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15.拘束

 ロニーの家に行けば、ロンドンで年に一万ポンド以上稼いでいる全てのホモ・セクシャルに会える。  その点については噂通りだったが、他は期待外れ。イギリス人は基本的に性欲が薄い。それに下の階で、ロニーの双子の兄であるレジー(瓜二つの見かけをしているにも関わらず、彼は完全な異性愛者だった)それに兄弟の母親が暮らしているせいもあるかも知れない。  ホワイトチャペルでも一際目立つアパートメントにワンフロアぶち抜きで用意された男の園は、だらけた雰囲気に支配されていた。レコードプレイヤーからアレクシス・コーナーの踊る気満々なブルースもどきの新曲が流れる中、酒を飲んだり、薬を嗜んだり──出入りの高級男娼や玄人を気取る連中は阿片を使っていたが、殆どの連中はホストがアメリカから仕入れるコカインを吸っていた。  女王陛下のお茶会に用いられそうな銀の盆に、白い粉が山盛りにされて供された時は、流石のリッキーも大笑いしそうになり、危うく50ドル分のコークを文字通り霧消させてしまうところだった。  結局は、社交界なんてどこも同じなのだ。人は己の所属するグループの仲間と寄り集まる。世界中のどの国にもチャイナタウンがあるのと同じだった。  ロニーの素敵なサロンだと、大きく分ければ上流階級とやくざもの、その中にも細分化されたヒエラルキー別の集団がある。  両者を蝶の如く自由に行き来できるのは、春をひさぐ若者達と、際立って抜け目ないコスモポリタンだけだ。この前ヨットの上でリッキーにパンチを喰らわせた若者は前者に入り──接待なのか、先程覗いた時には、客室で何代か前の外務大臣に犯されていた──そしてランベルトは後者だった。  彼は誰のペニスも触らず触らせられず、アナルにも無縁、ひたすら趣味と実益を兼ねたゲームに没頭している。今夜はツキに恵まれていないらしい。数時間程、入れ替わり立ち替わりする連中を相手にドローポーカーへ興じていたが、結局席を立ち、同伴者の元にやってくる。  やたらと家庭的で埃っぽい張りぐるみのソファでジン・トニックの力を借り寛いでいたリッキーは、開口一番「幾ら切れば良い?」と尋ねた。何なら面倒だから、小切手帳ごと渡しても構わない。アレック・ギネスと寝た事があるなんて豪語する、とびきり美しい青年とのお喋りが興に乗っていて、早く続きを聞きたかったのだ。 「馬鹿だな。ここに君の署名があるものを置いていくなんて」 「でも現金はさっき渡した分で最後だ」 「分かってる」  ちょっとこっちへ、と顎でしゃくられ、そのまま手を引かれて部屋を出た所で、当たり前と思われるのだ。なんと幸せなんだろう。  小さなセミダブルのベッドが置かれた客室へリッキーを連れてきた時、ランベルトは「エロール・フリン方式で行こう」といとも容易く言った。 「昔フリンがティファナの仲間と売春宿で飲んでた時、手持ちの金が無くなったらしい。酔い潰れたふりをした彼は、宿の二階でベッドに素っ裸で寝転がって、仲間に店中の人間へ喧伝させたそうだ。『エロール・フリンの裸を見たい奴はいないか。今なら1人10ペソだよ』」 「僕は裸になるなんて御免だからな」 「インマン家の御令息にそんな事させやしないさ。ただちょっと」  辺りを見回し、床に落ちている誰かの忘れ物らしいスカーフを拾い上げたランベルトの顔には、にんまりとした笑みが浮かんでいた。 「趣向は凝らす必要があるが」  最終的にベルト4本と、ズボン吊り(客間にいるゲストから借りてきたものだ)3本が用いられた。背もたれに幾重も回って胴を拘束した後、ズボン吊りが伸びる先は両腕。後ろ手に縛められ、手首をがんじがらめにされる。足は太ももを通したベルトの輪の部分から座面の裏へ向かい、強く結び付いた。そんな真似をしなくても、ズボン吊りで膝から下を椅子の脚へ完全に固定されているのだから、閉じることなど出来ないのに。 「あのさ。言っておくけれど、僕はこう言う趣味なんか全然」 「分かってるよ、リッキー。これはちょっとしたお遊びなんだ」  仕上げに厳粛さすら湛えて、首はベルトに潜らされる。丁寧にバックルの位置を項で調整する手つきと裏腹、スカーフを口に突っ込む勢いへ容赦はない。香水臭い、と顔を顰めたリッキーの目の前で、ランベルトは己がつけていたエルメスのネクタイをしゅるりと喉元から引き抜いた。 「ここに来たがったのは、君だろう?」  絹がぐっとスカーフを口一杯に噛ませ、唾液が染み込むのと入れ替わりに、甘く重く、そして苦い薫香が味蕾に回る。ランベルトの愛飲する煙草だ。 「顔を見られるのが恥ずかしければ俯いてろ。縛り首にされて首が折れた囚人みたいにな」  踵が返される前に、指の背は息苦しさで火照った頬をすりっと撫でる。ランベルトは場違いな程明朗に、ははは、と笑った。 「ぐっと来るよ、リッキー。金さえあったら、そのまま娼婦みたいにファックしてやりたい位だ」  椅子と向き合う形の扉は、指3本程開いたままにされる。そこへ人の気配がやって来るまで、時間は掛からない。  部屋へ入って来る者はいなかった。皆覗くと言う行為に興奮しているらしい。ちらと視線を持ち上げれば、無数の目、目、目が、こちらを凝視していた。潜められた声が好色の色を帯びてうねりとなり、部屋へ雪崩れ込んできては、見えないロープの如く全身に絡みつく。更にはごそごそ衣擦れの音が。  何だかよく分からないが、居心地が悪い。これは取らされた姿勢のせいだけではないのだろう。  今まで、リッキーの知る愛は、決して語ってはならないと言われて来た。それには理由があったのかも知れない、この期に及んで思い知る。  やはり僕は愛されるよりも、愛する位で丁度いい。そう納得しながら、リッキーは精一杯迫真の演技で、斜めに傾げた頭を垂れた。

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