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episode10 弱音と強がり
フラフラする足取りで階段を上がり、重たい非常階段の扉を開ければ……一面に夜景が広がる。ビルの明かりがまるで宝石みたいにキラキラ輝いて、玩具のような車が走っている。
冷たい夜風に思わず目を細めた 。
「あ、先生。お疲れ様です」
「うん、お疲れ」
階段に座っている日下部の隣に座り込んだ。
「杉山さんはどうでしたか?」
「佳奈さんは無力な俺を責めたり、見捨てられた……なんて一言も言わなかった。ただ『ありがとうございます』って笑いながら泣いてた」
「そっか……」
心配そうに俺を見つめる日下部の肩に、そっともたれ掛かる。スクラブ越しに伝わってくる体温が心地いい。
「俺、佳奈さんを助けてあげることができなかった。腫瘍外科の医者のくせに、癌を治してあげられなかったんだ」
冷たい夜風が火照った体を冷やしていくのに、目頭がどんどん熱くなっていった。
「佳奈さんは自分の母親と同じ病気だったから……どうしても治してあげたかった。生まれてきたばかりの赤ちゃんに、母親のいない寂しさを知ってほしくなかったから」
「先生……先生。大丈夫ですよ」
「俺は、医者失格だ……」
「そんなことないです。少なくとも俺は先生を尊敬してます」
いつの間にか溢れ出た涙を、大きな手で拭いてくれる。その感触に心が解けてしまいそうになる。
うっかり……甘えてしまいそうになる。
「弱音を吐くなんて、先生らしくないですね。でも、 素直に涙を流せない先生も可愛いです」
「アホ。お前の前だから弱音を吐くんだよ」
「なら、たくさん弱ってください。俺が全てを受け止めますから」
日下部が俺を気遣ってか、遠慮がちに抱き締めてくれる。
抱き締められて気持ちいいな……って思っていたのに、突然体を離されてしまう。でも、それが合図かのように日下部が静かに目を閉じたから、俺も目を閉じた。
フワリと唇に柔らかいものが触れた瞬間、トクンと心臓が飛び跳ねる。
温かい舌が遠慮なく入り込んできて、チュクチュクと卑猥な水音をたてながら舌を絡め取られた。
「あ、はぁ……ん……ッ」
少しだけ息が苦しくて、夢中で日下部にしがみつく。
頭がトロトロに蕩けそうだ。
「なぁ、日下部……お前は恋人以外とはキスしないって前言ってたよな?」
「そうですよ。それが一般常識でしょう?」
「じゃあ恋人とはキスするんだ?」
「……それ、どういう意味ですか?」
「……俺が聞きたい」
日下部がいつになく真剣な顔で俺を覗き込んでくる。
「先生ってもしかして俺のこと……」
「ん?」
あまりにもキスが気持ち良くて、頭がボーッとしてて……日下部が何を言いたいのかがわからない。
ううん、それだけじゃない。
心の中がグチャグチャで……日下部のことで頭がいっぱいで……自分が何を考えてるのかさえわからなくなっていた。
でも苦しい。苦しくて仕方ない。
「いいえ。何でもありません。ただね、ずっと待とうと思いました。先生の気持ちが落ち着くまで。だから、焦らないで?大丈夫だから」
日下部の声が心地よくて、抱き締めてもらうと温かくて……自分の気持ちなんてわからないけど、ずっとこの腕の中にいたいと思った。
日下部が欲しいって言えたらな……。
そしたら、大きな檻を買って閉じ込めてしまおう。
もう俺以外の奴を見ないように。日下部を独り占めしたいから……。
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