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第八話⑦

 廊下の窓から射し込む光が、通り過ぎる順慶にも容赦なく落ちる。順慶は眩しそうに顔を背ける。  ――あの男なら、やるな。何の躊躇いもなく。  記憶にある日本史教師はいつも泰然としていた。声を張り上げることもなく、笑い声をあげることもなく、誰かを叱ることもなく、不機嫌になることもなく。身だしなみはいつも整っていて、常に落ち着き払った態度だった。学園では。  ――皮肉は凄かったな。  順慶は角ばった手のひらで頬をそっと撫でる。あれはふとしたことで冴人に呼ばれ、自分への用件並びに榮への言づても命じられたのだ。その言づて自体は大したことではなかったので、榮のいる職員室へ向かい、ちょうどテストの採点をしていた榮へ手短に告げて出て行こうとした。すると、榮は他愛なく言った。 「筒井先生は、理事長の大切な同級生なんですね、何年経とうとも」  順慶は「そうだな」と軽く相槌を打っただけだったが、榮が何を仄めかしているのかは察した。別に榮と親しい間柄ではなく、単に同僚としての付き合いしかなかったが、皮肉めいた言い方をするのは正直に賢いやり方ではないと思った  ――だが、ああいうところが当人の性分なんだろう。  イギリス人の血を引き、イギリスで育ったとは聞いているが、順慶に言わせれば、生まれ持った性質が必ずある。環境は確かに人格形成に重大な影響を及ぼすが、それだけで人間という個性は出来上がらない。  ――今さらだな。今さら。  順慶は苦い味を噛み続ける。一成はもう高校生ではない。教師だ。しかも日本史の。  ――あいつは大人になった。まっとうな社会人だ。自分で考え、行動できるはずだ。  二人が真実どういう関係なのかは想像の域を出ない。先程の一成の様子は榮から何も聞かされていないのだろう。榮がこの学園を訪問することに心底驚いていた。  順慶は深々と息を洩らす。それから耳穴を軽くほじって、自分は考え過ぎなのかもしれないと戒めた。  伝馬が颯天と剣道部の更衣室へ入ると、一斉に歓声が沸いた。 「桐枝! お前クラス代表になったんだってな!」 「すげーよ! 代表になるのは簡単じゃねえんだぞ!」  剣道部の先輩たちが手を叩いて口々に誉めそやす。  伝馬は愛想笑いがうまくできないような微妙な表情で、入り口に突っ立つ。一週間前にクラス代表に選ばれて、今日各クラスの代表者が公示された。校内は一気に盛り上がり、よくわからない一年生たちも先輩たちのはしゃぎっぷりを見て、段々とお祭りに参加するような興奮が芽生えてきた。颯天も「早く教えろよ! ヤバいヤバい!」とヤバいが二倍になっていた。

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