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episode9 頼りになるあいつ

「待って、日下部止まって」  勢いよく両手を突っ張り、日下部の体を引き離す。 「いいとこだったのに……」 「お前は、油断も隙もねぇ」  弾む息を整えながらPHSをとれば、慌てふためく看護師の声が聞こえてきた。 「先生!杉山さんが急変しました!」 「わかりました、すぐ行きます」  手短に電話をきって、日下部を見つめた。 「悪い、日下部。もう少しだけ付き合ってくれないか?残業代払うから」 「残業代?別にいいですけど……」 「悪いな」  日下部の両頬を手で包み込んでツイッと背伸びをする。びっくりしたように目を見開く日下部の唇にチュッと自分の唇を重ねた。 「とりあえずこれで……」 「全然足りないけど、我慢します」  少し照れくさそうに日下部が笑った。 「体温が40.6℃、脈が124回、血圧が70/42、サチュレーションが87%です」  俺が到着した時には肩で息をしている佳奈さんがいた。 「くそっ。腫瘍熱か……?すぐに点滴始めます。採血も……酸素はマスクで5ℓから始めましょう」 「点滴、ソルデムでいいですか?」 「あ、うん」  指示と同時に動き出す日下部にびっくりしてしまう。  こいつ、こんなに頼もしいのか……日下部がいることが心強かった。  傍にいる看護師にテキパキと指示を出し、誰も取り乱すことなく処置は終了……佳奈さんの容態も落ち着いた。  でもそれも束の間で、きっとまだ熱が上がるだろう。  そうやって少しずつ体力が奪われて……手術まで乗り切ることができるのか。もう、佳奈さんの生命力を信じるしかない。 「日下部がいてくれて助かった。お前、いつの間にあんなに仕事ができるようになったんだ……」  素直に褒めてやれば、「急になんだ?」と言わんばかりに眉を顰める。  なんだよ……俺だって褒めることくらいはあるんだ。 「惚れ直しましたか?」 「元から惚れてないし」  ニヤニヤしながら顔を覗き込まれたから、恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。  そんな俺を見て、可愛い……なんて日下部が笑ってた。  予想通り佳奈さんは発熱を繰り返した。 「胆嚢にも癌が転移してるから、胆嚢炎を起こしてるのかもな。全身が衰弱してるから、手術は無理だろう」 「そうですか……」  ナースステーションにいた日下部に話しかける。  最近、日下部を見るとホッとする自分がいた。こいつは本当に優しいから、つい頼りたくなってしまう。 「緩和ケアに移行しようって、今から佳奈さんに提案してみる」 「緩和ケアに?」 「ああ。きっと、彼女にはそれが1番いいから」 「先生がそう考えるのなら、きっとそうなんだと思います」  今にも泣き出しそうな俺に、日下部が笑いかけてくれる。もう何度もこの笑顔に救われた気がする。 「先生、非常階段(いつもの場所)で待ってますね」 「うん」  日下部が優しく頭を撫でてくれたから、その手に頬擦りをして……佳奈さんの病室へと向かった。  佳奈さんはどんな反応をするだろう。  「見捨てられた」って俺を恨むかもしれない。  佳奈さんに真実を伝えることに躊躇いを感じたけど、日下部が待っていてくれる……そう思うだけで、勇気をもらえた気がした。

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