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第六話⑦

「珍しいか、一成」  一成が文字通りガン見しているので、榮は口元で笑う。 「いえ、あの……先生もコーヒーを飲むんだなと」  言葉が足りないと思ったので付け足した。 「紅茶を飲んでいるイメージが強かったんです」 「そうだな、君の前では紅茶しか飲んでいなかった」  ケトルが沸騰(ふっとう)したので、ドリッパーにお湯をそそぐ。コーヒー豆を通って、サーバーの中で熱くて濃厚な色合いのコーヒーが出来てゆく。 「紅茶を飲むのは、イギリスでの習慣だった。それが私の習性になってしまった」  独り言のように口にして、棚から白いコーヒーカップを二つ取る。同色のソーサーの上にのせると、一成とその反対側にそれぞれ置いた。それからコーヒーサーバーを持ってきてカップに手際よく()れる。  一成は芳醇(ほうじゅん)な匂いがするカップに目を落とす。カップの持ち手は以前と変わらずに左向きに置かれている。 「砂糖とミルクは必要か」 「――いえ、大丈夫です」  普段は微糖の缶コーヒーばかり飲んでいるが、とてもそんな(くつろ)いだ気分にはなれない。  榮はカウンターにサーバーを置くと、ようやく一成と向かい合う形で椅子を引いて座った。 「手を洗いたかったら、そこで洗ってきなさい」  手で玄関の方向を差す。一成は礼を言って玄関に隣接している洗面室へ向かい、ボトル式のハンドソープで手をくまなく粟立ててからお湯を出して洗った。洗面室は落ち着いた感じのモダンな造りだが、やはり生活感が足りない。壁に設置されたタオルハンガーに掛けられてあるグレイカラーのタオルで手を拭きながら、怪訝に顔をしかめる。本当にここに住んでいるのだろうか。  ――前の家はどうしたのだろう。  高校生時代に通された部屋は二階建ての家だった。今よくよく考えれば、独身の若い男性が一人で一戸建ての家住まいという環境は、教師という年収の面からもある意味珍しいと思った。元々生まれ育った場所であれば特におかしくはないが、どうもそのような雰囲気ではないようだった。一成も教師として働き始めてから、榮の一人暮らしが少々妙な部類であるということがわかった。  ――学園からも遠かったな。  遠い目をしながら、目の前の鏡に映っている自分の姿を見る。磨かれたガラスには、十代の馬鹿みたいに無邪気で浅はかだった若者ではなく、少し年を取って無邪気というパーツを失くしてしまった疲れた男の顔が映っている。  一成は目を閉じると、くたびれた気持ちを吐き出すように息をついた――もう行かなければ。  テーブル席に戻ると、榮はカップに口をつけていた。
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