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第3話
アルファほどの能力はないが、丈夫な身体と温厚な性質を持ち、よく気のつく働き者が多い、三つのバース性の中でもっとも人口比率が高いベータ。
そして、体格や力ではほかのバース性に劣るものの、生殖能力がずば抜けて高く、発情することによってアルファを惹きつけ、番の絆を結んでアルファ性の子供を産むことができる、オメガ。
男女の性のほかに、それら三つのバース性が存在することにより、婚姻や出産の形態はさまざまだ。国や地域によっては、生まれたバース性によって家族間で身分が変わることもある。
ヴァナルガンド王国のように、バース性によらず、生まれや家柄によって貴族や平民などの社会階層が形成されている国もあるが、そのような国においても、アルファは基本的に、上級役人など国を治める立場になったり、騎士や魔術師として高い能力を発揮し、人々を導く立場になることが多い。
そのため、一般的にはアルファはオメガと婚姻し、番となって、オメガにアルファ性の跡継ぎを産んでもらってともに育てることを求められる。
ヴァナルガンド王国でもそのような慣習が続いており、それは王族も同じだった。
アルファの王子や王女にはオメガの伴侶を、オメガの王子や王女にはアルファの婿を。
そこに運命が介入する余地などは、やはりほとんどなさそうな気がするのだ。
「……ときに、殿下。はばかりながら申し上げますが、その……、そろそろ、なんらかの手を打つ頃合いではないかと」
アスマンがためらいを見せながら言う。
言いたいことはなんとなくわかったが、クラウスはわざと素知らぬ顔で言った。
「ん? なんの話だ?」
「殿下のお体のことでございます。今回のご縁談も諦めるとしても、やはりせめて、殿下のお体に発情期が来るよう、うながす必要があるのではないですかな?」
アスマンの言葉に、重臣たちがうなずき合う。
「恐れながら、宰相殿のおっしゃるとおりかと」
「我らも賛同いたしますぞ」
「やはり、今後のことを考えていただきたく……」
王璽尚書に国務尚書、それから外務尚書。
重臣たちが、それぞれの官職の立場から、アスマンへの賛意を示す。
皆遠慮がちな声ながら、切実な表情だ。アスマンがコホンと一つ咳払いをして言う。
「いかがでしょう。ここらで一つ、『夜伽役』を立てるというのは?」
やはり来たかと思いながら、重臣たちの顔を見回す。
彼らが正しいことを言っているのはわかっている。国の将来を考えての言葉であるのもわかっているが、正直言ってまだ決心がつかない。
アルファとして生まれ育ったのに、同じアルファに抱かれるなんて……。
「……おや、鐘の音だな」
大聖堂の鐘が鳴り出したから、クラウスはこれ幸いと玉座から立ち上がった。
「聖堂で祈る時間だ。すまない、その話はあとにしてくれ」
短く言って、重臣たちの間をさっと通り抜ける。
アスマンの深いため息を背中で聞きながら、クラウスは謁見の間をあとにした。
「ヴァナルガンドの国と民とに、とこしえに守護聖獣フェンリルの加護があらんことを」
クラウスは膝をついて頭を垂れ、日ごとの祈りの言葉を口にした。
ヴァナルガンド大聖堂の二階にある、王たちの祈りの間。
王族のみが入ることを許されたその部屋は、クラウスにとっては慣れ親しんだ心落ち着く場所だ。
七歳年上の兄王子マヌエルとともに、幼い頃から父王に連れられて毎日ここに来て、日ごとの祈りを捧げてきた。
五年前にマヌエルが亡くなり、昨年父王も亡くなって、今は一人での礼拝となってしまったが、ここに来ればいつでも、心が慰められる気持ちになる。
「……」
部屋の空気がひやりとした次の瞬間、床を見つめる目の端を、白銀の毛がふわりと通り過ぎたのがわかった。
ゆっくりと顔を上げると、部屋の奥にある薔薇窓に向かって歩いていく、人よりも大きな白銀の狼の姿があった。
守護聖獣、フェンリル。
こちらを見やるでもなく悠々と歩を進める、その気高く美しい姿に、クラウスはいつでも魅了される。
『聖獣フェンリルに選ばれるよう、たゆまず励め! 王族としておごることなく、国と民とに尽くすのだ!』
父王からかけられていた激励の声は、今でもその声音を思い出せるくらい鮮烈に、クラウスの心に刻まれている。
聖獣フェンリルは建国の王ヴィルヘルムと契約し、この国の永遠の守護者となった聖なる獣だ。自ら王となる者を選び、王とだけ心を交わし合い、国を治めるための強力な魔力を授けてくれるのだ。
よってこの国には、王位継承順位は存在せず、王太子も置かれない。
クラウスはアルファの王子として、兄のマヌエルとともに幼い頃から王として選ばれるのにふさわしい人間になれるよう、武芸や魔法、学問など、さまざまな分野で研鑽を積んできた。マヌエルが亡くなったあとは、ほかにアルファの王族もおらず、本来ならば今頃は、クラウスがフェンリルに選ばれて王位を継いでいたかもしれない。
だがオメガにバース転換してしまったことで、その道は絶たれた。
今はアルファの婿を番に迎え、アルファの世継ぎを産むことが、ほかのどんなことよりも強く求められているのだ。
考えまいと思っても、どうしてこんなことになったのだろうと悔しい気持ちになる。
(だが、オメガであっても俺は王族だ。王にはなれなくとも、国と民とを守らねばならない)
王不在の今、この国にはフェンリルと意思の疎通を図れる者がいない。
王族であればフェンリルの姿を見ることだけはできるが、王が空位の状態では、民たちには姿は見えず、ゆえにその加護を日々実感することも難しい。
そんな状態が続けば、やがて民のフェンリルへの信心が薄れ、国家の存亡にかかわる事態を招くことにもなるかもしれない。
幸い、今のところ他国からの大きな侵略の気配もなく、魔力の供給も足りていて、比較的平穏な世相ではあるが、西方で怪しげな魔術を操る新興国家が勃興しつつあるという噂も聞く。有事となれば、当然ながらフェンリルの強い魔力の助けが必要となってくるだろうし、その姿が民たちを鼓舞することだろう。
やはり自分がアルファの世継ぎを産み、この国に新たなる王を誕生させることが、国や民を守るうえで最も重要な責務なのだ。
それなのに、縁談がことごとく破談に終わってばかりいるのは、やはりまずいと自分でもわかっている。
現状を打開するため、まずは「夜伽役」をつけてはどうかというのは至ってまっとうな意見だし、今できる唯一の方策ではあるが、しかし……。
「……おや、クラウス様。祈りの間にいらしていたのですね?」
あれこれと思い悩みながら王たちの祈りの間を出て、民たちにも開放されている礼拝堂に下りていくと、整然と並べられた長椅子の最前列に座っている小柄な人物に声をかけられた。
亡き兄王子マヌエルの番だった、オメガのロイドだ。
「ロイド! 出歩いて大丈夫なのか?」
しばらく病の床に臥せっていて、姿を見せるのは久しぶりだったから、クラウスは思わず駆け寄り、膝をついて彼を見上げた。
やや面やつれしているが、優美な顔立ちは変わらず美しく、亜麻色の長い髪はいつにもまして艶やかだ。小さくうなずいて、ロイドが言う。
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