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第29話『終わったことでも』
駅前の喧騒から少し離れた道沿いに小さな洋菓子店があった。
青と白色の外壁をしているその店は、小さいながらも繁盛していた。店内のショーケースの中には、色とりどりのケーキが並べられている。数名の客がいて、出たり入ったりと客足が絶えなかった。
サキは陳列棚から一歩下がったところで商品の受け取り待ちをしていた。
「ご予約のホールケーキでお待ちのお客さま」
白いコックシャツを着た女性から呼ばれ、サキはショーケースの前に近寄った。注文したケーキに間違いがないか、のぞき込む。
「はい、大丈夫です」
サキが答えると店員は包装を完成させ、にっこりと笑顔で渡してきた。二人用の小さなケーキを持って、サキは家に帰った。
四月二十八日はレイの誕生日だった。誕生日を知ったのは、本人に聞いたからではない。サキの携帯カレンダーに入っていたのだ。
元の魂は久我と浮気していたようだが、付き合っている人の誕生日は忘れないようにしていたらしい。
サキはレイの言葉を思い出していた。
『終わったことだから』
サキが二人の別れた理由を聞いたあと、レイは平然と言った。たしかにそうかもしれないが、そんなに簡単に割り切れるものでもないはずだ。
それなのにレイは記憶を失くした(と思っている)サキに優しかった。その優しさに胸が締めつけられた。
リビングのドアを開けると、夕暮れ時の部屋はオレンジ色に染まっていた。冷蔵庫にケーキの箱を入れ、サキは夕食の準備に取り掛かった。ジャガイモ、にんじん、玉ねぎを流し台に置く。皮を剥き、適当に切る。
今日の夕飯はカレーだ。
話は数日前に遡る。行楽日和の休日だったが、サキとレイは午後からバイトだった。出かける前にレイが作ってくれたチャーハンを食べながら、サキは言った。
「レイってもうすぐ誕生日だよな」
「そうだね」
レイはサキがなぜ誕生日を知っているのかは訊いてこなかった。
「その日の夜は、おれが作るよ。なに食べたい?」
レイは口に運んでいたスプーンの手を止め、少し考えた。
「カレーがいい」
「カレー? そんなのでいいの?」
「じゃあ、ビーフシチュー」
「カレーでお願いします」
こうして今夜の献立が決まった。
カレーは市販のルーを使えばいいので簡単だと思っていた。ところが実際に作ってみると、水っぽくなってしまった。イメージでは、もっとトロトロになるはずだった。
(レシピ通りなのに、なんでだ……)
サキは首を捻ったが、味はまあ、悪くない。これでいいや、と思い、次はサラダを作った。
ひと通り準備をすませ、ソファーでくつろいでいると、レイが帰ってきた。ちょっと失敗したカレーだったが、レイは文句を言わずに食べてくれた。
食後にサキが冷蔵庫からケーキを取り出して見せると、レイは目を見張った。
生クリームが塗られた小さなホールケーキだったが、板チョコに『ハッピーバースデー』の文字がある。
レイは顔を上げ、ふわっと笑った。
「ありがとう」
その笑顔があまりに柔らかかったので、サキの胸がトクトク鳴った。
開けた窓から夜の風が入り、カーテンが揺れる。照れてしまったサキは、声を大きくして言った。
「ロウソク立てよう! あ、ライターあったかな」
きょろ、と部屋を見回したそのときだった。
突然、サキの心臓がどくっと大きな音を立てた。
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