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138.
ぼんやりとした視界が広がる。
まるで寝ていたようだ。
しかし、そうだとして、いつ寝たかは全く憶えてない。
自身の手を口に入れていた大河のことを飽きずに見ていたことは憶えている。それから、空いていた小さな手が俊我の人差し指を掴んで離さなかったことも。
その手を無理に離したとしても、俊我から離れようとしないため、大河の思うがままにしてあげていた。
そこまでのことは憶えているが、肝心の自分はいつ寝てしまったのかはそこだけ記憶が抜き取られたかのように、一切憶えていなかった。
そこで、床で横になっている俊我の腕に、大河がいないことに気づいた。
「⋯⋯大河」
半身を起こそうとした時、腹部に重みを感じ、そこを見やると、すぴすぴと眠る大河の姿があった。
丁寧に大河ごと布団が掛けられていた。
「大河、お前いつ寝ていたんだ」
「──先に小野河様が寝に入ってしまいましたからね」
ふっくらとした柔らかい頬を指先で突っついていると、上山の声が降ってきた。
心臓が飛び出そうなぐらい驚き、バッと見上げると「おはようございます」と言ってきた。
手には買い物袋を下げていた。
「手を口に含んでいる大河様のことをただ見つめていらっしゃるかと思えば、うたた寝をし始めていらしていたので、大河様には申し訳ありませんでしたが、引き離しておきました」
「そうか。それは悪いことをしたな」
大河は俊我から離れることを嫌がる。だから、大泣きしてしまったことだろう。
それを言ってみると、「ええ、そうですね。色々と手を尽くしましたが、最後は泣き疲れてしまわれたようで、小野河様のそばで寝ていました」と返ってきた。
「⋯⋯そうだよな。急に俺なんかに懐いてどうしたんだろうな」
「懐かれることはいいことでもありますが、これからのことを思いますと、真剣に考えた方がいいと思います」
口をむにむにしている大河のことを見つめていると、現実を突きつけられる言葉が降りかかった。
あの女にどこまで言われたかは分からないし、それに対して問いたくはないが、上山の言うことは充分に理解しているつもりだった。
しかし、いざとなった時、冷たくあしらえるのか。
愛したかったオメガの時のように、かえって情が湧いてしまいそうだ。
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