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第6話 恋に臆病な僕らのリスタート(2)
「ねえっ、ここ覚えてる?」
隆之の自宅へと向かう途中、ナツがパッと駆け出して振り返る。そこは、二人が初めて出会った橋だった。
「もちろん。あんなにも衝撃的な出会い、忘れるはずないだろ?」
「アハ、つい体が動いちゃったんだよねぇ。自分でもびっくり!」
ナツが欄干に手を置いて、懐かしそうに目を細める。
川面は街の灯りを反射させて鈍く光っていた。それを見つめるナツはどこか儚げで、今すぐにでも消えてしまいそうな危うさを感じてしまう。
「ナツ」
隆之はナツのもとへと歩み寄り、静かに隣に立った。やんわりと手と手を重ねて、無言のまま景色を眺める。
話したいことも伝えたいこともたくさんあった。きっと互いにそうだったのだろう――時間が緩やかに流れるなか、先に口を開いたのはナツの方だった。
「デート、楽しかったね」
「ああ。楽しくてあっという間だったくらいだ」
「ハハッ、俺も。なんか今日やばかった。カッコいいスーツ買ってもらっちゃったし、映画も最高に面白かったし、レストランだってオシャレでご飯美味しかったし……こんな素敵な思い出作ってもらえるなんて、俺って幸せ者かも」
言って、ナツはこちらに顔を向けた。
「俺さ、隆之さんと過ごした日々のこと忘れない。全部大切にして、これからも生きていくから――だから、ありがとう。俺にとって隆之さんは大切な……すっげー大切なお客さんだよ」
「マジだかんね」と、念押しするように付け足してナツは微笑む。
が、その表情も無理矢理作っていたのだろう。スン、と鼻を鳴らしたかと思うと、俯いて小さく肩を震わせたのだった。
「ごめんね、しんみりしちゃって。泣かないでいようと思ったのに」
ぐすぐすと泣きじゃくってナツが言う。隆之は胸が痛むのを感じつつ、そっと背中を撫でてやった。
「それだけ好意を向けられれば、さすがにわかるよ」
ひょっとしたら、と思ったのは初デートのとき。確信に変わったのはナツが自分のもとに逃げ込んできたときだ。
静かに告げれば、ナツの目が驚きに見開かれる。こちらを見上げてきた顔は涙で濡れていて、隆之は指先で拭いながら続けた。
「以前は営業だとばかり思っていたけれど、俺が思っていた以上にナツは裏表のない子で――きっと相手が誰であろうと、いつだって心からの言葉を言ってくれていたんだよな」
「それは……」
ナツが気まずそう顔になったので、「ああ違う」とすぐさま否定する。なにも、そういったことを言いたいのではないのだ。
「すまん、少し意地悪な言い方になったかもしれない。なんと言ったらいいんだろうか……」
隆之は頭を掻いて考えを巡らせる。そして、ゆっくりと息を吐いたあと、相手の目を見て告げた。
「そんなふうに真っ直ぐで、人と純粋に向き合える君が――俺は好きなんだ」
「――……」
「目を背けてしまって悪かった。客だからなんて言い訳はもうやめる。この先もどうか、俺はナツと一緒にいたい……だから正直な気持ちを教えてほしい」
初めて、自分から明確な好意を口にした。
ナツが呆然とした様子で立ち尽くす。その頬はみるみると赤くなっていった。が、本人は視線を落として小さな声で呟く。
「なんで、わざわざそんなこと訊くの」
「ナツの口から聞きたいんだ。じゃないと意味がない」
「……ズリぃよ。俺の気持ちなんてわかってるんでしょ? ほんっと、隆之さんって真面目なんだから」
ぎゅっとナツが拳を握る。それから、絞り出すような声色で告白してきた。
「そうだよ、ここまで感情が揺れるのは隆之さんだけだよ。仕事とか関係なしにいつだって隆之さんのこと考えるようになって……今じゃもう、他のお客さんと同じようにはいかないよっ!」
堰を切ったように想いをぶつけてくるナツ。その表情はひどく切なげで、痛々しいものだった。
「それなら――」
「でも駄目だよ、隆之さんとは一緒にいられない。いくら願ったところで、俺にはそんな資格ねーもん。……ねえ、楽しい思い出のままお別れしよ?」
「そのために、今日でこの関係を終わらせようというのか? どうしてそんなこと言うんだ?」
「決まってんじゃん。ゲイとノンケ――俺と隆之さんじゃ、住む世界も価値観も違うんだよ」
「……人間誰しもそうだろ。君に限ったことじゃない」
「じゃあ、考えてもみなよ!」
ナツが間近まで詰め寄ってくる。
「結婚も認められなければ、子供だってできないんだよ? おじいちゃんになっても二人きりで、家族や周りの人にどう説明すんの? 将来のこと考えたら絶対ありえねーし――もう隆之さんだって、気軽に誰かと付き合うような歳でもないでしょ!? お願いだから、ちゃんと相手選んでよ……っ!」
まくし立てるナツの勢いに、つい気圧されそうになる。
確かに彼の言うとおり、同性同士の関係は世間一般的にはまだまだ受け入れられないものだろう。どうにもならないことがあるし、ときには白い目で見られることだってあるかもしれない。しかし、それでも、
「俺はこの先、一生を共にするんだったら君みたいな人が――いや、君がいいと思うんだ」
そう告げながらナツの手を掴み、懐から取り出したものを握らせる。
「これって」
「あの日、こいつと一緒に俺の心も拾い上げてくれたよな」
隆之が渡したのは、婚約指輪の入った純白のケースだった。
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