61 / 61

第六話②

 冷静に聞いたつもりだった。声も普段通りだ。ごく自然だ。いまさらと口から出たのは無意識の領域だ。  榮はまっすぐにフロントガラスを向いて運転しながら、綺麗に描かれた瞳をかすかに細める。 「さて、どのように返答しようか」  面白がっている口調だ。  一成はシートの上で気持ちを落ち着かせる。榮に振り回されてはいけない。 「この前、貴方に会ったと聞きました。松本先輩と橋爪先輩から」  この間二人がうるさく喋っていた内容が脳内にこびりついている。古矢と理博が教育関係に関わる催しに出席した話だ。そこで榮と鉢合わせしたという。 「偶然だったんだ! 僕が理博と約束した時間から五分二十一秒後に来たから会えたんだ! だって深水先生は帰ろうとしていたんだよ! 約束時間を守っていたらすれ違いになっていたんだ! 奇蹟の五分二十一秒だ! すごくない!」 「完全にすごくない! お前をくだらなく待っていた私の人生の五分二十一秒を返せ!」  ……二人のいつものコント芸を喰らいながら、一成は地を這うような溜め息をつきたくなった。 「二人から俺が教師になったという話を聞いたんですね」  コント芸の最中に「一成も教師になったって話しておいたよ! 深水先生はびっくりしていた! よかったね!」と古矢が良いことをしたオーラを発揮して言ってきたので、誰もいなければそのオーラに水をぶっかけていたかもしれないと思った一成である。 「松本君と橋爪君は、とても立派な男性になっていた」  榮は教え子だった二人をその当時の呼び方で言う。 「二人が教師になっていて、とても誇らしい。私にとっても名誉なことだ。もちろん、君もね」 「俺は自分の意思で教職を選んだんです。貴方が名誉に思うことじゃない」  反射的に言い返してしまい、一成は急いで前方を見つめる。落ち着けと言い聞かせる。感情的な言動はムキになっていると捉えられる。俺が教師になったのは断じて貴方の影響じゃない。 「それはそうだな。君が選択した名誉は君自身のものだ」  榮は静かに受け流して、交差点を右方向へ曲がった。照明の明るさを含んだ窓が夜の街に点在する住宅地へ入って行く。  一成は小さく身じろぎをした。貴方は本当に変わっていないと薄暗い気持ちになる。吾妻学園で過ごした高校三年間は不用意に思い出さないようにしている。三年間。改めて一成にはそれが短いのか長いのか判断がつかない。しかし榮の声も、言葉も、眼差しも、あの時のままだ。少しの濁りも曇りもない。おそらく、両手の肌の……

ともだちにシェアしよう!