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第四話⑩
「家は近くなのか?」
歩くぞと、軽く手を振る。この場で立ち止まっていると往来の邪魔だ。
「え? あ、いえ」
伝馬は両手でハンドルを握り、自転車を押して一成の後に続く。
「まだちょっと遠いです」
「なら、俺のことはいいから早く行け。早く帰って休め。家族も待っているぞ」
一成は振り返りながら促す。自分に気を使う必要はないぞという一成の気遣いだが、伝馬は自転車を押して行く。
「歩いて帰っても俺は平気です」
「お前は平気でも、遅くなったら家族が心配する。いいから先に行け」
あくまでも担任としての心配りなのだが、伝馬の返事はひどくぶっきらぼうだった。
「俺が一緒にいると迷惑ですか?」
えっ? と一成は背後を振り返る。自分の後ろから付いてくる伝馬は生真面目な顔つきになっていて、射貫くような眼差しを向けている。
――直球すぎるな……
自分へ告白した時やガンをつけてきた時の態度そのものである。不愉快ではないが、伝馬の気持ちを相手にするには今日の一成は疲れていた。
「そうじゃない」
ちゃんと口に出して否定しておくのが大切だ。だが仕方がない奴だと胸内ではため息を吐く。義務教育が終わってもまだ大人ではない。大人の態度を求めてはいけない。
「教え子と一緒に帰るのは迷惑じゃない。いい機会だから、この間のテストの話をするか」
「えっ?」
今度は伝馬が意外そうに聞き返す。
「テスト、ですか?」
「そうだ。桐枝は悪くない点数だったな」
悪くはないどころか、日本史のテストはクラス内でも三番目に良い点数だった。一位は学級委員長だ。
「万葉集を読んだから、いい調子で勉強できたか」
一成は歩く速度を変えずに、後ろをちらりと振り返る。自転車を押して歩く伝馬と並んでは通行の邪魔だ。伝馬もその辺は考慮しているのか、無理に隣へ来ない。
「そうかもしれません……どうなんだろう」
伝馬は真剣に首をかしげている。
「俺、真面目に読んだつもりなんですけれど、もうあまり覚えていなくて……」
「ああ、それが普通だ。俺も最初に読んだ時は、きつくて目が泳いだ」
一成は昔を思い出して笑う。同時に保健室での出来事も湧いてきて「そんな相聞歌 なんかぶっ潰してやる!」と叫んだ当人は、万葉集共々そのことも忘れてしまっているのかもしれない。それならいいと一成は安心した。
「あの……」
一成は肩越しに振り向く。ちょうどその横を自転車の買い物カゴに緑色のエコバックを入れた女性が、よいしょよいしょとペダルを踏んで通り過ぎていく。そのすぐ後ろをホワイト色の軽自動車が速度を落として走っていく。
「聞きたいことがあるんです、先生」
伝馬は妙に神妙な面持ちだった。
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