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第八話⑥
「以上、業務連絡だ。伝えたからな」
順慶は一成のおかしな様子には触れずに、言うだけ言うと、数学の教科書を片手に相談室をのんびりと出て行った。
残された一成は棒のように突っ立ったまま、順慶が出て行ったドアに視線を向け続ける。その表情は血の気がなく、やがて倒れ込むように椅子に座った。
――どういうことだ。
片手で頭を抱える。混乱して思考がまとまらない。
――どうして先生がここへ来るんだ。
頭から冷水をかけられたようにショックだった。順慶が口にしたことは、当の本人から何一つ聞いてはいない。
――どうして……それを俺に喋ったんだ。
順慶が何の脈絡もなく喋るわけがない。確実に何事か含んでいた。
一成は椅子の背に深々 ともたれかかる。泥にまみれたようなため息が口から這い出て、小さな汚れが染み付いた床に消えてゆく。
シンとなった相談室の外からは、元気なかけ声が聞こえてくる。窓は西日が射してもまだまだ明るい。一日は終わらない。
一成はしばらく動こうともしなかった。
――間違いないな。
順慶は厳しい顔つきで道場へ向かっていた。
途中三学年の職員室に立ち寄り、教科書を自分の机の上に置いていった。隣の席には国語教師の真緒がいて、麻樹が邪魔にならないように脇に立ち、物静かに話をしていた。
「無理はしないようにね、上戸君」
「はい」
麻樹はおとなしく返事をしていた。
順慶はさりげなく麻樹の様子を確かめた。顔色は悪くはなかった。真緒は麻樹のクラスの副担任だ。ああいう温和な教師なら相談事もたやすくできるだろうと職員室を後にした。
――蘭堂もな。
順慶は口元で苦笑いした。宇佐美は話が長いが、けしてだれかれ構わず遮二無二 に話しているわけではない。ちゃんと相手を見定めて選んでいる。順慶の見るところ、自分の意図に気づかれないように、声がデカくて話も長くまさに変人というイメージをつくって、自分の周りを煙 に巻いているような感がある。頭はすこぶるいい。
――高校生活は一度きりだからな。
強い夕日が広がる廊下を進みながら、順慶は先程の動揺しきった一成の態度を思い返していた。
――高校時代、だな。いきなり関係が始まるわけがない。
男ぶりする表情が険しそうに歪む。担任だった自分が気づけなかったのが、痛恨の極みだった。
順慶は手の先で額を押す。気づけなかったのは、一成が生徒だったからだ。今回は教師として同じフィールドに立っているから気が付けた。しかし生徒だった時は相手を慕っている態度から、まさかそこまでの関係に陥っていたとはわからなかった。
――彼が誘ったんだな。
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