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第六話④
榮はゆったりとした声に冷笑を添える。
一成は本能的に身震いした。自分の奥深くを覗かれたかのようにゾクッとした。
「あいにく……無理なようです」
――どうして、俺は車に乗ってしまったんだ。
乗らないかと誘われて、拒否すればよかったのだ。拒否して背中を向ければよかった。
――あの時、俺がそうされたように。
一成は喉の奥で生唾を呑み込む。不快感が這いずってくる。足元からひたひたと舐めるようにして。
「そうか」
榮は短く相槌を打った。そこには何の感情も含まれてはいないようだった。
ブリティッシュグリーンのミラジーノはさらに細い路地へと入って行く。街灯が明るい公園が見えてきた。ライトに照らされて犬を散歩している人の姿が視界に入る。
「どうして歩いていたんだ」
一成は一瞬、何を言われているのか戸惑ったが、すぐに察した。
「車が故障したんです」
愛車のフェアレディZが動かなくなったので、修理が終わるまで徒歩通勤していた。そして、榮と再会した。
――随分な偶然だな。
心の中で皮肉ると、同じ言葉が耳元に流れてきた。
「興味深い偶然だ」
思わず一成は榮へ視線をちらっと投げる。
「君が歩いているのを見たのは、これが二度目だ。一度目は高校生と歩いていた。とっさにはわからなかった。なぜなら君は大きくなっていた。私の想像を超えて」
夜の暗闇が車の内部になだれ込んでいて、静かに語る榮の横顔ははっきりとは確認できない。
――桐枝と帰っていた時にも通ったのか。
見られたのかと若干の警戒心が湧いて、そう思う自分に首をかしげた。別に見られても困ることではない。担任と生徒が普通に歩いて帰っていただけのことなのだから。
――深水先生の目的は何だ。
榮の行動に疑念を強める。出会ったのは偶然ではなく必然だった。自分と出会えると確信していたのだ。
――なぜ、俺に会いに来た。
教師になった動機を聞きたかっただけではないはずだ。先程から榮は肝心な部分をはぐらかしている。
「一成」
不穏な沈黙が垂れ込める中で、榮は涼しげな声で空気を払いのける。
「頭の中で邪推 することではない」
前を向いたまま、教師のようにたしなめる。フロントガラスの向こうに広がるのは、静寂な暗がりとヘッドライトの派手な光のコントラストだ。
「私が話したいのは、君が道を歩いていたから、私は見つけることができたということだ」
一成は不可解そうに耳を傾ける。いったい何が言いたいのだろう。
「君は車が故障したと言った。それで歩いていた。その側を私は車を運転して通り過ぎた。とてもシンプルな出来事だが、全てが偶然だった」
目の前にマンションが見えてくる。
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