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17.武器破壊
全てウォルター・ウィンチェルのせい。小切手が切れなくなった事に気付いてすぐ、電報も打ったし、コレクトコールとは言え電話も掛けた。もちろん両親のどちらへも。
だが結局寄越された返事は「飛行機のチケット代は送る」の一点張りだった。ついでに宿代も送金してくれと頼んだが、そこはツケが利くだろうと一蹴される。どうせ近いうちに一族の誰かが逗留するし、その時にまとめて支払うとオーナーのピーターに話を付けておいたと言う。まったく抜け目がない。こういう時ほど、彼らが己の親であるとまざまざ実感させられることもない。
顔色を無くして狼狽えるばかりのリッキーと違い、ランベルトは迅速で、運命に従順だった。荷造りはとっとと開始され、最終宣告を受けてから30分もすると、エルメスの旅行鞄はどこへでも旅立てる準備が整えられている。
あんまり度を失っていたものだから、リッキーは荷物が呼びつけられたベルボーイの手で運ばれていくのを黙って見送っていたし、ランベルトに「飯くらいは奢ってやるよ」と顎でしゃくられても、ただ頷くことしかできなかった。
一階にあるバー&グリルでも、窓際の席へ案内するようランベルトが給仕に申し付けたのは、
1.往来から丸見えの場所で、相手がみっともなく泣き喚いたり、縋り付いて来ない事を見越したから。
2.もし最悪の事態に陥っても、目立たない、良くない席だ。少なくとも店の中では体裁を取り繕える。
勿論、リッキーは一雫の涙も流さなかった。そんな教育は、親から受けてこなかったから。
こう言うときに限って、給仕はターキーサンドとコカコーラをとっとと運んでくる。現実を直視しているとは言い難い目つきでテーブルを見つめているリッキーに、ランベルトは「早く食べろよ」と常通りの落ち着き払った態度で促す。
「腹が減っては何とやら、だ」
「どこに行くの」
「取り敢えず、君がお父上のところへ帰ることは確かだ」
供されたフィッシュ&チップスを、ランベルトは瞬く間に平らげていく。分厚い鱈の衣をカトラリーで切り分け、付け合わせのグリーンピースを潰したりすることなど決してしない。
この庶民的な料理を、ここまでアホらしい程正しいテーブルマナーで食べる人間に、リッキーは生まれて初めてお目にかかった。笑えて来たのはいっそ滑稽さを覚えた故なのだが、ランベルトは嗚咽の前兆だと勘違いしたらしい。相変わらず常に背筋へ物差しを当てられているかの如き真っ直ぐな姿勢に、涼しげな表情をくっつけ、「頭を冷やせよ」などと宣う。
「俺は、そうだな。取り敢えずモンテ・カルロへでも飛ぶか。宿代のツケ位、3時間で取り返してやるよ」
「大丈夫、ここは父さんが払う」
「そう? なら遠慮なく」
最初からびた一文出す気などない癖して。どうせすぐブラック・ジャックのテーブルで空っけつになるのが目に見えている癖して。そうしたらもう、誰も助けてくれないのに。
今や文無しなのはお互い様だから、そんな憎まれ口を叩く権利すらリッキーは持ちえない。
「ならしばらくは、アメリカに足を向けないってこと?」
「ああ、しばらくは。恐らく」
「なるほど」
こっくり頷くと、リッキーはまるで自分以外の誰かへ命じられたかのようにサンドイッチを鷲掴み、口へと押し込んだ。しっとりと細心の注意を払い焼き上げられたはずの七面鳥は喉に詰まり、コーラで流し込まねばならない羽目になる。
「呆気ないね。こんな、名残りを惜しむこともしないで、別れの挨拶も碌にせず……あ、別に君を責めてる訳じゃなくて」
「いいんだよ、リッキー」
酷く清らかな、歌でも口ずさむかの如く薄い抑揚で、ランベルトは言った。
「さようなら。気を付けて家に帰れよ」
味のしないターキーサンドを嚙みしめながら、リッキーはこの数時間で起こった出来事について考えていた。ショーウィンドウ越しに見る昼前のストランド通りは徐々に喧騒を増し始め、思考の邪魔をするものと言えばきりがない。車の警笛、道行く人のざわめき。
己が正気を失っていることは百も承知だ。けれど幾ら混乱の極みにある頭だとしても、こんな終り方より、もっといい活路が見いだせるのではないか。
「ニューヨークまでの飛行機代」
ランベルトがグラス一杯のラガーを飲み終える寸前、リッキーは顔を持ち上げた。
「それだけあれば、一回位バカラ・テーブルで勝負を張れる」
「よせよ」
もはや顰めっ面を隠しもせず、ランベルトは手を振った。
「君は連れていけない。分かるだろう」
「ああ、お荷物ってこと」
「そうだと言えば納得するのか?」
リッキーは俯いたまま、分厚い白磁の皿の上に残ったレタスの破片を摘まみ上げ、唇に運んだ。
自らが良い子だと思ったことなど一度もないが、せめて今位は彼を困らせたくない。でも、彼に己の意志に背く行動をさせるには、ここで……
いつまで経っても逡巡し続けるリッキーを見下ろし、ランベルトは穏やかな、同情すらしているような顔付で口を開いた。
「なあ、君はまだ若い。これから色々な冒険をして、経験を積んで、何が楽しい事かを知らなくちゃならないんだ」
「君と一緒なら、さぞや色々な経験が積めるだろうし、どんなことでも楽しめるだろうな」
「君は俺を買い被りすぎだよ」
それに、と、ランベルトはポケットからマネークリップを取り出した。リッキーの前で、彼が初めて見せた仕草だった。
「君は、一文無しって状態がどういうものかを知らない。よしんば知ったとしても、絶対に笑い飛ばせやしないだろう」
今ここで反論できれば、彼を追いかける権利が手に入っただろう。ましてやこんな席を立ちざまの、気障な捨て台詞の言い逃げなど、決して許さなかった。
「大丈夫だよ、リッキー。例え今どれだけ辛くても、君はきっと幸せになる」
あの威風堂々とした後ろ姿なら、どんな人ごみの中からでも見つけられると思ったのに。出会った時と同じく、ランベルトはふらりと雑踏へ消えた。
テーブルに残されたポンド紙幣はそれなりの額だった。金銭に関することであの男が鷹揚さを発揮できるなんて。最後の日にこんなにもたくさん彼について知った。最悪だ、と口に出して吐き捨てる代わり、リッキーは給仕を呼び、タンカレーのジントニックを所望した。有り金の分だけ飲んでやるつもりだった──こんな人を惨めな気持ちにさせる店へ、チップを弾んでやるつもりなど毛頭なかった。
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