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第11話「好きだから」

 「やっと来たな」  これだけの美人を目の前にして、ライラは厳しい顔をした。恋糸(こいと)はにこにこ笑いながら、店の扉を閉める。店休日の店内は、いつもとは違って物寂しい。窓枠から、透き通った細い光が漏れているのが綺麗だった。 「悪い、道が混んでてさー」 「どうせ銀河(ぎんが)くんと遊んでたんだろう」 「ち、ちげーよ。俺が仕事のこと伝え忘れてたせいで家に銀河が来たから、説明してたらちょっと遅くなっただけ」 「だけ、にしては遅すぎるだろ」 「あとはマジで道が混んでてバスが遅れたんだよ」  恋糸は荷物を椅子に置き、すぐ隣の椅子に腰掛けた。 「で、新メニューの写真だっけ? どういうやつ?」  恋糸は机に肘をつく。すると、ライラが、恋糸の目の前に丼を置いた。丼に乗っていたのは、たくさんの魚の切り身だ。 「へえ、おいしそーじゃん」 「海鮮丼。ちょっとの間だけ出すんだ」 「いーね。俺、魚好きよ」 「お前が好きかどうかはどうでもいい」  恋糸は、くつくつ笑いながら、早速機材に手を伸ばした。  鮮やかな海鮮。隙間なく盛り付けられた色とりどりの切り身が、つやつやと輝いている。てっぺんから溢れているいくらが、今にも弾けそうだ。 「……銀河好きそう」 「また出た。銀河くんの話好きだなお前」  恋糸はむっと口を尖らせる。ライラは、恋糸が銀河について少し触れただけでも、こうやって面白そうに突いてくる。 「仕事中だぜ。独り言いちいち拾うな、面倒くせぇ。……あ、悪い、ライラ。ちょっとこのライト持ってくれる?」 「これか?」 「そう。……もう少し右」  レンズを通してもなお消えることのない輝き。ずっしりとした佇まい。なにより、これだけゴタゴタものが乗っかっているのに上品なのが良い。 「……あとで食べたい」 「いいよ。作っちまったもんは戻せないし」 「やった」  恋糸は、ファインダーを覗きながら笑った。  ライラは、恋糸に言われた通りライトを支えながら、しばらくの間、恋糸のことをじっと見ていた。恋糸が、どうした? と言うように目を向けると、彼はゆっくり口を開いた。 「……なあ、高崎恋糸の復帰後初仕事、これでいいのか?」 「なんだよ、俺じゃ嫌なの」 「嫌とかじゃねぇけど……ここ、赤字寸前のちっちゃな店だぜ。お前みたいなやつは……」 「……高崎恋糸は、そんなに偉いもんじゃねーよ」  恋糸は言った。 「でも、お前ホントはすごい奴なんだろ? お前の写真、未だに見に来る人がいるくらいだし」 「……モノ好きだなぁ」  恋糸は呆れた。自分が世紀の大天才だったのは、もう十年も前のことだというのに。 「俺は好きなもんを撮るんだよ」  恋糸はそう言って、一度カメラを置いた。  恋糸がパソコンでデータを確認していると、後ろからライラが画面を覗き込んできた。 「……よく撮れてるなあ……」 「ま、恋糸さんにかかればこんなもんよ」 「『恋糸さん』ね……。そういえば、今日、銀河くん連れてこなかったのか?」 「銀河? あはっ、俺の仕事なのになんで銀河連れてくるんだよ」 「お前がいつも連れ回してるから、てっきり今日もいると思ったんだよ」  ライラは、撮影用の海鮮丼の横に、醤油とわさびの入った器を置いた。すぐに、恋糸がパソコンを閉じ、海鮮丼の器を自分の方へ引き寄せる。 「銀河が行きたいって言うところに連れて行ってるだけだよ。……卵ないの?」  恋糸はライラの腕を引っ張って、にこっと笑った。 「あるけど……」 「やったー」 「はあ……。お前、銀河くんといるときの大人ぶってる性格のほうがいいよ」 「ぶってねーし」  恋糸はライラから卵を受け取る。正直、銀河の前でかっこつけているところはあるだろう。しかし、まったくの嘘でもない。あれはあれで、自分の本性だ。 「それで、どうだったんだよ」 「何が」 「旅行行ったんだろ? お前、あんなにあの町にはもう二度と帰らねぇって言ってたのに、どうしたんだよ」 「なんとなく」  恋糸の言葉に、ライラはため息をつき、苛立っているような仕草を見せた。恋糸はその顔を見て、眉をひそめる。 「……なんだよ。マジで『なんとなく』だって。紅葉が綺麗なところに連れて行ってやろうと思って、なら、ついでにって大学に寄っただけ」  恋糸の行動は、いつもテキトウだ。いつだって、計画的であったことはない。そもそも、行動に理由を求められる意味がよく分からないと、恋糸は彼を睨んだ。 「……ああ、そうかよ。怖いもの知らずのお前らしいな。どうだったんだ」 「銀河が嬉しそうだった」  そんなことはきいていない、とライラは口を開きかけた。しかし、恋糸の表情を見て、その言葉は引っ込んだ。 「かわいーんだ、俺の銀河は」  きっと、彼にとっては、過去のことはもう、どうでもいいことになってしまったのだろう。そう思えてしまうほどに、恋糸は幸せそうだった。 「……なんだ、俺のって、銀河くんをお前のアシスタントにでもするのか?」 「ん?」  ライラの言葉が意外だったのか、恋糸は顎に手を当てて、長い睫毛を上下させた。しばらく経って、彼はゆっくりと頷く。 「あー……そうか、そういう……そういうこともできるんだなぁ」  考えてもみなかった。アシスタントとして銀河を雇うという手も、今の自分にはあるのか。恋  銀河を、ずっと手元に置いておくことができるかもしれない。 「……んいや、バカだろ。銀河は、これ以上は俺のそばにいないほうがいいんだから……」  恋糸がそう言うと、ライラは意外そうな顔をした。先程まであんなにも穏やかな顔をしていた恋糸が、みるみる俯いていく。ライラは腕を組み、壁に寄りかかりながら、ため息をついた。 「銀河くんにとっても、お前といることは良いことだと思うけどなぁ」 「バカヤロ。俺みたいな調子の上がり下がりのある奴のアシスタントなんて最悪だろ。それに、お前は俺の頭ン中見たことねぇからそんなことが言えんだよ」  恋糸はそう吐き捨て、自嘲するような薄笑いを浮かべた。  空には月が浮かんでいる。家々からは楽しそうな団欒の声が漏れ、くたびれたサラリーマンたちが横をすり抜けていく。  久々の仕事は、随分肩が凝った。コンビニで買ったおにぎりでさえ、少し重く感じる。  あの写真が、復活作として世に出て、一体どんな反応をされるだろう。貶されるか、喜ばれるか、それとも。  しかし、今の恋糸には、かなりどうでも良いことだった。それよりも、あの写真がメニューに載ったとき、また再び銀河を連れて行ったら、どれだけ喜んでくれるか、その妄想に、彼は心を取られていた。  恋糸が家に帰ると、部屋には明かりがついていた。なんだか突然ほっとして、恋糸は短く息を吐いた。 「ただいま、銀河」  扉を開けると、部屋の奥から小さくテレビの音が聞こえてきた。 「なんだ、寝てんのか……」  銀河は、恋糸のベッドの上ですやすやと眠っていた。目を瞑り、縮こまっている銀河は、実年齢よりも幼く見えた。 「……ヒトの布団でぐっすりかー? まったくお前は……」  恋糸が銀河の頭を撫でると、彼は眉をひそめて寝返りを打った。仰向けになってにゃむにゃむと口を動かす様は、大きな猫のようだった。  ふと、恋糸は、銀河のズボンのポケットから、白いふにゃふにゃの紙が覗いているのに気がついた。きっと、洗濯のとき出し忘れて、そのまま存在さえ忘れてしまったのだろう。 「あは、駄目だぜー、銀ちゃん。ポケットのものは出してから洗わなきゃ」  恋糸はくつくつ笑いながら、その白い紙に手を伸ばした。  その紙は、何故か同じサイズのものが二枚重なっていた。恋糸は、不思議に思いながら、貼り付いたその紙を、ゆっくり剥がしていった。 「……これ……」  その正体に、恋糸は驚いて固まった。小さな紙に書いてあったのは、橋川(はしかわ)(よう)の名前だった。おそらくこれは、洋の名刺だ。 「んー……こいとさん……?」 「おはよう、銀河」  恋糸の声を聞いて、銀河は目を擦りながら、身体を捻らせる。恋糸は、彼の目が完全に覚めるのを待てず、すぐに尋ねた。 「これ、橋川からもらったのか?」 「はしかわ……?」  銀河は目を開ける。恋糸の手に持っている紙をしばらくじっと見つめて、彼は何か思い出したのか、ああ、と呟いて、また目を擦った。 「……もらったス……んと……俺から恋糸さんに仕事してくれるよう頼めって……」 「アイツ……」  恋糸はため息をついた。疲れているのに、更に嫌な人間の話まで出てきてしまっては、せっかくの穏やかな時間が台無しになる。恋糸はぐしゃぐしゃと名刺を丸め、ゴミ箱に放り投げた。 「あ……。良かったんスか、それ。旅館のお仕事……」 「どーせもうなかったことになってるよ。アイツは、俺に恥かかせようって思ってるだけだからな。ほんっと、昔から話通じねぇ」 「……なんかあったんスか」  銀河が尋ねる。ここでいつも通り、何でもないと一言言えば、彼はおとなしく、また不満げに引き下がることだろう。しかし、それで良いのだろうか。 「…………聞きたい?」  銀河は、驚いた顔をして、それから頷いた。  恋糸はやや迷ったが、銀河に話してみることにした。銀河は、何故か、少し嬉しそうにした。  話は、大学一年前期まで遡る。まだ、恋糸が富谷とも出会っていない頃、彼は橋川洋と出会った。 「高崎恋糸って、お前?」 「……有名な?」  恋糸がにやりと笑うと、彼は思いっきり眉をひそめた。真面目そうな見た目に、真面目そうなメガネをかけた彼は、腕を組んで恋糸を見下ろした。 「橋川だ。橋川洋」 「へえ、こんにちは?」 「こんにちはじゃない」  洋は、恋糸の座っていた机をバシンと叩いて威嚇した。恋糸は、正直彼をこの時点でかなり苦手だと感じていた。 「先々週の平先生の授業で、お前と組まされた。だがお前、先々週も先週も授業に来なかっただろう」 「……あ、ああ! 体調崩しててさ。ホントに悪い。俺、大学に友だちいないもんだから、教えてもらえなくて」  嘘はひとつも言っていなかった。この頃、慣れない土地に一人やってきて数ヶ月、恋糸は体調を崩し気味だったのだ。 「悪い。どういう課題がでてるんだ?」 「……ある写真家について、考察をする課題だ。二人一組で」  彼はそう言うと、紙の束をひとつ、机の上に置いた。恋糸は、きょとんとして彼を見上げる。 「もうスライドは作った。お前が女遊びに明け暮れている間にな。お前は本番、台本を読めばいい」 「えっ、マジ!? 橋川、ホントに悪いな……」  恋糸は愛想笑いを浮かべた。謝罪の言葉など欲していないのか、洋は眉をひそめ、不機嫌そうだった。 「けど、女遊びじゃないぜ。本当に体調が悪くてさ」  恋糸がにこっと笑うと、洋はその顔をじっと睨みつけて去っていった。 「……けど、本番、俺が言葉を付け足したんだよ。それが、めちゃくちゃ評価高くってさ。彼のことをよく理解している! とかなんとか。当たり前なんだよ、俺はウケのいいこと狙って言ったからさ。橋川ってのは真面目だから、つまんねースライド作ってたわけ。言っとくけど、マジで良いスライドだぜ。面白かないけど。良かれと思ってやったんだ。橋川が作ってくれたスライド、評価されてほしかったから。……でも、その辺りから橋川は俺のことめちゃくちゃ極端に嫌っててさ」  恋糸は苦笑して、銀河の頭を撫でる。 「まあ、俺みたいな奴が専攻まで同じじゃ、疲れちまうよな……」  恋糸は呟いた。銀河は布団に包まったまま、じっと恋糸を見つめる。 「……多分、そうじゃないと思います」 「そうじゃないって?」 「…………いや、分かんねスけど」  銀河はそれきり、何も言わなかった。恋糸は、黙り込み、顎に手を当てる。そんな恋糸を見て、布団の中の銀河が、首を傾げた。 「……どしたんスか」 「いや、あのさ銀河……、……この日空いてるか?」  恋糸が指をさしたのは、洋が名刺に指定していた日付だった。  橋川洋という人間について、恋糸が思っていることはひとつ。「うざったい」だ。  ことあるごとに恋糸に文句を言い、勝手にやってきては腹をかいて帰っていく、なんとも嫌な奴。全く馬が合わない。恋糸は彼が苦手だったが、おそらく、彼も自分を嫌いなのだろう。同業者である以上、嫌でも目に入る存在。彼にとって、恋糸はきっと、目の上のたんこぶというやつだ。 「……死にに来たのか?」 「見て分からないかー? 写真を撮りに来たんだよ」 「撮らないんじゃなかったのか」  洋は、立派な機材と何人もの若人を連れていた。若人たちは洋の後ろで縮こまり、彼らの恋糸のことを見る目が、面倒だから機嫌を損ねるようなことをしないでくれと言っていた。 「んー……気が変わったんだよ」  恋糸は、いたずら心から、わざと彼の気に触るような言い方をした。こういう言い方をしておけば、洋はきっと怒ると思った。 「お前……っ、またそんなテキトウなこと……!」 「……あの」  思った通り激昂する洋に、銀河が少しも怯まず声を上げた。恋糸にとってそれは予想外のことで、恋糸は思わず顔を上げた。 「恋糸さんは、貴方の邪魔をしにきたわけじゃねスよ」  銀河の瞳が、少し震えていた。可哀想に、洋には、銀河がさぞ堂々としているように見えよう。 「その仕事は、もう俺が受けた。邪魔しに来たんじゃないなら、何しに来たんだ?」 「……橋川、うるせーよ」  恋糸はそれだけ言った。銀河が可哀想だったからだ。しかし、短い一言で済ませようとしたことが、洋は余計気に入らなかったらしい。彼は恋糸の肩を掴んで、自分の方を向かせた。 「……銀河くんのこともセックスで味方につけたのか?」  恋糸は思わずいつもの飄々とした表情を崩し、洋を睨んだ。 「……お前……、なんてこと言いやがる」 「お前の得意技だろ。お前とセックスしたやつは皆、口を揃えてお前は天才だと言うじゃないか」 「あのな、銀河を汚すような事を俺がすると思ってんのか」  洋は恋糸を鼻で笑った。 「するだろう。審査員を身体で買収するような奴だ」 「俺はそんなことしてねぇよ……」  恋糸は、頭をガシガシかきながら舌打ちする。やはり、橋川とは話にならない。巻き込まれた銀河が、後ろでオロオロしているのを見て、恋糸は無理矢理笑った。 「……変な噂立てられたもんだよな。行こう、銀河」 「おい」  恋糸は立ち止まり、少し振り返る。洋は厳しい顔のまま、静かに言った。 「お前が写真を撮ったところで、金にはならねぇぞ。もう俺が話を通した」 「それで構わねーよ。聞いてなかったのか? 俺は写真を撮りに来たんだよ」  恋糸は銀河の腕を掴み、引っ張った。銀河の顔が、なんだか少し陰って見えた。  「……ごめんな、銀河。嫌だったろ」  旅館のロビーでカメラのメンテナンスをしていた恋糸が、ふとそう言った。銀河は首を傾げる。 「何がスか」 「さっき、俺とやましい関係みたいに言われて」  恋糸はカメラから目を離さない。いつもは、もっと目を覗き込むようにして話をしてくれるのに。不思議に思いながらも、銀河はすぐに答えた。 「嫌ではないス」 「そ? 優しいなー、銀河は」 「……でも、恋糸さんが誰にでもすぐ手を出すような人間だと思われてたのは許せねス」  恋糸が、目を見開いて振り返った。少しして、彼は苦笑いを浮かべる。 「あは、事実だからなー……」 「事実じゃねス。恋糸さんは、人の嫌がることはしねス」  それを聞いた恋糸は、銀河の首元に手を伸ばし、そのままうなじを撫でた。銀河はぴくっと反応を返す。指は、銀河の鎖骨や肩の形を確かめるかのように滑り、最後に腕を伝って指先を握った。その指先の動きは妙に艶めいていて、銀河は目を瞬かせ、恋糸を見た。 「……恋糸さん?」 「あは。銀河はかわいいね」  恋糸の顔が、一瞬知らぬ大人のように見えて、銀河はきゅっと拳を軽く握った。瞬間、恋糸は銀河の脇腹や首に手を伸ばす。 「おりゃーっ」 「わっ!」  突然身体をくすぐられた銀河は、驚きとくすぐったさで、その場で飛び跳ねて身をよじった。  銀河はくすぐったそうに笑いながら、その腕を弱い力で押し返した。 「……んはっ、やめ……っ、やめてくださいス……」 「良かったなぁ、銀河は子どもで。大人だったらな、今頃立ってられないくらい……」  そこまで言って、恋糸の視線が遠くに吸われた。 「……ちょっと待っててな」  恋糸はそう言い残し、受付ロビーまで歩いて行った。ロビーには、高そうな服を着た男がいた。  その男は、はじめは恋糸のことを訝しげに見上げていたが、少し話していくうちに、だんだんと大口を開けて笑うようになった。恋糸の肩を掴み、わしわしと豪快に揺さぶる。そして十分もしないうちに、恋糸は彼に背中を押されて返ってきた。 「ごめんなー、ちょっと盛り上がってて」 「何してたんスか?」 「綺麗な旅館ですねって言ったら、あとで景色いい部屋の写真撮らせてくれるって」  銀河は少しの間首を傾げていた。しばらく考えて見たが、結局、良かったスね、とだけ言った。 「ああ。おいで。それまで外歩いて時間潰そう」  恋糸は銀河に手を差し出した。銀河はその手を見ると、怪訝な顔をした。 「迷子にはならないです」 「なんだよ、せっかく美人が手を出してやったってのに」  恋糸はくすくす笑って、手をおろした。  旅館の外には、昔の城下町のような景色が広がっている。街を行く人の中には着物を着ている人もいて、賑やかだ。 「……あの」 「ん?」 「恋糸さんって、どうしていろんな人と、その……セックスを……」  銀河が、少し恥ずかしそうに尋ねた。 「あは、アイツの話が気になったか?」 「……いえ。前から……」  銀河は俯いた。 「恋糸さんの家、よく知らない人いるし……。あのときも、それが日常……みたいな感じだったじゃねスか」 「……あのときって、俺が銀河に酷いことを言ったときか?」 「違うけど……多分それス」  この子は、大人が子どもを性行為に誘うことが、どれほど酷いことか分からないのだろう。大人びてはいるが、精神はまだ子どもなのだ。この年で自制心のないことの恐ろしさを、若い銀河は、まだ分からない。 「まあ……色々あって大学でセックスにのめり込んでたんだよ。その延長で、依存症になっちまってさ。ほら、金のかからない娯楽だから」  銀河の前で、情けない話をしたくなくて、なんとなくごまかしてしまった。例え、尋ねてきたのが銀河でなくとも、コンテストの結果に納得いかなくて不貞腐れていたなどとは、口が裂けても言えないだろう。まして、そんな落ち込んでいた自分を、ひとに慰めてもらっていたなんて。 「……大した理由じゃねぇよ。そんなもんだって」  恋糸が笑うと、銀河は眉をひそめた。 「……そうじゃなくて……っ」 「おら、これでジュースでも買ってこい。まったく、何でもかんでもきけば答えてくれると思いやがって。俺はな、お前の前で情けない話はしたくねーんだよ」  銀河の言葉を遮って、恋糸は銀河に千円札を突きつけた。すると、銀河は恋糸の腕を掴み、見たことのない表情でこちらを見た。 「……俺、恋糸さんが情けねぇこと知ってるスよ」 「…………失礼だなお前」 「情けなくても、恋糸さんは素敵なんです。だから、不安で潰れていくばかりの恋糸さんのことを、誰も見捨てたりしなかった。どんな方法だろうと、手を差し伸べようとしたんでしょ」  恋糸は、驚いて固まった。  銀河は、よくものを見ている。隠せているとは思っていなかった。けれど、見透かされているとも思っていなかった。  彼は、今までずっと、見ないふりをしてくれていたのだ。恋糸がそれをなんとか隠したがっているのを察して。それを口に出してしまうなんて、彼にてきとうなことを言ったのが、よほど気に障ったらしい。 「自信なくして不安症になって、セックスに依存してる男が、みんな可哀想なんだろ」 「違うスよ。みんな恋糸さんが好きだから、手を貸してくれるんです」 「違わねーよ、お前じゃねーんだぞ」  銀河は一瞬固まった。顔を赤くしながらも、目を逸らさないその姿が、健気だった。 「……恋糸さんを好きじゃなきゃ、みんな、仕事なんか持ってこないスよ」 「……なら、橋川も、俺を好きだってことか?」 「そうです」  恋糸は思わず笑った。 「……まさか。アイツは俺のことホントに嫌いなんだよ。嫌いだー、お前なんか死ねーって言われてたの見てただろ?」 「だって、恋糸さんだってハシカワさん好きじゃねスか」 「バカヤロ」  恋糸は銀河の頭を小突いた。銀河は、真剣な話をしているんだと言いたげに眉をひそめる。 「……分かった、お前が言いたいことは」  恋糸は、銀河の頭をワシワシ撫でた。 「心配なんだな、俺のことが」  銀河は恋糸を見て、小さく頷いた。

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