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36.
「あいが」
「はい? ──⋯⋯っ」
自分の腕の中で小さく悲鳴を上げる声が聞こえた。
それでも構わず抱き寄せた。
「あっ、あの、俊我さ──」
「このままにしてくれ」
「はい⋯⋯」
離れようとした身体が俊我にされるがままとなった。
同情、してしまったのかもしれない。自分でも何故、抱きしめたのかと困惑し、これからどうしようかと冷静にならない頭で考えていた。
緊張しているようで、鼓動が速まっているのを感じた。
部屋の惑わせるお香のせいか、それとも"あいが" 特有のフェロモンのせいで興奮という状態になっているかもしれないが。
ともかく、それを俊我の胸に頭を預けている"あいが"に聞かれていると思うと、いても立ってもいられなかった。
けれども、この華奢な存在を離したくないと思ってしまう。
「⋯⋯ここで働かされて以来、初めてただ抱きしめられました」
ぽつりと言った。
「ここに来る人達は部屋に入ってくるなり、要望と欲をぶつけるだけですから。⋯⋯いえ、それが当たり前ですね」
「当たり前じゃない」
「え?」と"あいが"が驚きの声を上げたことで、自身が発言したのだと自覚した。
当たり前という言葉をここ最近嫌に感じていた。
それは、小野河の会社が罪を犯したと思われた時に普通だと思っていたものが、普通じゃないと思い始めた時から。
そうだから、無意識でも反応してしまった。
なんでもない、と言いかけた言葉を押し退けた。
「当たり前なんて言うな。こんなオメガを軽視する所が当たり前なんかじゃない。当たり前だと言ってしまったら、それが当たり前の現実になってしまう」
腕の中にいる純粋無垢な存在の慰めにも、自分に言い聞かせているような、そんな言葉を口にした。
「⋯⋯そうですね」
声が震えていた。それを言うので精一杯と言うようにも捉えられた。
"あいが"は救われたとでも思っているのだろうか。
何言っても、罪悪感でしかない。
救われたと思ってくれているのなら、今はそれでいい。
こっちは罪人になった気分だ。
時間になるまで何も言わず抱きしめ続けるのであった。
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