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外にあるセダンに乗り込むと、ミリアムはすぐにロス市警のノートン警部に連絡を取り、ハムザ・アル・アブドュルを指名手配するよう伝えた。
「容疑は、未成年誘拐、監禁よ」
バックシートにいるミカールは、首が折れそうなほど俯いて、両手で頭を抱えていた。
「お前のせいじゃない」
トラヴィスはバックミラーに映るミカールに気を配りながら、アクセルを踏んだ。セダンは土煙をあげて、来た道を戻る。
「お前は正しいことをした。悪いのは兄貴の野郎だ」
「そうよ。ミカールが罪を感じることはないわ」
だがミカールは拒絶するように、頭を横に大きく振った。
「……俺、兄貴をとめられなかった」
「神でも無理だった」
「……そんなことない!」
ミカールは反射的に頭を上げると、噛みつくように叫んだ。
「神様だったら、止められたぜ!」
その激しい言いように、二人の捜査官はバックシートを振り返る。
「俺ん家は、コプト教徒なんだ」
ミカールは自分の感情の昂ぶりを抑えるように、低く言った。
「コプト教って知っている?」
「ええ、エジプトでのキリスト教のことよね?」
ミリアムは慎重に口にする。
「大体、あっている」
運転席で難しい顔をしているトラヴィスに、ミカールは背後から説教口調で説明する。
「エジプトはイスラム教徒の国だけど、大昔からのキリスト教徒もいるんだ。彼らはコプト教徒って呼ばれていて、大昔からの信仰をずっと守っているんだ」
「俺の家も、大昔からのカトリックだぜ? なんと、イエス・キリストが生まれる前からだ」
「地獄に落ちろ、おっさん」
トラヴィスのジョークに、ミカールは白い歯を見せて、威嚇するように唸る。
「ミカールはとても信仰深く育てられたのね」
ミリアムが間をとりなすように話を戻す。
「きっとミカールのお兄さんも、そうなのね」
「……うん」
急に、また歯切れが悪くなる。
「俺が言いたいのはさ、ここじゃアラブ系の顔だと、イスラム教徒って自動的に思われる場合が多いけど、俺ん家は違うってこと。俺の両親がアメリカへ移住したのは、信仰上の理由もあるんだ」
揺れる車の中で、でも、と声を落とす。
「俺の兄貴、去年大学に入学したんだけど……それからイスラム教に改宗してさ」
どうも様子が変わったとため息をつく。
「モスクへ熱心に通うようになって、アメリカはおかしい、間違っているって言い始めて……時々親父と大喧嘩していた。親父はそんな簡単にアメリカを責めるなって怒鳴っていたっけ……」
ミカールはその時の様子を思い出すように、膝の上で拳をつくる。
「俺さ、なんだかどんどん俺の知っている兄貴じゃなくなっていくようで、正直怖かったんだ。だから、レイジーに相談したんだ」
「レイジーは何て言ったの?」
「心配なら、会ってみようかって」
「それはいつ頃の話だ?」
「半年前かな」
ミカールは沈んでいる。
「レイジーは俺の心配をしてくれたんだ」
「で、何が原因で誘拐されたんだ? 家出している最中に」
「……だから」
「はっきりし……」
トラヴィスは急にハンドルを右に切った。車は張り子のように揺れ、助手席のミリアムはもちろん、バックシートにいるミカールも派手に転がった。
「トラヴィス!」
「何かが落ちている!」
車は急停止する。
ミリアムは髪を押さえながら下りた。車の背後に、転がっている物体が見える。ゆっくりと近づいていき、それを拾った。
「何が落ちていたんだ?」
トラヴィスも近寄って見る。
ミリアムが拾ったのは、グリーンのスニーカーの片方だった。アイビーの葉っぱのような色に、Nの文字がついている。少々汚れているが、ニューバランスの靴だ。
ドアが慌ただしく閉じる音がした。ミカールが転がるように駆け寄ってくる。
「こ、これ、レイジーのスニーカーだ!」
トラヴィスとミリアムは一瞬目をあわせる。口が開くよりも先に、トラヴィスは胸のホルスターから銃を取り出すと、周囲の林に向けた。
「お前は早く車に戻れ!」
「え、でも……」
「早く行け!」
ミカールは打たれたように、身をひるがえす。ミリアムも銃を取り出し、トラヴィスと背中合わせで、銃口を構える。
「最初に通った時はなかった」
「そうね。誰かが、わざと落としていってくれたのかしら」
しばらくその場に留まり警戒したが、風の音と熱い日差しの他には何も起こらなかった。二人は銃を下ろして、用心深くセダンに戻る。
「レイジーはどうしたんだよ!」
ミカールは待ちかねたように、バックシートから身を乗り出す。
「何でレイジーのスニーカーが落ちているんだよ! しかも片方だけ!」
トラヴィスはキーを回した。車は支障なくエンジンがかかる。
「これからそれを捜査しに行くんだ」
アクセルを強く踏んだ。
セダンは舗装された道路へ出ると、来た道を戻った。トラヴィスはスピードを緩めずに運転し、ミリアムは拾ったスニーカーを証拠物件としてビニール袋に保管する。後ろにいるミカールはそのスニーカーが欲しいと懇願したが、拒否されたため、そっぽを向いて大人しく座っている。
「ミカール、ご両親には連絡してあるの?」
「……していない」
「それじゃ、ロス市警に戻ったら、ご両親に連絡するわ」
ミカールは窓の外を眺めている。少年にしてはどこか成熟した印象を受けるその横顔が、少しだけきつそうに歪んだ。
「……兄貴、捕まるのかな?」
「犯人だったらな」
トラヴィスはカーブを大きく曲がりながら、バックミラーに目をやった。
「容疑がかたまったら、残念だけれど、そうなるわね」
「でも、もしかしたら俺の兄貴じゃないかもしれない」
「ミカールはそう信じたいのね?」
「そうだよ……」
頷いたミカールは辛そうだった。
「俺、レイジーが家出するって聞いて、じゃあ、とりあえずそこで会おうぜって話になったんだ。そうしたら突然、車が現れて、二人を無理やり乗せて行ったんだ……俺もそこに向かっていて、遠くから見えたんだ。慌てて追いかけたけど、無理だった……でもさ、夜で暗かったけれど、二人の腕を掴んでいたのは、間違いなく兄貴だった……」
「詳しい話は、市警で聞かせてもらうわ」
しかしミカールはとまらない。
「レイジーとアシュリーは、きっと俺が関係しているって思っている。だって、そこで会おうって言ったのは俺だ。俺が兄貴に喋ったって思っている……」
「落ち着け、小僧」
トラヴィスはまたバックミラーを見る。
「お前は自分の潔白を証明するために、一人であそこに乗り込んで、二人を助けようとしたんだな?」
ミカールは泣きそうな顔をしていた。
「信じてもらえないかもしれないけど……」
「信じるさ。それがお前の本当の気持ちだったらな」
トラヴィスはアクセルを踏みつけて、スピードをあげた。ミリアムも気づいて、座席から身を乗り出し、後ろのリアガラスを振り返る。
「いつから?」
「ついさっきだ」
後方から、一台の黒い車がスピードをあげて近づいてくる。
ミリアムはスーツジャケットを開き、胸のホルスターに仕舞っていた銃を取り出すと、グリップを強く握った。
「トラヴィスは、運転に集中して」
黒い車は規定速度を大幅に違反して、セダンに追いついた。
道はゆるいカーブに差しかかる。だがその車は車線をはみ出て、セダンに並んだ。
トラヴィスは鋭い一瞥を投げた。車の窓は中が見えない仕様になっているが、助手席の窓がわずかに開くと、そこから銀色に光るものが現れた。
銃口である。
「くそったれ!」
トラヴィスはハンドルを切った。と、同時に銃口が火を噴いた。
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