながら黄昏を統べる神話の中の英雄。だがその整った面立ちの中、この後のお楽しみを予言するよう片眉が吊り上げられれば、途端に人々は夢を見てしまうのだ。こんなにもチャーミングな男なら、手を伸ばし触れても許されるのでは無いかと。 「噂か。色々あり過ぎるからな」 「分かってる癖に。昨日の晩も、ベルギーのプリンセスが言ってた」  そこまで言ってもまだそ知らぬふりを貫くので、リッキーは男の分厚い胸に顎を乗せ、傾げた小首から上目遣いを投げかけた。女の子が「可愛い」と褒めてくれる、とっときの切り札だ。 「ランベルト・ホルツフェラーとポルフィリオ・ルビロサ。どっちのモノの方が大きい?」  かたやドイツの戦車乗り。かたやドミニカのレーシング・ドライバー。その次位に、ラナ・ターナーと付き合っているミッキー・コーエンの用心棒。巨根神話はパーティーで最も好まれる話題だが、まあ現時点のランキングはその辺りで、しばらく変動する予定もなさそうだったから、話はひたすら繰り返し。その度に噂へ尾鰭がつく。 「あのプリンセスは、ルビロサと寝た事があるって自慢してた。まだ彼がミスター・ハットンだった頃に。本当に野球バットよりも太くて硬かったって、すっかり感服していたよ」 「太ければ良いってものでも無いからな」  リッキーの視線が己の下半身へ走らされても、ランベルトはさして気にしていないようだった。自信がある人間は、慌てない、騒がない。いつでもエデンの東を睥睨する神じみた目付きで、リッキーが次に取る行動をのんびり観察している。  ランベルトの陽物と言えば……流石に野球バット「以上」は言い過ぎだ。と言うか、人体の構造上、そんな事あり得るのだろうか。どうやって下着に収めている?  想像したものは酷くグロテスクで、気持ち悪くなってくる。むかつきを誤魔化すよう、頬を胸板に擦り付けるリッキーの髪を、ランベルトは指で掬っては滑り落とさせ、遊んでいた。「君の赤毛は、この時間に見ると、まるで燃えているかのように見事だな」 「分かりやすいユダヤ人だってよく言われるけどね。酷い偏見だ」  重たげな塩気を纏った砂に手を滑らせれば、ランベルトはすぐに察して、バスケットケースからワインボトルを引き抜く。逗留先の家のワインセラーから適当に見繕ってきた物だが、美味い赤だった。  半分ほど注いで差し出されたグラスを、一口、二口と煽り、リッキーは甘く絡む吐息を漏らした。 「カリブ海の男は12時間ずっと萎えないとか、アラブのシークは一晩で10回も出来るとか。ドイツ人も、そう言う伝説みたいなのがあるだろう。100歳で白髪頭の髭もじゃになっても、まるで悪魔と取引したみたいに絶倫で、好色な老人。この世に留まり続けるファウスト博士だ」 「それは初耳だな」 「君は老人じゃないけれど、絶倫だね。誇っても許される」  近頃のルビロサは娘位も歳が離れている、フランスのスターレットの尻を追い回しているらしい。ランベルトは違う、誰も傷付けない。少なくとも己のことは決して──昨晩だって、過ぎた快感に疲労困憊し、泣き出したリッキーの限界をちゃんと見極め、最後は蕩けそうになるまでキスをして甘やかしてくれた。 「こんな事なら、ロッカールームでもっとよく見ておけば良かった」  薄いワイングラスの縁を撫でる、遠い嵐の中のサイレンじみた響きが、打ち寄せる漣の音を跨ぎ越える。緩やかなランベルトの下目遣いへ調子に乗って、言葉を続けた。 「2年くらい前に、ルビロサのポロチームと試合をした事があるんだ。その時は噂なんか知らなかったし、不躾に眺めたりしなかったから」 「惜しい事したな」  葡萄の赤色と甘さに染まる、薄く開いたリッキーの唇を指で撫でながら、ランベルトは目を細めた。 「君はこの世で数少ない。世界の2大ペニスを見た男になれたのに」 「自分で言うなよ、全く」  思わずリッキーは苦笑を漏らした。 「大体、見ただけじゃ駄目だ。実際に使ってみないと……これは望み薄だな。100万ドル積んだところで、ルビロサは僕と寝てくれないよ」 「別にそんな事、する必要ないだろう」  髪に潜り込む指の力は柔らかく思えて、その実決して獲物を逃さない。ぐっと押し下げた先、鼻がぶつかるような位置にあるスラックスの前立てへ、まだ丸みの残る顔を押し付ける力に躊躇はなかった。  ほう、とアルコールの乗った溜息でツイードを湿らせ、リッキーは呟いた。 「そう、僕にはこれがあるから、ドミニカ人なんか必要ないね」  これのやり方を教えてくれたのは他ならぬランベルトだから、拙さは否めない筈だ。それでもこの偉大なるドイツ人は、辿々しい口での愛撫に、感じ入った様子を見せる。「君がしてくれるからいいんだ」と言うのがどう言った類の褒め言葉なのか、リッキーは考えないようにしていた。興に乗って無理矢理口へ収めようとするが、こんな巨大なもの、全て飲み込んだら間違いなく窒息してしまう。 「無理しなくていい」  そう嘯きながらも、後頭部を押さえ込む圧は益々強まる。手綱のように引かれて操られ、毛根が少し痛い位だった。  痛いのが良いなんて、野球バット好きのプリンセスと笑えない。だらりと顎まで溢れそうな唾液を啜りながら、リッキーは何とか琥珀色の瞳に向ける上目を、愉悦の湾曲に変えようとした。

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